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■日本経済を“丸ごと刈り取った”ユダヤの陰謀とは? バブル経済崩壊、その巧妙な手口! exciteニュース 2016年11月8日

2022-05-31 05:01:07 | 日記

 

■日本経済を“丸ごと刈り取った”ユダヤの陰謀とは? バブル経済崩壊、その巧妙な手口!

exciteニュース 2016年11月8日

https://www.excite.co.jp/news/article/Tocana_201611_post_11394/


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■日本の富を「刈り取る」ために80年代に実施された仕込み


より広い見方をすれば、日本から富を収奪する計略は、1972年にロックフェラー邸で開かれた米日欧三極委員会(トライラテラル)創設会議からスタートしたと見ることもできる。


なぜなら、この時点で意図的か否かはともかく、いったん欧米諸国の仲間として日本を引き入れたことが、のちの合法的な横領の成功へと繋がったからである。

遅くとも、この三極委員会メンバーで埋め尽くされたカーター政権の末期、つまり80年代に入る頃には、国際銀行家たちによる「日本刈り取りプラン」はすでに完成していたようだ。


発動は次の日米新政権である。81年、ロナルド・レーガンが大統領に、そして82年、日本側のカウンターパートとして中曽根康弘が総理大臣に就任する。

中曽根氏は若手政治家時代からロックフェラーやキッシンジャーと旧知の間柄だった。


また、レーガン政権にはあるキーマンがいた。

それがメリル・リンチ元CEOのドナルド・リーガンである。


レーガンが全幅の信頼を置いたウォール街の代弁者であり、財務長官に就任するや法人税引き下げなどの“レーガノミックス”を推進した。

レーガン政権は発足早々、日本に対して「安保タダ乗り」や「貿易不均衡」などを盛んに言い立て、貿易制裁をチラつかせては、市場開放を強く要求した。


こういった外圧で設置されたのが83年の「日米円ドル委員会」である。

ところが、実態は両国の「協議」とはほど遠く、日本側が直ちに飲むべき要求項目がすでに出来上がっていたという。


端的にいえば、それは日本の金融市場の開放を強く迫るものだった。

協議は異例のスピードで決着し、様々な規制の緩和、外資に対する参入障壁の撤廃、円の国際化、先物・オフショア市場の創設などが約束された。


これにより外資上陸の準備が整えられた。

今にして思えば用意周到な罠だったわけだが、当時は金融や経済の「国際化」という美名に置き換えられた。


そして、中曽根総理もまた経済政策の目玉として「規制緩和」と「民営化」を掲げ始めた。

85年9月、先進五カ国蔵相・中央銀行総裁会議がニューヨークのプラザホテルで開催された。


これにより円は200%もの円高へと向かう。

日本のドル国富が目減りし、日本企業の輸出力が弱体化する一方、ロスチャイルドからカリブ海のタックスヘイブンの資金運用を任されたジョージ・ソロスは、猛烈な円買いドル売りで空前の儲けを手にした。


以後、ソロスは「ロスチャイルドの鉄砲玉」として国家主導の金融システムを攻撃し続ける。

一つの目的は、各国をグローバルな経済連携へと向かわせるためだ。


86年には米証券会社が東京証券取引所の会員になり、以来、外資系証券が続々と日本の金融市場に上陸を開始した。

87年、大蔵省がNTTの株式を市場に売りに出した。


日本電信電話公社の民営化は、国鉄のそれと並び、中曽根内閣の民営化政策の目玉である。

いわば「お上推奨」の株取引だった。


たちまち「NTT株で何百万円儲かった」などの話が巷間に溢れ、普通のサラリーマンや主婦の間にも投機熱が高まった。

88年、国際金融システムの安定化を名目に、国際取引をする銀行の自己資本比率を8%以上とする「バーゼル合意」(いわゆるBIS規制)が決められる。


奇妙なことに、邦銀には自己資本に一定の「株の含み益」を組み込む会計が認められ、これが自己資本率の低い邦銀をして、ますます株上昇への依存に走らせた。

しかも、やや先走るが、バブル崩壊後は、今度は「93年から規制適用」のルールが不良債権問題悪化や「貸し渋り・貸し剥がし」の要因となり、日本経済をさらにどん底へと追い込んでいった。

 

■バブル経済はこうして生まれ、急激に崩壊させられた


ここで日銀の金利政策を振り返ってみよう。

1980年3月、公定歩合は9%だった。


つまり、当時は銀行に100万円を預けると、1年後には109万円になるという、羨ましい時代だったのだ。

ただ、この金利は毎年のように引き下げられ、87年2月には、80年代を通して底となる2.5%をつけた。


今日のゼロ金利時代からすると、それでも預金に殺到したくなるほどの“高”金利だが、当時としてはこれが「戦後最低金利」だった。

とくに80年代後半の利下げには、プラザ合意による急激な円高も関係していた。


当時「円高不況・国内空洞化」が懸念され、大蔵省も日銀に利下げを要請したのだ。

一方で、通貨供給量は80年代後半から年間10%(だいたい数十兆円)レベルで増やされた。


当時は国債の発行高も少なく、金融も今ほどグローバル化していなかった。

その結果、膨大な低利の資金の大半が日本国内の債権と土地に向かった。


当時、株と土地を買うと、誰でも儲かった。

銀行は普通のサラリーマンや公務員、主婦にまで融資した。


「NTTの株で数千万円儲かった」とか、「土地の転売だけで数億円儲かった」などの話が、誰の周辺にも転がるようになった。

銀座のクラブでは毎晩札束が飛び交い、証券会社の20代社員が数百万円ものボーナスを貰った。高級ブランドの購入や海外旅行が当たり前になり、日本全体が熱に浮かされたようにバブル経済に踊った。


一方、まさにこの頃、金融自由化の下、外資が続々と日本に上陸していた。

この「戦後最低金利」は89年の半ばまで続けられた。


だから、80年代の初期から見ていくと、「80年代を通してずっと金融緩和・景気刺激策が行われた」とも言える。

ところがである。


やがて、あまりの土地の高騰などが批判されるようになる。

それが本当の理由か否かは不明だが、まさにバブル経済が膨れ上がったところで、日銀は、今度は一転して金融引き締め政策へと大転換した。


しかも、89年半ばから、わずか1年3カ月という短期間で、2.5%から6%へという、異常な引き上げを実施した。

これだけ短期間での急激な利上げは、今にして思えば暴挙としか言いようのない政策だった。


住宅ローンなどで多額の借金をしている人は、金利が上昇すると、どれほど返済に苦労するか、よくご存知だろう。

当時、急激な金利の上昇を受け、法人・個人は新規の借り入れを手控えた。


また、返済額の急上昇により、多くの投資家が「手仕舞い」を強いられた。

その「損切り」の売りが、また売り呼ぶという負のスパイラルが始まった。


しかも、日銀は、90年代に入るや、やはりそれまでとは一転して、今度はマネーサプライのほうも急減させた。

元栓そのものが絞られたので、銀行も融資を減らさざるをえなくなった。


つまり、金利と通貨供給量の両面で、日本経済は急ブレーキを踏んだのだ。

さらに、その少し前に、ソロモンブラザーズ、モルンガン・スタンレー、ゴールドマン・サックスなどが内外で大量に売り捌いていた数十本ものプットワラント商品が、日経株価に対するレバの効いた空前の売り圧力として作用し始めた。


