■「チャレンジしない子」「打たれ弱い子」が日本で量産されるワケ
PRESIDENT Online 2020/06/17 船津徹 TLC for Kids 代表
https://president.jp/articles/-/36186
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日本の若者は「自己肯定感が低い」とたびたび指摘される。
なにが原因なのか。
ハワイと上海でグローバル人材を育てる学習塾を展開する船津徹氏は、「日本では子どもが集団社会に参加する年齢になると、ありのままの自分を否定される場面が多くなり、自己肯定感が揺らいでしまう」と指摘する――。
・「根拠のない自信」が挑戦するパワーを生む
国立青少年教育振興機構が、米国、中国、韓国、日本の高校生を対象に行った意識調査(2018年)があります。
この中で、「私は価値のある人間だと思う」という質問に「YES」と答えた割合は、日本人は44.9%でした。
対して、米国は83.8%、中国は80.2%、韓国は83.7%といずれも高い数字が出ています。
日本人は謙遜しますから多少、色をつける必要がありますが、それにしても「自分は価値がある」と答えた高校生が44.9%というのは低すぎる数字です。
裏返せば、「自分に価値がない」と感じている高校生が半数以上いるということです。
自己肯定感の定義はさまざまですが、この感情を支えているのは、「自分はできる」という「根拠のない自信」であると私は考えています。
「自分はできる」と信じている人は、逆境や困難に直面しても、チャレンジを繰り返し、成功体験を積み重ね、「根拠のない自信」を「根拠のある自信」に変えていくパワーを持っています。
これとは反対に、「根拠のない自信」が小さいと、「失敗するのではないか」という「不安」が目の前に大きく立ちはだかり、一歩が踏み出せなくなり、新しい挑戦がしにくい、人生に対して消極的な態度が形成されてしまうのです。
・子供の不安は親世代の不安の反映
今、子育てをしている親の多くは、日本のバブル経済後に社会人になった人たちであり、高度経済成長期の社会が持つ楽観性や明るさを経験したことがありません。
日本が自信と活力を失い、未来への夢や希望が描きづらい環境で育ってきた世代ですから、子どもの将来にも漠然とした「不安」を持っているのです。
また、今の子どもたちが社会に出る20年後には、第4次産業革命とも言われるIoT(もののインターネット化)、ビッグデータ、AI(人工知能)などをはじめとする技術革新が進展し、私たちの仕事や生活のあり方を大きく変える超スマート社会が到来すると言われています。
そのときに子どもたちに要求される技能は何なのでしょうか?
今のままで、超スマート社会に適応できる子どもを育てられるのでしょうか?
親たちはとまどいを感じています。
さらに、グローバル化の進展による人材の流動化は競争の激化をもたらします。
グローバル化の本質は、教育、スポーツ、アート、ビジネスなど、あらゆる面において、日本が世界競争へ巻き込まれるということです。
国際社会で活躍するには、英語力はもちろん、世界標準の視点、知識、技能を身につけることが要求されます。
・わが子の「自己肯定感」を育てていますか
以上のように、社会が大きく変化しつつある「今」子育てをしている親の多くは、先の見えない時代への「不安」を抱え、何を信じ、何を基準に子育てをすればいいのかわからなくなり、子育てへの自信を失いかけているのです。
そこに登場したのが「自己肯定感」です。
自己肯定感を高めれば、負けない子、たくましい子、チャレンジできる子に育てることができる!
