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■ロッキード事件の“もみ消し”をアメリカ政府に頼んだ中曽根康弘  ~自民党幹事長はなぜ総理を裏切ったのか~ 週刊文春(2021/02/06)

2022-01-04 05:10:54 | 日記

 


■ロッキード事件の“もみ消し”をアメリカ政府に頼んだ中曽根康弘 

~自民党幹事長はなぜ総理を裏切ったのか~

週刊文春(2021/02/06)

https://bunshun.jp/articles/-/43199


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ロッキード事件において田中角栄は、本当に有罪だったのだろうか――。

1976年、田中角栄は、米国の航空機メーカー、ロッキード社からの賄賂を総理在任中に受け取り、全日空に同社の「トライスター」を購入するよう口利きをした罪を問われた。

ロッキード社のコーチャン副会長の証言によると、彼は30億円にものぼる賄賂を、日本の政界にばらまいたという。

 裁判は、1993年の田中角栄の死によって収束を迎える。

しかし、田中角栄は嵌(は)められたという主張も未だ根強い。さらに、総理を支えるべき自民党幹事長(当時)の中曽根康弘による、奇妙な“裏切り”も後に発覚した。

作家の真山仁氏が事件の真相を追求した『ロッキード』より、一部を抜粋して紹介する。

 

・中曽根の狼狽


 2010(平成22)年2月12日、朝日新聞朝刊一面に、1本のスクープ記事が掲載された。

 スクープをものにした記者は、米国で公文書を徹底的に読み解き、ロッキード事件を新たな視点から検証してまとめた『秘密解除 ロッキード事件』を著した朝日新聞編集委員の奥山俊宏だった。


【ロッキード事件「中曽根氏から?もみ消し要請」米に公文書】

《ロッキード事件の発覚直後の1976年2月、中曽根康弘・自民党幹事長(当時)から米政府に「この問題をもみ消すことを希望する」との要請があったと報告する公文書が米国で見つかった。裏金を受け取った政府高官の名が表に出ると「自民党が選挙で完敗し、日米安全保障の枠組みが壊される恐れがある」という理由。三木武夫首相(当時)は事件の真相解明を言明していたが、裏では早期の幕引きを図る動きがあったことになる。中曽根事務所は「ノーコメント」としている》


 問題となった文書は、1976(昭和51)年2月20日にジェームズ・ホジソン駐日米国大使が、国務省に送った公電だ。

 チャーチ委員会でロッキード事件が発覚したのが、2月4日。

 外務省は18日、「高官名を含むあらゆる資料の提供」を米政府に改めて要請するよう、駐米大使に訓令した。

これは三木武夫首相の意志であった。

ところが中曽根は、その夜と翌朝に、三木首相の要請とは正反対の秘密のメッセージを米国政府に伝えよと、米大使館に依頼したというのだ。


《中曽根氏は三木首相の方針を「苦しい(KURUSHII)政策」と評し、「もし高官名リストが現時点で公表されると、日本の政治は大変な混乱に投げ込まれる」「できるだけ公表を遅らせるのが最良」と言ったとされる。さらに中曽根氏は翌19日の朝、要請内容を「もみ消す(MOMIKESU)ことを希望する」に変更したとされる》


 ちなみに、この公電では、「苦しい」と、「もみ消す」は、その英単語に続いて敢えてローマ字表記の日本語が記されている。

 

・もみ消したいと思ったのは中曽根自身だったのではないか


 中曽根が米政府に「MOMIKESU」よう要請したのが、三木の意向だったとは思えない。

 自民党の幹事長、つまり総理である総裁と歩調を合わせ、政権維持をサポートする立場にある者が本当に発言をしたならば、不可解としか言いようがない。

 そして、もみ消したいと強く思ったのは中曽根自身だったのではないか、という疑問が湧いてしまうのだ。

 同様の解釈を、ホジソン大使もしている。

《「今後の展開に関する中曽根の推定は我々にはオーバーに思われる。三木の判断について中曽根が言っていることは、我々の理解する三木の立場と合致しない」

当時、三木武夫首相は、事件の真相解明を国民に約束し、中曽根氏はそれを支える立場にあった。

国民の間で真相解明を求める声は高まっており、「日米安保の枠組みの破壊につながるかもしれない」という見方は誇張に過ぎるというのが大使の見解だったようだ。

さらに大使は「中曽根自身がロッキード事件に関与している可能性がはっきりしない点にも注意すべきだ」として、要請の意図にも疑問を投げかける。

 ただ、大使は「日本政府の公式の姿勢とは異なり、自民党の指導者たちの多数は、関与した政府高官の名前を公表してほしくないのではないか」「日本政府の公式の要請を額面通りに受け止めるべきではない」と指摘。

米政府としては「もし可能ならばこれ以上の有害情報の公開は避けるのが我々の利益だ」と結論づけている》(朝日新聞・同日34面)