東証株式市場は雪崩を打ったように崩壊し始め、市場関係者はパニックに陥った。

著名な株価評論家や相場師までが大損し、誰もが「市場で何が起こっているのか分からない」と首を傾げた。


日銀と外資だけでなく、大蔵省までが軌を一にして急ブレーキを踏んだ。

それが90年3月に実施された「不動産総量規制」という金融機関への行政指導である。


簡単にいえば「不動産向けの融資を減らせ」という内容だが、当時、大蔵省銀行局長の通達といえば命令と同じである。

不動産価格の高騰を抑えるのが目的だったが、銀行から融資を受けて不動産に投資していた事業家にしてみれば、いきなり元栓を締められたのと同じだった。


このように、主として「日銀の金融政策」「外資による空売りの仕掛け」「大蔵省の銀行指導」という三つの要因によって、バブル経済は突然崩壊させられたのである。


結果として、日本に金融市場の開放をねじ込んだ当事者たち――ウォール街とその手先――に史上空前ともいえる所得移転がもたらされたのであった。

 

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【超真相】日本経済を“丸ごと刈り取った”ユダヤの陰謀とは? バブル経済崩壊、その巧妙な手口を完全暴露!
exciteニュース 2016年11月8日
https://www.excite.co.jp/news/article/Tocana_201611_post_11394/


■プラザ合意から33年、1985年は何だったのか ~失われた20年から抜け出せていない原因は~ 東洋経済 2018/02/27

2022-05-31 05:00:44 | 日記

 


■プラザ合意から33年、1985年は何だったのか

~失われた20年から抜け出せていない原因は~

東洋経済 2018/02/27

https://toyokeizai.net/articles/-/209556


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・「失われた20年」の原点


1970年代から80年代にかけて、日本経済は活力にあふれ、アメリカを猛然と追い上げていた。

アメリカも、このままではやられてしまうと、日本経済を警戒していた。


当時のアメリカにとって、脅威だったのは、中国ではなく、日本だった。

79年には、アメリカの社会学者エズラ・ヴォーゲル氏が『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を出し、日本では70万部を超えるベストセラーとなった。


この本は日本の経済成長の原因を探ったもので、日本人の学習意欲、読書意欲を高く評価している。

なによりもこの本は、日本人に「もしかすると、日本はすごいのかもしれない」と自信を持たせた。


最近になって中国でも中国語訳が出て注目されており、本のタイトルはまさしく直訳の『日本第一』という。国と国の比較は難しいものだが、ひとつの尺度として、GDP(国内総生産)の数字を見てみよう。

85年のGDP(当時はGNP=国民総生産)は、世界の首位がアメリカの4兆3400億ドルで、2位が日本の1兆3800億ドルだった。


この年の世界のGDPを総合計すると12兆4000億ドルだったから、計算すると、アメリカは世界のGDPの35%を占めている。

まさしく超大国だ。


しかし、2位の日本も12%を占め、アメリカに迫っていることが分かる。

太平洋戦争が終わったのが1945年だから、そのわずか40年後には、日本は、アメリカを追い上げる国として復活した。


アメリカには及ばないにせよ、このころ、日本国内でも、「日本は経済大国」という言い方をするようになった。

3位は、当時の西ドイツで6500億ドル(世界の5%)だった。


日本のちょうど半分の規模であり、日本経済がいかに大きかったかを示している。

4位はフランス、5位はイギリス、6位はイタリア、7位はカナダだった。


この7か国が、主要国首脳会議(G7サミット)のメンバーになるのは、ごく自然なことだった。

ちなみに、中国は、ようやく8位に入っているが、GDPは3100億ドル、世界の2%に過ぎない。


やがて日本を抜き、アメリカに次ぐ経済規模になってG2を自称するようになるとは、このころ、だれも思わなかった。

当時、G2という言い方はなかったが、もしG2という言葉があるとすれば、それは、アメリカと日本のことだった。


その日本は、80年代末にバブル経済の絶頂期を迎えたものの、90年に入るとバブルが崩壊し、「失われた10年」の長期不況に入った。

失われた10年が終わるはずの2000年になっても不況は終わらず、失われた10年は「失われた20年」となってしまった。


2011年には東日本大震災が起き、失われた20年は、いろんな意味でどん底に陥った。

そこに登場したのが安倍晋三首相のアベノミクスだ。


アベノミクスは高評価と酷評とに二分され、なお、評価は定まらない。

ただ、公平に見て、失われた20年が「失われた30年」になることをアベノミクスが防いだのは間違いない。


しかし、アベノミクスからの出口が見えないこともまた事実である。

では、80年代、あれほど元気でアメリカに迫っていた日本経済が、いったい、なぜ、「失われた20年」というような長期不況に陥ってしまったのだろう。


いま私たちは、失われた20年と簡単にいうが、20年に及ぶ長期不況は、主要な資本主義国として、初めて経験する異常な事態だった。

日本は20年もの不況によく耐えたというのが、正直なところだ。


1945年8月15日、日本は太平洋戦争に負け、無条件降伏を受け入れた。

当時の東京の写真を見ると一面の焼け野原で、いったいどうやって、そこから立ち直ったのかと思うほどだ。


しかし、戦後の日本は驚異の経済復興を遂げ、政府の経済白書が早くも1956年に「もはや戦後ではない」と宣言した。

1956年は、終戦から11年しか経っていない。


焼け野原の状況から、たった11年で、戦前の経済水準を回復したのだ。

ところが、バブルが崩壊した後の長期不況は「失われた20年」だ。


日本経済は、太平洋戦争の敗戦から11年で立ち直ったのに、バブル崩壊では20年経っても立ち直ることができなかったのである。

今回の長期不況は、日本経済にそれほどのダメージを与えていた。


日本の失われた20年は、バブル経済の崩壊によってもたらされた。

バブル経済の時期はいつかというと、88年、89年の2年間のことだ。


なぜそういい切れるかというと、その2年間、東証の株価は、24か月連続して上がり続けたからだ。

 


・円高不況の対策に「強力な金融緩和」


実は、バブルの直前、86年から87年の夏ごろまで、日本経済は、かつてない円高不況に見舞われていた。

この円高不況で、日本企業はトヨタもソニーも輸出競争力が下がり、政府も経済界も、このままでは日本経済は沈没するのではないかと本気で心配した。


そこで政府は景気対策を矢継ぎ早に打ち出し、日本銀行は強力な金融緩和を実施した。

これは86年、87年の話だ。


しかし、どこかで聞いたような話ではないだろうか。

そう。黒田東彦(はるひこ)日銀総裁の「大胆な金融緩和」だ。


大胆な金融緩和は、アベノミクスの根幹をなす。

86年、87年は、まず、政府が景気対策を打ち、次に、日銀が金融緩和を繰り返し実施した。


ちょうどそこへ、円高のメリットが遅れて効いてきた。

原油など輸入品の値段が円高によって安くなったのだ。


円高は、デメリットとしてまず不況をもたらしたが、次に、輸入原材料の値下がりというメリットをもたらした。

企業にとっては予期せぬコストカットだった。


それがみな合わさって、88年からバブルが始まった。

ではなぜ、それほどの円高がやってきたのか。


85年9月21日、22日の土日、ニューヨークのプラザホテルに、アメリカの呼びかけで、日本、アメリカ、西ドイツ(当時)、イギリス、フランスの5か国の蔵相と中央銀行総裁が集まった。