時代がどんなに変化しても、世の中がどう変わっても、自分らしく、自己実現していける子になる。
先行き不透明な時代の特効薬として、「自己肯定感」が注目されているのです。
自己肯定感というのは新しい言葉ですが、要するに子どもの「心」を育てることであり、日本では太古の昔から実践されてきたことです。
そして、子どもを見守る部分、子どもに注意する部分の線引きさえ知れば、これまで大変だった子育てでも、気持ちに安心感が生まれるはずです。
・注目の「レジリエンス」の源にも
競争が激しいグローバル社会で活躍するためには、勇気を持って困難や逆境に立ち向かっていく力、コツコツと努力を継続する力、失敗してもチャレンジし続ける力といった「メンタルタフネス」が求められます。
メンタルタフネスの源は「できる」という自信であることは言うまでもありません。
グローバル化がいち早く進んだアメリカの子育てを見ると、「自信育て」を強調していることがわかります。
幼い頃からスポーツに参加させ、競争経験を積ませる。
子どもの個性を尊重して自主性を育てる。子どもの小さな達成や成長を見逃さずにほめるなど、「自信」を引き出す子育てを実践しています。
また、近年のアメリカの子育てで注目されているのが「Resilience/レジリエンス」です。
グローバル社会では、子どもがいかなる道を目指すにせよ、激しい競争を避けることはできません。
上を目指せば目指すほど競争のレベルが上がり、誰でも一度や二度は大きな失敗や挫折を経験します。
そのとき、燃え尽きから子どもを救い出してくれる力が「レジリエンス」です。
「レジリエンス」とは、失敗や挫折など、強いストレスに直面した際の「逆境力」「回復力」「跳ね返す力」「折れない心」という意味で使われる言葉です。
レジリエンスは、どうやっても曲がらない鋼のような強さではなく、曲がってもすぐ戻る竹のようにしなやかな抵抗力であり、失敗や挫折をバネに、さらに大きく成長していける力と言えます。
・チャレンジできなければ生き残れない
これからのグローバル競争を生き抜くには「チャレンジ精神」という力強い推進力と、失敗や挫折をバネに飛躍する「レジリエンス」の二つを兼ね備えていることが重要です。
これらは異なる力に見えるかもしれませんが、共通する土台の上に成り立っています。それが「自己肯定感」です。
グローバル競争時代を生き抜くメンタルタフネスを子どもに与えるためには、「自己肯定感」をどっしりと安定したものに育てることが何よりも重要です。
自己肯定感が安定すると、その上に成立する「チャレンジ精神」と「レジリエンス」も強くなります。
すると、さらにその上に積み上げられる「勉強」「習い事」「人間関係」のすべてが高いレベルで達成できるようになるのです。
・「個性」と「集団性」の折り合いをどうつけるか
これからの社会では不可欠な自己肯定感なのですが、集団の調和を重視する日本の価値観とは相反する要素を含んでいます。
自己肯定感は子どものあるがまま(個性)を受け入れ、尊重することで育ちます。
しかし日本では、子どもが集団社会に参加する年齢になると、「個性」を抑制し、「集団」を優先することが要求されるようになります。
当然、「個性」が強い子どもは、ありのままの自分を否定される場面が多くなりますから、自己肯定感が揺らいでしまうのです。
これからの子どもたちに求められる「個性」と、日本の伝統的な価値観である「集団性」の折り合いをどうつけていくべきなのか。
個性をつぶさずに、集団社会にもうまく適応できる子どもを育てることが大切です。
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「チャレンジしない子」「打たれ弱い子」が日本で量産されるワケ
PRESIDENT Online 2020/06/17 船津徹 TLC for Kids 代表
https://president.jp/articles/-/36186
■「やってはいけません」は、言ってはいけません――日本式伝統育児で「生き抜く心」をはぐくむ心得(久保田カヨ子:脳科学おばあちゃん)
週刊ダイヤモンド 2015.12.8
https://diamond.jp/articles/-/82104
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・久保田カヨ子(Kayoko Kubota)
1932年、大阪生まれ。脳科学の権威である京都大学名誉教授・久保田競氏の妻で2人の息子の母。約30年前に、日本における伝統的な母子相伝の育児法を見直しながら、自身がアメリカ在住時と日本で実践してきた出産・育児経験をもとに、夫・競氏の脳科学理論に裏づけされた、“0歳から働きかける“久保田式育児法〈クボタメソッド〉を確立。この20年で3000人以上の赤ちゃんの脳を活性化させてきた。
・「破る」「引き裂く」「ちぎる」は有効な手指のトレーニング
なんでも「いけません」と言う親がいますが、私は、「よほど危険なことでない限り、逆になんでもやらせてみてください」と言います。
いろんな刺激を受けることで、脳は発達します。
たとえば、紙を破る面白さを見つけた子どもには、破られてもいい新聞などを与えて破らせましょう。