 中曽根の思惑を、大使は見抜いていた。

 だから、大使は、中曽根の要請を公電に載せたのだろう。

 

・事件捜査に懐疑的な態度


 奥山の『秘密解除』では、この「MOMIKESU」依頼について、中曽根が積極的に米国政府と接触する様子がより詳細に紹介されている。

 まず、ロッキード事件発覚翌日、偶然来日していた国務省日本部長ウイリアム・シャーマンと会談している。

単なる表敬訪問となるはずの面会だったが、結果的に話の中心は、ロッキード事件になった。

 その内容は、同日、米国大使館を通じて国務省に公電として伝えられた。

 それによると、「このようなことがらについて(米国の)国内問題として調査するのはいいことかもしれませんが、他国を巻き込むのは別問題であり、慎重に検討されるべきです。
米政府にはこの点を認識してほしい。

この問題はたいへん慎重に扱って欲しい」(『秘密解除』)と中曽根が釘を刺している。

 

・中曽根の指示で自民党幹部がワシントンDCへ


 また、「ロッキードに有利な取引はニクソン大統領と田中前首相の間で結論が出ていた」との疑惑にも言及したという。

 これは、72年9月、ハワイで行われた日米首脳会談において、ニクソンと角栄が、トライスターまたはP-3Cについて話し合いがあったと暗に匂わせている。

両国のトップによる決定を蒸し返すなとでも言いたかったのだろうか。

 さらに11日朝には、幹事長の中曽根の指示で、自民党幹部の佐藤文生がワシントンDCに行き、東アジア・太平洋担当の国務次官補フィリップ・ハビブと面談している。

佐藤は、日本政府高官の名前に関する議論に触れ、「自民党は自らの立場を守らなければならない」と述べたと公文書に記録されている。

 在日米大使館内でも、灰色高官の候補についての分析が行われ、中曽根は現職の党幹部の中で「もっとも脆弱に見える」とされ、「ワシントンで具体的な情報が明るみに出れば辞任となる可能性がある」と同じく公文書に記録されている。

 

・中曽根は誰に伝言を依頼したのか


 奥山は、さらに不可解なものを発見している。

機密として文字が伏せられた箇所があったのだ。


《前後の文脈からすると、そこには、中曽根と会話した相手の名前や役職が記載されている可能性がある。秘密を解除できない理由は「国家安全保障上の制約」。白抜きにされたのは2007年7月23日。この公電のその他の部分の秘密解除についてCIAの承認が下りたのと同じ日なので、CIAの都合で秘密とされているのではないかと推測できるが、実際のところは分からない》


 中曽根は、誰と接触したのだろうか。

相手が大使なら、わざわざ名を伏せる必要はなかっただろう。

もしも、相手がCIAだったとすると、中曽根との繋がりが気になる。

 そして、中曽根と関係が深いと取り沙汰されていた児玉誉士夫は、CIAとのパイプがあった。

 中曽根の必死のもみ消し作戦は、中曽根がロッキード事件に深く関与していたことを、自ら喧伝するようなものだ。

 いずれにしても、米国からもたらされた情報によって、角栄は逮捕された。

中曽根のもみ消し作戦は、失敗だったのか。

 いや、自身が罪に問われなかったという意味では、成功だったのか。

 

・曖昧な否定


 タブー視される社会問題を次々と切り裂いていく奥山に、「MOMIKESU」発言についてさらに詳しく尋ねた。

「『検証 昭和報道』という朝日新聞の大型企画の一環で、ロッキード事件を再検証しようということになりました。それで、私は米国公文書館に通って、ロッキード関連の秘密解除文書を探しました」

 それが「MOMIKESU」と記された公文書を発見したきっかけだったと、奥山。

文書は膨大で、かつ、あちこちに散らばっている。ホワイトハウス、国務省、司法省、国防総省、証券取引委員会、裁判所、議会など機関ごとに文書は整理されているが、それ以上は、おおざっぱな目録を見ながら勘を働かせて見当をつけ、根気よく一枚ずつチェックするしかない。

 その上、歴代大統領にゆかりのある地それぞれに国営図書館があって、ホワイトハウスの内部文書はすべて、そちらに移される。

そこへも足を運ばなければならない。

「MOMIKESU」ことを中曽根が依頼した文書を見つけたのも、フォード大統領図書館(ミシガン州アンアーバー)だった。

 

・ロッキード事件発覚時からあった疑惑


 そもそも、そんな重大発言の存在など、奥山はそれまでまったく知らなかったという。

「中曽根氏が、何らかの形でロッキード事件に関わったのではないかという疑惑は、事件発覚時から取り沙汰されていましたし、国会の証人喚問も受けています。そういう意味では、疑惑の人だった。あの文書を発見したことで、その疑いがより強まったのは、間違いありません」