G5である。


冒頭で触れたように、当時の日本は活気にあふれていた。

欧米諸国に対して巨額の貿易黒字を出し、世界経済でほとんどひとり勝ちといっていいような状況だった。


しかし、日本から見れば貿易黒字でも、相手から見れば貿易赤字だ。

これにアメリカは不満を持ち、対日批判を強めていた。


アメリカは、日本の黒字の原因は、行きすぎた円安だと分析し、それまでの円安を円高に転換しようと考えた。

円相場は、85年8月に1ドル=240円前後だった。


いま振り返ると、よくそんな円安だったものだと、改めて驚く。

アメリカはこれを問題にし、G5の会議を開いたのである。


G5は、それまでの円安を円高に方向転換することを決めた。

日本もそれを受け入れた。


これを、「プラザ合意」と呼ぶ。

 


・1ドル=75円はプラザ合意による円高の行き着いた果て


85年9月のプラザ合意は非常に効果的で、その直前まで1ドル=240円前後だった円相場が、12月には200円台という円高になった。

翌86年早々には190円台に入り、これが円高不況を呼んだ。


後に、2009年から12年までの民主党政権で、円相場は1ドル=75円という空前の円高をつけた。

これは、プラザ合意による円高が行き着いた果ての数字であった。


2017年、18年は、1ドル=110円前後で推移しているが、これも、85年のプラザ合意から、延々と続く円相場なのだ。

85年のプラザ合意で激しい円高が始まり、それが円高不況を呼んだ。


円高不況に対応するため政府は経済対策を繰り返して打ち、日銀はどこまでも金融緩和を進めた。

そこにちょうど円高メリットが出てきた。


それらのすべてが同じタイミングで重なって効果を発揮し、バブルを呼び起こしたのである。

バブルは、88年、89年の2年間、ふくれるだけふくれて、パチンとはじけて崩壊し、90年から失われた20年が始まった。


すべては、プラザ合意に始まる。

活力にあふれた日本経済は、プラザ合意を境に、根底から変わり始めた。


プラザ合意で日本は、日本経済を弱くすることを自ら受け入れた。

それは、日本にとって事実上の降伏のようなものだった。


しかも、ただの降伏ではない。

合意を受け入れるにしても、円高が行きすぎて日本に悪影響が出た場合はG5を再び招集して、行きすぎた円高を止めるとか、合意の内容を再検討するとか、なんでもいいから、条件を提示しておけば、その後の展開も少しは違ったかもしれない。


しかし、プラザ合意によって長く激しい円高が始まり、日本経済が低迷と停滞に向かうとは、このとき、だれも予想していなかった。

そのため、プラザ合意を受け入れるとき、日本は、何の条件もつけなかった。


その結果、プラザ合意は、日本経済の無条件降伏となったのである。

実のところ、当時の日本には、プラザ合意が無条件降伏になるとの認識はまったくなかった。


それどころか、プラザ合意を主導したアメリカにも、そこまでの認識はなかったと思う。

では、日本はなぜ、プラザ合意を受け入れたのか。


合意を拒否することは不可能だったのか。

合意を受け入れた後、日本経済はどのように変わっていったのか。


85年にプラザ合意を受け入れたとき、日本経済は、すべてが変わった。

円高も、バブルも、バブル崩壊も、失われた20年も、アベノミクスも、すべてプラザ合意が源流となっている。


30年ちょっと前のことだ。

 


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■プラザ合意から33年、1985年は何だったのか
~失われた20年から抜け出せていない原因は~
東洋経済 2018/02/27
https://toyokeizai.net/articles/-/209556


■コロナ危機が暴いた日本の没落<日本総合研究所会長・寺島実郎氏> 日刊SPA! 2021年7月3日

2022-05-31 05:00:15 | 日記


■コロナ危機が暴いた日本の没落<日本総合研究所会長・寺島実郎氏>

日刊SPA! 2021年7月3日 

https://nikkan-spa.jp/1763990


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・進行する「日本の埋没」

 

―― コロナ禍が始まってから1年半が経ちます。現在の状況をどう見ていますか。

 

寺島実郎氏(以下、寺島) 今年5月末で、日本国内で初めて感染者を確認した昨年1月から500日が経ちました。

私たちはここで「コロナ500日」を総括する必要があります。

 

重要なことは、問題はコロナそのものにあるのではなく、コロナがあぶり出した日本の構造的な課題だということです。

結論を先に言えば、今の日本には物事の本質や全体像を体系的・構造的に捉える「全体知」や課題解決のための「総合エンジニアリング力」が決定的に欠落している現実が暴かれたのです。

 

まず政府にはこの500日の政策を総括して国民に語る責任があります。

しかし、政府はそういう政策科学的な説明や総括を一切することなく、ただ緊急事態宣言の延長の可否を判断することだけが政策決定であるかのような錯覚に陥っている。

 

このような迷走そのものが、日本に大変な閉塞状況をもたらしているのです。

象徴的なのは、500日を経て、現段階で日本は国産ワクチンの開発ができていないという事実です。

 

関係者からは、これほど早くmRNAワクチンが登場するなどということは想定外だった、日本では過去にワクチンの副反応問題で厚労省と製薬会社の責任が厳しく追及された経緯から新規開発に及び腰だったというような理由が挙げられていますが、現実には海外からワクチンを購入することに腐心するしかない状況になっています。

 

 

・「やがて日本は間違う」ある臨床医の言葉

 

ここで思い出すのは、昨年お亡くなりになりましたが、ある臨床研究の最前線にいた医師が私によく話していたことです。

 

「やがてこの国は間違う。再生医療にだけ傾斜している。確かに基礎研究は重要だが、最も重要なのは生身の人間に向き合う臨床研究だ」と。

基礎研究の理論は臨床研究で人体にどう作用するかという検証を経て、初めて実用化されますが、基礎研究と臨床試験の間には「死の谷」(デスバレー)が横たわっていると言われます。

 

それほど基礎研究を臨床研究に応用するのは難しいということです。

日本の医療研究は基礎研究ではそれなりの成果をあげられていますが、デスバレーを超えて臨床研究で成果をあげる総合エンジニアリング力が欠けている、ということなのです。

 

その結果、ワクチンをどう入手するか、ワクチンの打ち手をどう確保するかという議論に埋没しているのが、現下の日本の状況なのです。

 

 

・ワクチン以外でも欧米に大きく劣後する日本

 

―― それ以外のコロナ対策も成功していません。

 

寺島 昨年5月から1年間でコロナ患者は5倍に増えた一方、コロナ病床は2倍にしか増えていません。

 

当初、日本は一人当たりの病床数が世界一と誇っていましたが、一般病床とコロナ病床は違います。

今年1月下旬の時点でコロナ病床は欧米の10分の1以下にとどまっていることが判明しました。

 

その結果、政府は昨年から現在に至るまで感染拡大・病床逼迫・緊急事態宣言というルーティーンに陥っています。

コロナ病床が不足するから緊急事態宣言を出すという説明は、「コロナのトンネル」に入った昨年時点なら通用したかもしれませんが、500日経った今では本来通用しません。

 

なぜこの間に、コロナに対応する病床を増やしたり、専門病院を作ることができなかったのか。

1年以上、何をしていたのかということです。

 

また、政府は昨年度に第1次補正から第3次補正まで、総額76・6兆円の補正予算を組み、「1人10万円」の特別定額給付金をはじめとする総額55・9兆円の経済対策を行いました。

それに対して、医療対策は9.2兆円であり、予算全体の1割程度にすぎません。

 

しかし、その経済対策が果たして効果的だったのか、これはしっかり検証しなくてはなりません。

たとえば、特別定額給付金の効果により、昨年の勤労者世帯のひと月当たりの可処分所得は47.7万円(2019年)から49.9万円に増加しました(ただし、給付金を除いて試算すると47.1万円となり、19年から0.6万円減少)。