「破る」「引き裂く」「ちぎる」は、手や指の動かし方や力の入れ具合のいいトレーニングになります。
また、壁にお絵描きをされそうになったら、「ダメ!」と言いたくなりますが、壁にお絵描き用の紙を貼っておけば、「好きな絵を描いてごらん」と言えます。
壁に貼った紙に、ひざの屈伸を使って上下になにかを描くのは、イスに座って机上の紙に描くのとは違い、手や足だけでなく、目の上下運動にもなるのでおすすめです。
小麦粉粘土や泥んこ遊びなども、「やってはいけません」?と言う前に、「やってごらん」と言えるような環境をつくってあげましょう。
ふだんの生活では味わえないような感触に存分にふれることは、皮膚感覚を鍛えるためにも非常に有効なのです。
子どもが面白がるものを用意して、どんどんやらせましょう。
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「やってはいけません」は、言ってはいけません――日本式伝統育児で「生き抜く心」をはぐくむ心得
週刊ダイヤモンド 2015.12.8
https://diamond.jp/articles/-/82104
■なぜ、男の子を甘やかせてはいけないのか?(久保田カヨ子:脳科学おばあちゃん)
週刊ダイヤモンド 2012.7.30
https://diamond.jp/articles/-/21817
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・本当に必要なコミュニケーションを取らずに、甘やかし、干渉しすぎる母親たち
でも、最近は紙オムツですから、「おしっこは大丈夫?」と声をかけるお母さんが、とても少なくなってきたことを実感します。
このようなところから、親と子のコミュニケーション不全が始まるのです。
子どもを育てていく過程では、どんな小さなことでも、頻繁にコミュニケーションを取り合うことが大切なのです。
冒頭の陶器製やガラス製コップの使い方も、コップを落とさずに使う方法を教えることが、子どもとのコミュニケーションにつながるのです。
このように、子育ての道具立てが変わってきたことによって、子育てに対してずぼらな親が増えてきました。
また、環境の変化も、子育てに対して無視できない影響を及ぼしています。
昔は4、5人生んで育てるのがあたりまえ。
でも、いまは少子化の時代ですから、1~2人が普通になってきています。
手をかける子どもの数が少なくなると、どうしても過干渉になりがちです。
そのうえ、甘やかせた育て方をしてしまいます。
本当に必要なコミュニケーションを取らずに、過干渉となって甘やかしてしまう。これでは、まともな大人になどなれるはずがありません。
・ここ数年で、男の子の育て方に悩むお母さんからの相談が急増!
それでも、まだ女の子であれば、母親もわかり合える部分がありますが、これが男の子になると、育て方がどうもよくわからない。
実際、ここ数年で、男の子の育て方に悩むお母さんからの相談が急増しています。
育て方がわからないから、つい甘やかせてしまう。
たとえば、断乳をするべき時期というものがあるのですが、それができない母親のなんと多いことか!
基本的に、男の子はお母さんが大好きです。
これは、「性」の違いからくるものが大きいのですが、お母さんとしては、自分のおっぱいにしがみついてくるわが子が、かわいくて仕方がない。
特に男の子は、女の子に比べて、強い乳房願望がありますから、いつまでもおっぱいを吸い続けようとします。
そのうえ、最近は夫婦共働き家庭が増えていますから、フルタイムで働いているお母さんもめずらしくありません。
昼間、仕事でなかなか子どもの相手をすることができないという申し訳ない気持ちから、必要以上に甘やかせてしまいます。
断乳も、男の子のほうがやめにくいのです。
たとえおっぱいの出が悪くても、しがみつき吸いついてくると、なかなかそれをやめさせることができない。
結局、子どもが乳離れできないのではなく、母親のほうが断乳できないのです。
その理由は、「子どもがかわいそうだから」。
もっと言うと、男の子の断乳時期が遅れるのに、父親の気持ちが反映する例もあります。
自分が早いうちに断乳を強いられて寂しい思いをした。
だから、自分の子どもにはそのような思いをさせたくない。
そういった理由で、自分の妻に「まだ断乳させなくても、いいんじゃないか」とお願いしたりするというのです。
これでは、いつまで経っても男の子の断乳時期が遅れてしまいます。
そして、ますます甘えた男の子が増えていきます。
これは、正直言って日本の危機ではないでしょうか。
・男の取り柄とは、新しいものをつくり出すこと
私は時々、「男の取り柄はなにか」ということを真剣に考えてみるのですが、その答えの一つは、おそらく「新しいものをつくり出す」ことだと思います。
でも、親の甘やかし方がひどくなると、新しいものをつくり出す能力さえも、奪ってしまう恐れがあります。
たとえば、さまざまな色のブロックを使って、自由になにかをつくらせるとしましょう。
子どもは勝手に、自分の感性でなにかを組み立てようとします。
でも、これは往々にして男の子を持つお母さんに多いのですが、子どもが一所懸命になにかをつくろうとしているのに、そこで黙って見ていられない親が結構いるのです。