 中曽根本人がトライスターやP-3C採用について、口利きをしたり、ロッキード社からカネを受け取ったというような裏付けはない。

 また、奥山のスクープ記事が掲載された時に、朝日新聞は中曽根事務所に文書についての事実確認をしているが、「ノーコメント」と返されている。

その後、2012年に刊行された『中曽根康弘が語る戦後日本外交』の中で、中島琢磨が、その点を問いただしている。

 それに対する中曽根の答えは「アメリカ人に対して『もみ消す』なんていう言葉を使うはずがありませんね。私と大使館の間に入った翻訳者がそう表現したのかもしれないが、日本の政局も考えて、仮に摘発するにしても、扱い方や表現の仕方を慎重に考えてくれと伝えたつもりです」という歯切れの悪いものだった。

 また、同書で中曽根は、「アメリカ側には、田中勢力の打倒においては、三木に期待していたところがあったのでしょう。

田中は石油を世界中から獲得するために、中東だけではなく、ソ連、ノルウェー辺りの石油にまで日本が手に入れようと動き出しているので、アメリカ石油資本が田中は敵(エネミー)だと認識して、彼をやっつけろと。

そういう動きがアメリカ議会やアメリカの政治にありました。

嘘か本当か知らんが、そういう情報もありましたね」と述べている。

 角栄が、米国の虎の尾を踏んだために、葬られたという説を、暗に追認している。

 

・未だ極秘扱いされている人物


「MOMIKESU」と公電に記載されたメッセージを伝達した相手について、中曽根は、「私が個人的に使っているアメリカ通の英語のできる人間に指示したのだろうね」と答えている。

 中曽根の説明の通りだと、中曽根は大使館関係者に会ったのではなく、大使館に通じている密使を立てたことになる。

 奥山と私が、この言動を不思議に思うのは、中曽根がロッキード事件に関与していたのなら、下手な動きは禁物なのに、よりによって米国政府に、隠蔽を依頼しているからだ。


「もみ消しを頼むことそのものが、中曽根さんにとっては、負い目になったはずだと思います。表では『徹底的に究明する』と公言していたのに、裏では国民世論の大勢に背くだけでなく、上司である総理・総裁をも裏切って『もみ消し』を外国政府に依頼した。中曽根さんがアメリカに弱みを握られたのは、間違いないですよね」

 それぐらいの損得勘定は中曽根にも分かっていたはずだ。

国務省への極秘メッセージを依頼した人物について、未だ極秘扱いされていると先述の中島に伝えると、彼は驚いた。

「中曽根さんが、アメリカ大使館にそのような対応を求めていたなら、相手の氏名や所属先を秘密扱いにする必要はありません。大使や公使の署名入りの公文書は、肩書きと名前も含めて公開されています」

 類推すると、やはり中曽根が「MOMIKESU」ことを頼んだ相手は、情報機関─CIA局員の可能性が高いと考えるのが妥当ではないだろうか。

 しかも、CIAといえども一局員の立場では、国務省幹部に伝える権限などなかった。

だとすれば、この公文書は、日本にいた大物情報部員からの報告だったと考えられる。

 

・何をもみ消したかったのだろうか


 国務省幹部に繋がるような立場の人物が、当時日本にいたのだろうか。

 CIAのアセット、ロッキード社のエージェント─。

 可能性のある人物はいるが、それは状況から見た推理に過ぎない。

今もってなお、公文書で明かされない名前がある。

その事実を前にすると、事件を過去のものとして扱うにはまだ早いと感じる。

 果たして中曽根は、何をもみ消したかったのだろうか。

 自民党幹事長という責務を捨て、米国の協力者に強引に頼み込むほどの、暴かれては困る秘密があったのだろう。

 またそれは、中曽根の異常行動にこそ、ロッキード事件の真相を解く鍵があったと裏付けているとも考えられるのではないか。

 中曽根の秘密が暴かれていたなら、角栄は破滅しなかったのではないか。

 しかし、中曽根亡き今、全ては闇の中に葬られてしまった。


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ロッキード事件の“もみ消し”をアメリカ政府に頼んだ中曽根康弘 
~自民党幹事長はなぜ総理を裏切ったのか~
週刊文春(2021/02/06)
https://bunshun.jp/articles/-/43199

 

 

 

 

 


■中曽根氏、大型間接税「やらない」と明言、翌年に売上税法案

毎日新聞 2019/11/29

https://mainichi.jp/senkyo/articles/20191129/k00/00m/010/378000c


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29日、101歳で死去した中曽根康弘元首相。

「国民が反対し、党員も反対するような大型間接税をやる考えはない。この顔がうそをつく顔に見えますか」。

中曽根氏は1986年の衆参同日選でこう宣言し、自民党を圧勝させた。

 しかし、中曽根政権は翌87年に大型間接税である売上税の創設法案を国会に提出。


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中曽根氏、大型間接税「やらない」と明言、翌年に売上税法案
毎日新聞 2019/11/29
https://mainichi.jp/senkyo/articles/20191129/k00/00m/010/378000c

 


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