 

それに対して、昨年の全世帯家計消費支出は29.3万円(2019年)から27.8万円に減少しています。

つまり、給付金によって使えるお金は増えたが、実際に使われたお金は減ったということです。

 

消費刺激という政策的な効果については、ほとんどなかったと言えます。

生活保障政策ならば、全国民に一律10万円を給付するより、年収二百万円以下の低所得者層に重点的に現金を給付した方が効果はあったでしょう。

 

その分浮いた予算を特効薬・ワクチン開発を中心とする医療対策に回していれば、現在の状況も変わっていたはずです。

政府がこうした政策科学を重視しないという事実の中に、日本の政治的貧困が滲み出ているように思えます。

 

 

・日本の産業を弱体化させたアベノミクス

 

―― 日本は先進国から転落したと言っても過言ではありません。

 

寺島 ここで指摘しておきたいのは、日本はこの10年の間にコロナ禍と東日本大震災という二つの災禍に見舞われたという視点です。

 

この二つの危機を冷静に総括する必要がある。

東日本大震災から10年が経ちますが、この間に政府は復興庁を創設し、2019年度までに37兆円の復興予算を投入しました。

 

その結果、被災地はどうなったか。

まず人口減です。

 

東北6県の人口減は震災前から進んでいましたが、震災がその流れを加速させ、2019年時点で、岩手、宮城、福島の被災3県では人口が32.9万人(6.1%)も減っています(2010年比)。

厚労省の予測によれば、2015年から2045年の30年で、東北6県の人口は30%以上減るとされています。

 

次に産業構造の歪みです。

被災3県の県内総生産について2017年度時点で、1次産業は33.9%減少した一方、2次産業は29%、3次産業は6.2%増加しています(2010年度比)。

 

原発事故の影響で1次産業が打ちのめされた一方、復興予算の投入によって2次産業の建設土木関連が急拡大を遂げ、その恩恵にあずかった3次産業も潤ったという構図です。

しかし、現実として復興予算が投下されなくなるにつれ、2次産業、3次産業もシュリンクし始めています。

 

つまり、37兆円の復興予算が土木建設業を中心に投入され、ハード優先の復興が進められた結果、被災地の産業構造が歪められ、人間の顔の見えない地域に変質したということです。

そのため、県別・市町村別の復旧復興計画はがれき処理、高台移転、防潮堤建設はそれぞれ何%進んだと、数字上は復旧復興が進んだことになっていますが、人口は減っている。

 

ハコモノだけは作ったが、人間の生活は戻ってきていないのです。

それは、被災3県を含む東北6県の全体を見渡した上で、この地域にどういう産業を興し、いかなる生活の基盤を築き上げるのかという総合的な構想、グランドデザインが描かれていないからです。

 

その結果、本当の意味での創造的復興は実現できていないというのが、東日本大震災から10年後の現実です。

 

 

―― 総合的構想力の欠如により、日本は二つの危機を克服できていない。


寺島 その間に、アベノミクスなるものがあったわけです。

 

私は以前から日本の危機的状況について警鐘を鳴らしてきたのですが、「株価が高いからいいではないか」という楽観視が先行して、危機感を共有する人は少なかった。

株高円安というアベノミクスの上辺だけの効果で、「日本もそこそこ上手くいっている」という幻想にまどろむ経済人が多かったのです。

 

しかし、すでにアベノミクスが公的資金、すなわち日銀マネーとGPIFの年金資金をダイレクトに株式市場に突っ込み、異次元の金融緩和を進めるだけの人為的な株高円安誘導政策にすぎなかったことは一目瞭然です。

その結果、我々は今まさにコロナ危機によって「経世済民」という意味での実体経済の虚弱化が顕在化し、それによって著しく弱体化した日本産業の凋落が白日の下に晒されるプロセスを目撃しているのです。

 

 

・日本の基幹産業はメルトダウンした

 

―― コロナ禍で日本唯一の優位性だった経済力も打撃をうけています。

 


寺島 いま国際社会の中では「日本の埋没」という認識がコンセンサスになりつつあります。

 

たとえば、世界全体のGDPに占める日本のGDPの割合はピーク時の17.9%(1994年)から既に6%(2020年)まで縮小しています。

わずか四半世紀のうちに世界経済における日本経済の存在感は3分の1に圧縮されてしまったのです。

 

私は様々な企業の経営者と議論してきていますが、コロナ危機を機に彼らが心の中に押しとどめていたトラウマがはっきりと浮かび上がってきたと感じます。

最大のトラウマは、MRJ(三菱リージョナルジェット、現MSJ)の挫折です。

 

これは三菱重工を中心とする中型ジェット旅客機の国産化計画であり、「自動車産業一本足打法」と言われる産業構造から脱却して新たな宇宙航空産業を切り開くという、日本産業界の希望とビジョンを託した一大プロジェクトだったのですが、巨額の開発費をかけた末に、昨年凍結に追い込まれました。

 

表向きはコロナ禍によって航空機需要が見込めなくなったと説明されていますが、現実には総合エンジニアリング力不足から頓挫したのが実態です。

 

これまで日本は部品や部材を開発製造する要素技術は世界一流、ボーイングのパーツの半分以上は日本が作っているなどと胸を張っていましたが、実際に自分たちでやってみたら、個々のパーツを作ることと完成体を作ることでは次元が違うという事実に直面したわけです。

 

自前でジェット機を完成させるには、個々の要素技術だけではなく、総合エンジニアリング力が必要だったのです。

 

その力が不足していたために、たとえば当初は最先端のパーツを投入することで燃料費を2割削減するという大きなビジョンを掲げて動き出したプロジェクトが、そのうちアメリカの型式認証をクリアするためにはボーイングで認証済の部材を使ったほうが速いという話となり、計画が徐々に矮小なものに収斂していったというのが実際のところなのです。

 

 

・アベノミクスという幻想に寄りかかり、衰退した日本の産業

 

―― 他の日本企業も惨憺たる状況です。

 

寺島 戦後日本は鉄鋼・エレクトロニクス・自動車を基幹産業とする工業生産力モデルの優等生として成功を収めてきたという自負心がありましたが、それらの基幹産業の実態は深刻です。

 

鉄鋼分野では、すでに日本製鉄が国内高炉4基の閉鎖に着手しています。

それにより、数年前まで1.1億トンを維持していた日本の粗鋼生産量は、今年中に8000万トンを割り込むことになります。

 

エレクトロニクス分野でも、東芝が原子力事業に躓いたことから「ファンド」と称するマネーゲーマーに振り回され、株主利益を最優先する超短期的経営を強いられた結果、医療機器から半導体まで有望な分野は次々と売却させられています。

 

「技術の東芝」は、まるで生体解剖のようにバラバラにされてしまい、もはや見る影もないという状態まで追い込まれてしまいました。

自動車分野ではトヨタがしっかりと持ちこたえているように見えますが、国際的なルール形成に後れをとったため、後手に回ってジリジリと追い詰められています。

 

国際社会ではいつの間にか「Co2ゼロ」が既定路線にされた結果、突如として欧米ではガソリン車・ハイブリット車禁止の方向が決まり、今後は電気自動車(EV)でなければならないというルールが形成されつつあります。

それにより、世界で1000万台近くの自動車を生産しているトヨタの時価総額よりも、36万台程度しか生産していないテスラの時価総額のほうが高いなどというパラドックスが生まれています。

 

環境問題を理由とする自動車業界のルール変更は、見方によれば「トヨタ潰し」とも言えるような状況になっているのです。

日本の技術力は世界最高峰だ、円高株安のアベノミクス万歳などと安易に寄りかかっているうちに、日本の基幹産業はメルトダウンして国際競争力を失いつつあるのです。

 

ワクチン開発の遅れ、MRJの挫折、基幹産業のメルトダウン、さらに言えば東日本大震災からの復興の歪み、アベノミクスへの耽溺、コロナ禍での迷走、これらの問題の根源はいずれも総合エンジニアリング力、構想力の欠如なのです。

これこそが東日本大震災から10年、コロナ500日の今、日本人が肝に銘じるべき教訓です。

 

 

・「ジャパノロジスト」が復権したバイデン政権

 

―― 経済的影響力の低下は、政治的・外交的影響力の低下に直結します。

 

寺島 外交構想力の欠如も深刻です。先日、日米首脳会談が行われましたが、ここで明らかになったのは、トランプ政権時代に排除されていた「ジャパノロジストの復権」です。

 

リチャード・アーミテージやマイケル・グリーン、カート・キャンベルといった日米同盟をワシントンでのビジネスにしている、いわゆる「ジャパノロジスト」が、バイデン政権になって日米関係の中枢に舞い戻ったのです。知日派と親日派は違います。

 

首脳会談では菅総理とバイデン大統領はファーストネームで呼び合い、日米安保条約第5条を尖閣諸島に適用するとされたことで、日本では成功であるかのように報道されました。

しかし、こうしたバイデン政権の対応は、明らかにジャパノロジストから「こうすれば日本人は喜ぶ」と入れ知恵されたようなものです。

 

たとえば、アメリカは米中国交正常化以来、尖閣諸島に対する日本の施政権は認めるが、領有権については態度を示さないという曖昧戦略を続けています。

だからアメリカから「日米安保第5条を尖閣諸島へ適用する」と言われたならば、「では、アメリカは尖閣諸島に対する日本の領有権を認めるのか」と即座に聞き返さなければならない。

 

「第5条尖閣適用」の一言を有難がり、本領安堵された御家人のように安心して帰ってくるようでは話になりません。

ファーストネームも第5条尖閣適用も、いわば日米同盟の固定化を自らの利害とするジャパノロジストに仕掛けられたものにすぎません。

 

ところが、日本人は相変わらず彼らの手のひらで踊らされ、喜ぶような自虐の構造にはまり込んでいるとも言えます。

日米首脳会談では台湾問題にも言及しましたが、仮に中国が台湾に侵攻した場合、米軍が動くとなれば、台湾に米軍基地は一つもなく、沖縄から出撃することになり、日本は否応なく米中戦争に巻き込まれる危険性をはらんでいます。

 

米中対立でどちらにつくのかという議論が先行していますが、これでは日本の21世紀は開かれません。


日本の貿易相手国のシェアは、2000年にはアメリカ25%、中国10%でしたが、2020年にはアメリカ14・7%、中国23・9%と逆転し、2030年にはアメリカ12%、中国26%とダブルスコアになると予想されています。

 

日本は中国との関係によって経済を成り立たせるという実態の中で、日米同盟を強化して中国の脅威に対抗するという歪んだ戦略を進めることで、自らパラドックスの中に突っ込んでいるのです。

こうした状態から脱却し、米中対立という枠組みを超えて、大国の力学に揉み潰されない主体性を取り戻さなければなりません。

 

 


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■コロナ危機が暴いた日本の没落<日本総合研究所会長・寺島実郎氏>
日刊SPA! 2021年7月3日 
https://nikkan-spa.jp/1763990


■ありえない手口で安倍首相が″お友達″を検察トップに! 仰天人事に元検察同期も怒り爆発! さよなら、三権分立 livedoorニュース(2020年5月12日)

2022-05-30 05:15:37 | 日記

 

■ありえない手口で安倍首相が″お友達″を検察トップに!

仰天人事に元検察同期も怒り爆発! さよなら、三権分立

livedoorニュース(2020年5月12日)

https://news.livedoor.com/article/detail/18248121/


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日本の「三権分立」が今、深刻な危機に瀕(ひん)している。


三権分立とは、統治機構を支える3つの権力、すなわち「行政」「立法」「司法」の三権を、それぞれ内閣、国会、裁判所という独立した機関が担うことで、権力の乱用を防ぐ仕組みのこと。


だが、安倍晋三政権の下で2014年に設置された内閣人事局による「人事権を介した官僚支配」が着々と進み、政府・与党の意をくんだ官僚が大量発生。その"忖度官僚"たちは公文書の改竄(かいざん)や破棄にまで手を伸ばし、森友・加計問題から「桜を見る会」まで安倍政権をめぐる数々の疑惑はうやむやなままになっている。


それに、本来は政権のチェック機能を担うはずの国会でも噛み合った議論はまったく行なわれることなく「三権のバランス」は大きく崩れているのが現状だ。

そんななか、2月8日に63歳で定年退官を迎える予定だった東京高検検事長の黒川弘務氏について、政府は1月31日、前例のない「定年の半年延長」を閣議決定した。


黒川検事長は安倍首相や菅 義偉・官房長官に近く、法務省官房長在任時には、甘利明・元経済再生担当大臣の口利きワイロ事件や、小渕優子・元経産相の公選法違反などが不起訴になるよう、捜査現場に圧力をかけてきた人物とされる。


「その忠勤ぶりが認められたのか、甘利事件が不起訴になった2ヵ月後、黒川さんは昇進がほぼ確実視されていた林 眞琴・法務省刑事局長(当時)を差し置き、法務省事務次官に就任しています。

それで司法記者の間でついたあだ名が『安倍官邸の番犬』(笑)。


そして、現在の彼の東京高検検事長というポストは、検察のナンバー2。

ここで彼の定年を半年延長すれば、この夏にも勇退予定の稲田伸夫・検事総長の後を継ぎ、黒川さんが検察トップの座に就く可能性が大です」(全国紙政治部デスク)


東京地検特捜部副部長や東京高検検事を歴任した経験を持つ弁護士の若狭 勝氏もこう憤る。


「これは検察の独立性を踏みにじり、政治が検察の人事に露骨に介入した、あってはならない話です。しかも政府は、検察官も一般の国家公務員と同じであるかのように定年延長を決めてしまった。これは違法の可能性もあるのです」


元共同通信社記者でジャーナリストの青木 理氏もあきれた表情でこう語る。


「ここまでやるのか......というのが率直な印象ですね。確かに、以前から『安倍政権が黒川氏を検事総長に据えようと動いている』という情報は耳にしていました。


しかし、現職の稲田検事総長にはまだ任期が半年近く残っており、稲田氏が自ら退任しない限り、2月8日で定年を迎える黒川氏には検事総長の目はないとみられていた。実際、法務省記者クラブは黒川氏の送別会まで予定していたといいます。


それを、政府がこれほど強引な手段を使ってまで、黒川氏を検事総長に据えようとしていることには驚きました。

検察は容疑者を刑事裁判にかける権限をほぼ独占していて、必要なら身柄拘束もできるし、強制捜査もできる。


特捜部に至っては政治家の捜査も行なうという強大な力を持つ組織です。


その検察に、政治が人事権を介して手を突っ込み、自分たちの息のかかった人物を検事総長に据えて操ろうというのなら、それが社会に与える害悪はあまりにも深刻です」(青木氏)


ちなみに、森雅子法務大臣は今回の定年延長について、国家公務員法81条に基づく合法的な人事だと主張し、「東京高検検察庁の管内において遂行している重大かつ複雑困難事件の捜査公判に対応するため、黒川検事長の指揮監督が不可欠であると判断したため」と説明している。


しかし、前出の若狭氏は「森法相は上の指示で仕方なく言わされているのかもしれないが、ハッキリ言ってばかげている」と一蹴する。


「もちろん検察は行政の一部で公務員ですが、その職務上、裁判官に準ずる『準司法官』的な立場にある。検察官が政治家の顔色を気にして職務にあたる必要がないよう、特別法である『検察庁法』によって身分、それに政治権力からの独立も保障されています。その検察庁法では検事の定年を63歳、検察トップの検事総長の定年を65歳と厳格に定めている。当然、東京高検の黒川検事長は、2月8日の誕生日に定年退官しなければならなかった。ところが政府は、国家公務員法の『定年延長規定』を適用して定年を半年延長することで、強引に黒川氏の検事総長就任の道を開いた。検察庁法で定められた検事の定年を国家公務員法で延長するというのは、明らかな違法行為だと私は思います」


元東京地検特捜部検事の郷原信郎弁護士も次のように断言する。


「当然、検事の定年は国家公務員法でなく検察庁法を適用すべきで、黒川さんの定年年齢63歳を延長した閣議決定は検察庁法違反です。この決定により2月8日以降、違法に高検検事長がその職に居座るという事態になってしまった。法を厳正執行する立場の検察として、それはありえません。検察は一刻も早く、この違法状態を解消すべきでしょう」


前出の若狭氏の怒りはこれだけでは収まらない。


「そもそも違法性以前の問題として検察人事に政府が介入すれば、ほかの省庁で起きている問題と同様、検察官が政治に忖度し、政権政党の顔色をうかがって事件処理をすることにもつながりかねない。ここ数年、特捜部が扱った事件を見ても、森友・加計学園、近頃の桜を見る会やIR疑惑など、検察は『政権を揺るがすまで徹底的にはやらない』という印象です。この先も、その傾向が強まればとんでもない話で、この国の統治機構の根幹を危うくする事態です」


これまでも安倍官邸は、黒川検事長を法務省事務次官、東京高検検事長に栄進させるために、彼の同期で次期検事総長ナンバーワン候補だった前述の林氏(現在は名古屋高検検事長)の法務省事務次官就任を2度も拒んでいる。


その意味することは検事総長への出世ルートの遮断だ。

一方、稲田検事総長は三度目の正直とばかり、自分の後任に林検事長を据える腹積もりだったとされる。


林検事長が63歳となるのは今年7月30日で、稲田検事総長が今夏に勇退しても十分、後任になることが可能なのだ。

こうした検察内の事情を受け、元経産官僚の古賀茂明氏が言う。


「検事総長の任期は2年前後。林さんが検事総長になれば、22年7月の定年まで務められます。一方、安倍首相は4選せずに、21年秋で首相を辞める確率が徐々に高まっている。その時点で任期を1年残す林検事総長がどう動くか?何しろ、この政権には過去に2度も昇進を邪魔されているんです。正義を執行する本来の検察の復活も果たしたいという強い思いもある。今がチャンスとばかりに『桜を見る会』疑惑やIR汚職事件の捜査をせよと、検察に大号令をかけるかもしれない。そうなれば、安倍首相の身辺に捜査が及ぶのは必至です。歴代の韓国大統領の多くが退任後、逮捕・訴追されたのと同様、安倍さんも牢屋送りにされることを恐れているのでは?」


前出の若狭氏が語る。


「実は、僕は黒川さんも林さんも同期で、検察官になる前、司法修習生の頃からの付き合いなのでふたりともよく知っているのですが、黒川さんは優秀な上に人当たりが良い性格で、ひょうひょうとしているところがあるから政治家とすれば使い勝手がいい。逆に、黒川さんの側も政治家をうまく使っているという感じでしょうか。ただし、それほど出世に執着するタイプではないというのが僕の印象です。一方の林さんはもともと裁判官を目指していたのに、検察官になった優秀な検事で、典型的な法務官僚タイプ。同期の中でも常に一目置かれる存在でした。共謀罪法案などでも刑事局長として頑張っていたので、検察内でも林さんが先に法務次官になり、ゆくゆくは検事総長になるんだろうと、多くの人が思っていたはずです」


だが、前述のように、官邸は黒川氏を法務省事務次官に指名。

その後も東京高検の検事長として重用している。


その過程で、検察内部に「結局、自分たちの人事と将来は官邸が握っているのだ」という印象が強まっていったことは想像に難くない。


また、黒川氏を検事総長に据えたい安倍政権は、稲田氏に任期中の退任を迫ったといわれるが、4月に京都で行なわれる刑事司法の国際会議までは現職にとどまりたい意向を示して退任を固辞したため、最後は黒川氏の定年延長という禁じ手を使った。


まさになりふり構わず検察への影響力を強めようとしているわけで、そこに込められた官邸のメッセージは強烈だ。

黒川氏の定年延長が決まった直後の2月3日に、IR疑惑で逮捕された秋元司議員以外の国会議員の立件見送りが報じられたのは、偶然だろうか。


「司法に関わり、時には強い権限を持つ検事の仕事には単に『公正さ』が求められるだけでなく、多くの国民から『公正で信頼できる』存在だと思ってもらえる『公正らしさ』が求められるのです。その検察官のトップとして、検察全体を指揮する立場にある検事総長に、『安倍政権の意向で強引に指名された人』というイメージがあったのでは、誰が検察に『公正らしさ』を感じるでしょう。僕は古くからの友人である黒川さんが、検事総長になる前に自ら退任する可能性があるのではないかと思っています」(若狭氏)


「安倍政権には国家安全保障局長の北村滋局長をはじめとして、官房副長官の杉田和博、宮内庁長官の西村泰彦と、警察官僚出身者が数多く食い込んでいる。これに加えて、政権が検察への影響力を強めれば、圧倒的な情報収集力を持つ警察と、強制捜査や身柄拘束が可能で、刑事裁判で99%以上の有罪率を誇る検察の権力が、政権に都合のいい形で使われる恐れがある。もっと恐ろしいのは、こうして政権内部に食い込んだ警察や検察が政治に利用されるのではなく、その情報力で逆に弱みを握り『政治家を操る』という可能性も否定できないということ。その先にあるのは、権力が暴走する暗黒の未来です」(青木氏)


もちろん検察は「行政」の一部だが、日本の「司法」は事実上、検察が有罪か無罪かの判断をし、裁判所は量刑を決める場所になっている。

検察が司法に対して、強大な力を持っていることは否定できない。


その検察が政権と結びつくような動きを見せれば、それは国家の根幹を支えている三権分立が崩壊したと言われても仕方ないだろう。


2月12日の衆院予算委。黒川検事長の定年延長は「政権の守護神として残しておきたかったのでは?」と迫る野党議員に、安倍首相は薄笑いを浮かべながら、「なんとかの勘繰りではないのかと言わざるをえない」と反論している。


だが、果たして首相の計算どおりに進むものなのか? 

前出の郷原弁護士はこう首をかしげる。


「黒川検事長の定年延長問題はメディアに報じられ、その異様さを多くの国民が知るところとなっている。これだけ世間で騒がれて、黒川さんはこれから半年間も検事長の職を続けられるのでしょうか? また、半年間を違法な状態のまま乗り切ったとしても、その後に稲田検事総長の後任として就任するのか?もし就任すれば、その瞬間に検察の威信は失墜し、誰も検察を信用しなくなるでしょう。本当にそこに黒川検事長が踏み込めるのか? ちょっと疑問です。場合によっては安倍政権の思惑どおりに事が運ばない可能性もあると感じています」


前出の政治部デスクもこうささやく。


「稲田検事総長の去就も注目されます。このまま官邸人事に従うのか? 検事総長の任期は約2年というだけで、その勇退時期や後任は総長自らの判断で決めるというのが検察の慣習です。もし、稲田検事総長が黒川検事長の定年延長期間が終了する8月7日以降に退任をずらせば、再び閣議決定をして定年を再延長しないかぎり、黒川氏は東京高検検事長のまま退職するしかない。これだけ批判が出ている。さすがに再延長はいくら安倍政権でも難しいでしょう。そうなれば、官邸人事は不発となります」


8月7日以降、検事総長の椅子に座っているのは果たして誰なのか? 

そして検察による政権スキャンダル捜査はどうなるのか? 


官邸vs検察のバトルから目が離せない。

そもそも検察とは、社会の悪と闘うこの国の「免疫系」のはず。


それが政府と一体化し、この国の三権分立を死に至らしめないよう、われわれはしっかりと監視してゆく必要がある。

 

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■ありえない手口で首相が″お友達″を検察トップに!
仰天人事に元検察同期も怒り爆発! さよなら、三権分立
livedoorニュース(2020年5月12日)
https://news.livedoor.com/article/detail/18248121/


■夫が残した“責任のバトン” 赤木ファイル・妻の闘い NHK 2021年6月1日

2022-05-30 05:14:14 | 日記

 


■夫が残した“責任のバトン” 赤木ファイル・妻の闘い

NHK 2021年6月1日

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210601/k10013060331000.html


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「私の雇い主は国民。国民のために仕事ができることを誇りに思っています」。


こう口癖のように語っていた近畿財務局の職員、赤木俊夫さん(享年54)が財務省の決裁文書の改ざんに関わったことへの「責任」を考え抜いた末、自ら命を絶って3年が経ちました。

いま、妻の赤木雅子さんは裁判を起こし、なぜ改ざんが行われ、国民に尽くしてきた夫が死ななければならなかったのか国に答えを求め続けています。


「夫は苦しんで苦しんで改ざんをして苦しみ抜いて誰にも助けてもらえなかった。夫の事をもう見捨てないでほしい」。

1人で裁判を闘っているのは亡き夫から“責任のバトン”を受け取ったと考えているからです。取材で知った、妻の思いを伝えます。

 


・夫が命をかけた「責任」

 

私たちが赤木雅子さんに初めて会ったのは去年5月。

俊夫さんが残した手記を公表し、裁判を始めて間もない頃でした。

雅子さんの手元にはその「手記」や「手書きのメモ」が大切に保管されています。

そこには、決裁文書の改ざんの経緯や関わってしまった事を強く後悔する俊夫さんの思いがつづられていました。


「この事実を知り、抵抗したとはいえ関わった者としての責任をどう取るか、ずっと考えてきました。事実を、公的な場所でしっかりと説明することができません。今の健康状態と体力ではこの方法をとるしかありませんでした。(55才の春を迎えることができない儚さと怖さ)」(手記より)


「雅子へ これまで本当にありがとうゴメンなさい 恐いよ」(手書きのメモより)

 

・夫が強いられた改ざん


俊夫さんが決裁文書の改ざんに関わったのは2017年の2月です。

当時、国会では、森友学園の土地取引をめぐる問題について激しい論戦が続いていました。

小学校の用地として学園に売却された国有地が地中のゴミの撤去費用などとして「8億円値引き」されていたことが発覚。

小学校の名誉校長が安倍前総理大臣の妻の昭恵氏だったことから「政治が関与した不当な値引きではないか」との疑念が持たれたのです。

2月17日、安倍前総理大臣は国会で「私や妻が関係していれば総理大臣も国会議員も辞める」と関与を否定します。

この発言をきっかけに追及を強めた野党の質問に、財務省の担当者として答弁していたのが当時、理財局長だった佐川宣寿氏です。

 

「近畿財務局と森友学園との交渉記録はございませんでした」「面会等の記録は残っていないということでございます」(2月24日・衆議院予算委員会での答弁)


しかし、実際には関連文書は残っていて、佐川氏の答弁が虚偽だったことが後に発覚します。

財務省がこの改ざん問題について内部で調査し、2018年6月に公表した報告書によると、この頃、本省内では文書に政治家関係者からの照会状況に関する記載があることが問題視されていました。

調査報告書は部下から報告を受けた佐川氏が、こうした記載のある文書は外にだすべきではないと反応したことで、昭恵氏や政治家の名前を削除するなどの改ざんが始まったとしています。

改ざんの理由は「国会審議の紛糾を懸念」し、「更なる質問につながり得る材料を極力少なくすること」だったとしています。

改ざんが始まったのは佐川氏の国会答弁の2日後の26日。

日曜日でした。

この日、久しぶりに休みが取れた俊夫さんは雅子さんと自宅近くの梅林公園を散歩していました。

満開の梅の花を眺めていたとき、呼び出しの電話がかかってきました。

 

雅子さん「信頼する上司の方から電話があって、『僕、助けに行ってくるわ』と向かったんですね。もう行かなきゃいいのになと思ったけど、一生懸命やるべき仕事なんだろうなと思ったので『頑張ってきてね』と送り出したんです」


この日を境に、俊夫さんの生活は一変します。

出先機関の財務局の一職員で、森友学園の契約担当でもなかった俊夫さんの「手記」には、本省や幹部職員からの不正な作業の指示にあらがいきれなかった状況が記されています。


「第一回目は昨年2月26日(日)のことです。当日15時30分頃、出勤していた統括官から本省の指示の作業が多いので、手伝って欲しいとの連絡。現場として私はこれに相当抵抗しました。(近畿財務)局長は、本件に関して全責任を負うとの発言があったと(管財)部長から聞きました。本省からの出向組の(管財部)次長は、『元の調書が書き過ぎているんだよ』と調書の修正を悪いこととも思わず、あっけらかんと修正作業を行い、差し替えを行ったのです」(手記より)

 

・改ざん後も“嘘の対応”


組織の判断によって俊夫さんが強いられた不正は、改ざんだけではありませんでした。

財務省は、森友学園との応接録について市民から開示請求を受けた際、実際には存在するのに「文書不存在」と偽り、「不開示決定」をしていました。

この対応をした担当者のひとりが俊夫さんでした。

 

・口癖は「私の雇い主は国民」


不正に関わる前、俊夫さんはよくこう話していたといいます。

「私の雇い主は国民。国民のために仕事ができることを誇りに思っています」。

俊夫さんが愛用していた手帳には「国家公務員倫理カード」が大切に挟まれていました。

・国民全体の奉仕者であることを自覚し、公正に職務を執行していますか?
・国民の疑惑や不信を招くような行為をしていませんか?

国民の代表者が集う国会に出す偽りの文書の作成、それに情報公開請求という国民の権利をないがしろにする嘘の決定。

公務員の職務からかけ離れた行為への関与に俊夫さんの心は壊れていきました。

うつ病を患い、休職せざるをえなくなりました。

職場で夫に何が起きていたのかわからない雅子さん、苦しむ夫のそばにいながら、何もできなかったといいます。


雅子さん「ちょっとずつちょっとずつ夫が壊れていくんです。だんだん幻聴とか、幻覚がひどくなりました。一生懸命職場に戻ろうとしていました。生活の事もあるけど、自分の人生としてもこのままではダメだと。大好きだった職場に帰りたかったんだと思います。でも、できませんでした。私もどう助けていいのか、どう言葉をかけていいのかわからなくてどうしてあげることもできなかったです」


2018年3月7日、俊夫さんは自宅で自ら命を絶ちました。

その日の朝、布団で横になっていることが多くなっていた俊夫さんは、仕事に向かう雅子さんを玄関まで見送り「ありがとう」と声をかけました。

2人が交わした最後の言葉でした。

 

・なぜ裁判、夫からの『バトン』

 

夫の死から2年が過ぎた去年3月、雅子さんは、俊夫さんの手記を公表し、国(財務省)と佐川氏に損害賠償を求める裁判を大阪地方裁判所に起こしました。

この間、俊夫さんが手記に記していた「関わった者としての責任」とは何か、考え続けたといいます。

財務省の調査報告書には、改ざんについて「真摯に反省し、二度と起こらないよう全省を挙げて取り組んでいく」との“決意”が書かれています。

しかし、報告書には、俊夫さんが亡くなったことは一切触れられていません。

雅子さんは、その決意を空虚なものに感じていました。

そして、出した答えが、裁判を通して職場で夫に何があったのか真実を明らかにするということでした。


雅子さん「夫の手記を見たときにこれは夫が世の中に投げかけていると気づきました。夫はいまの体力ではこの方法しかとることができないと残していましたが、私はその『バトン』を渡されたと思っています。夫がひとり悩んで受け止めて受け止め過ぎてしまった『責任』。裁判を通して今度は自分が果たせたらと思うんです」


雅子さんは「賠償金を得るための訴えではない」と話します。

訴状には「改ざんが誰の指示で行われたのかを法廷で当事者に説明させるとともに、保身やそんたくによる軽率な判断や指示で現場の職員が苦しみ命を絶つことが2度とないようにすることがこの裁判の目的だ」と書かれています。

 

・裁判での国・佐川氏の姿勢


始まった裁判で、国(財務省)は、改ざん行為や、関与した俊夫さんがうつ病を発症し自殺したという基本的な事実関係について争わないという考えを示しました。

そして、争いがない以上、法廷での当事者の証言や改ざんの経過がわかる証拠の提出は必要がないと主張しました。

雅子さんの訴えは損害賠償請求の形を取っています。

「賠償額の算定だけで審理を早く終えたい」「終わった話を蒸し返されたくない」そういう国の考えがにじみ出ていると雅子さんは感じました。

一方、佐川氏側も「公務員は在職中の行為で個人として賠償責任を負わない」と主張して、証人尋問などの具体的な審理に入ることなく訴えを退けるよう求めました。

 

・“赤木ファイル”の存在


この裁判で雅子さんが力を注いできたのが俊夫さんが職場に残したとされる“赤木ファイル”を社会に公開することです。

その存在は、弔問に訪れた俊夫さんの元上司が打ち明けていました。


元上司「(改ざん)前の文書であるとか、修正後のやつであるとか、何回かやりとりしたようなやつがファイリングされていて、それがきちっと、パッと見ただけでわかるように整理されてある。これを見たら、われわれがどういう過程で(改ざんを)やったかというのが全部わかる。めっちゃきれいに整理してあるわと。全部書いてあるんやと。どこがどうで何がどういう本省の指示かっていうこと」(元上司の音声データより)

 

しかし、国(財務省)は、赤木ファイルについても「裁判とは関係なく、存否を明らかにする必要はない」として、存在するかどうかの確認すら拒んだのです。

 

・赤木ファイル、国会でも議論に


裁判が続く中、国会の場でもファイルのことが取り上げられるようになりました。

野党議員が存否を明らかにし公開するよう求めたのです。

ところが、ここでも国はかたくなに拒みました。

しかも、理由は「裁判に不当な影響を及ぼすことになりかねない」というものでした。


雅子さん「裁判では『訴えに争いがないから提出する必要がない』と答え、国会では、『裁判に不当な影響を与えるから回答しない』というのは二枚舌です」


雅子さんは、いまでも組織防衛が優先されていると感じ、裁判が開かれるたび、自ら法廷に立って訴え続けました。

「裁判官の皆様にお願いがあります。訴訟の手続きは私には難しくてわかりませんが、夫が自ら命を絶った原因と経緯が明らかになるように訴訟を進めてください」。

「誰でもいい、本当のことを教えて欲しい」。

「私は真実が知りたいだけです」。

俊夫さんと共に働いてきた職場の同僚の心にも届くように。

 

・裁判の転機、ファイル公開へ


ことし3月下旬、こう着していた裁判が大きく動きました。

訴訟指揮をとる中尾彰裁判長が、非公開の進行協議の中で、国に対して「審理を進める上で、赤木ファイルの内容を確認する必要があると考えている」と伝えたのです。

そして、提出命令を出すことも示唆し、自主的に開示するよう強く促しました。

雅子さんのことばが裁判を動かした形です。

裁判所から対応を迫られた国は5月6日、ついにファイルの存在を認め、開示に応じることを表明しました。

これについて財務省は「何か対応を一転させたわけでなく、原告の申し立てや裁判所の訴訟指揮に応じて手続きを積み重ねてきた」としています。

 

・ファイルに新事実は


国は赤木ファイルには、▽改ざんの過程などが時系列でまとめられた文書や、▽財務省理財局と近畿財務局の間でやりとりされたメールと添付資料がとじられていると説明しています。

無関係な個人情報などの部分にマスキング(黒塗り)処理を限定的にしたうえで、6月23日に予定されている次の裁判までに開示するとしています。

実現することになった赤木ファイルの公開、改ざんをめぐる新事実が明らかになるのでしょうか。

裁判の関係者の間では、資料の大半は出先機関の職員だった俊夫さんが手に入る範囲で個人的にまとめたもので、財務省の調査報告書の内容を根底から覆すものではないといった見方があります。

菅総理大臣や麻生副総理兼財務大臣は、国がファイルの存在を認めたあとも「改ざんについては財務省が調査報告書をまとめており、さらに検察の捜査も行われ、結論が出ている」などとして再調査は必要ないという考えを示しています。

それでは、公開に大きな意義はないのでしょうか。

かつて苦しむ夫に何もできなかったという雅子さん。

なぜ俊夫さんが残したファイルの公開を求めるのか理由を話してくれました。


雅子さん「自分がいったい何をさせられたかを事細かに書いていると思うので、夫がどうして死ぬようなことになったのかはそれを見たらわかると思うんですよね。夫は自分の責任を感じて亡くなってしまったんですけど私はどうやって止めたらよかったのかまだ答えがわからない。そういう意味でも書いている内容がわかれば、私は助ける方法が今からでもわかるんじゃないかなと思います」

 

・俊夫さんの『バトン』は誰が


自らの「責任」をどう取るか考え続け、命を絶つことしかできなかった俊夫さんから「責任のバトン」を受け取ったという雅子さん。

ひたすら求めているのは、夫がなぜ死ななければならなかったのか、その説明を尽くすことです。

巨大組織の中で、間違った判断はなぜ止められなかったのか。

どうして抵抗する夫に無理を強いたのか。

取り返しのつかない犠牲を生んだことをどう受け止めているのか。

しかし、改ざんに関わった関係者は一様に口を閉ざしています。

雅子さんは、そこを明らかにし、省みなければ、いつか国民の信頼を裏切る過ちが繰り返されてしまうと考えています。

本当に『バトン』を受け取るべきは誰なのか、この裁判は問いかけています。

 

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■夫が残した“責任のバトン” 赤木ファイル・妻の闘い
NHK 2021年6月1日
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210601/k10013060331000.html