「○○ちゃん、ここはこの色を使ったほうがいいわよ」
「ここは、こうしたほうが、カッコいいよね」
お母さんとしては、子どもの理解力を早めようとして、手助けをしているつもりなのでしょうが、これが本当によくないのです。
・親の言いなりは「創造力の欠如」につながる
想像力のある子は、自分のイメージでいろいろなものをつくり上げます。
親は、それを黙って見ていればいいのです。
自分の力でなにかを生み出そうとしているときに、お母さんが口や手を出してしまうと、子どもの想像力や興味、ヤル気は、その時点でしぼんでしまいます。
親の言いなりになってしまうことは、「創造力の欠如」につながります。
新しいものをつくり出すのが取り柄の男の子が、お母さんの過干渉と甘やかしで、その取り柄すら奪われようとしている。
これでは大人になって、なんの取り柄もない男ばかりが、世の中にあふれかえってしまいます。
私が見ている育児教室でも、お母さんがいなければ、いろいろ優秀にできる子どもなのに、お母さんの姿が目に入った途端、なにもしなくなる子どもがいます。
それもやはり男の子に多いケースですが、やはりお母さんに対する甘えが非常に強いからです。
最近、とても頭がいいのに、なかなか実社会に出ていけないひきこもりの子どもが増えていますが、まさにそれを想起させます。
実は、子どもがしかるべき年齢に達したところで、きちっと独立できるようにするためには、3歳までに最初の親離れができるかどうかにかかっているのです。
そのためには、とにかく子どもを甘やかせないこと。断乳も、その時期がきたらきちっと行うこと。
そして、子どもがやることに対して、いちいち口や手を出さないこと。
時には、「お母さんもやりたいから、教えて」と仲間に入れてもらうのもいいでしょう。
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なぜ、男の子を甘やかせてはいけないのか?(久保田カヨ子:脳科学おばあちゃん)
週刊ダイヤモンド 2012.7.30
https://diamond.jp/articles/-/21817
■坂本龍馬は私が育てた!龍馬の姉・坂本乙女の女傑ぶりと弟への愛情エピソード
exciteニュース 2021年9月28日 Japaaan
https://www.excite.co.jp/news/article/Japaaan_159518/
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幕末志士を語る上で、欠かすことのできないキャラとして人気を集めている坂本龍馬(さかもと りょうま)。
その龍馬を語る上で、幼少期から巣立ち(脱藩)を見守り、天下へ送り出して行った姉・坂本乙女(さかもと おとめ)の存在もまた欠くべからざるものです。
今回は龍馬を維新の英雄に育て上げた乙女のエピソードを紹介したいと思います。
・文武両道の女傑、龍馬の母代わりに
坂本乙女は江戸時代末期の天保3年(1832年)、土佐藩郷士の坂本直足(なおたり。八平)と坂本幸(こう)の三女として誕生しました。
本名は留(とめ)、これは当時よくあった「もう女児は留め=止めにせよ=要らない」という意味ですが、愛称の「お留」を美しく乙女と当て字。
また、乙女で「とめ」と読ませることもあったそうです。
5人兄弟姉妹の4番目(男、女、女、乙女、龍馬)で上3人の兄姉とは一回りほども歳が離れており、そのためか年齢の近い龍馬(天保6・1836年生まれ)とは仲良しでした。
やがて弘化3年(1846年)に母が亡くなると龍馬の母親代わりを自任。
「立て、それでも男か!」
「乙女姉ちゃ、もう堪忍じゃき……」
乙女は父親から教わった諸般の武芸(剣術、馬術、弓術、水練など)や書道、和歌などを叩きこみ、当時は甘え癖に由来すると考えられた寝小便(よばあたれ)も直しました。
「まだまだ!」
そんな乙女は身の丈五尺八寸(約175センチ)、目方は三十貫(約112キロ)という大柄で、下手な男性よりもよほどガタイがよかったそうです。
「あげなジャジャ馬に、嫁の貰い手があるじゃろうか……」
家族が心配するほどの女傑だった乙女に縁談が来たのは安政3年(1856年)、土佐藩典医・岡上樹庵(おかのうえ じゅあん。新甫)の後妻に迎えられたのでした。
龍馬の生前は最大の理解者として何かと相談に乗ったり、一方で他愛ないコミュニケーション(手紙のやりとり)を楽しんだりなど、終生仲良しだったようで、その事が「弟を奪った憎い女」=「お龍との不仲説」を生んだのかも知れません。
晩年は独(どく)と改名して甥の坂本直寛(なおひろ。後に自由民権家、高知県会議員)と同居。
そして明治12年(1879年)に壊血病(極度のビタミンC欠乏症)で病死。
享年48歳でした。
・終わりに 自分らしく生きること
よく時代劇などで「私が男に生まれていれば(活躍できたはずなのに)……!」と嘆く女性が登場します。
しかし、男性に生まれても特段の活躍もできない者が少なからぬ一方で、女性に生まれても活躍している者もこれまた少なくありません。
女性に生まれようが男性に生まれようが、我らが乙女姉さんはそんなものどこ吹く風。
「立て、それでも男か!」
豪快に笑い飛ばして龍馬を英雄に育て上げた乙女の生涯は、何に生まれるか、よりもどう生きて何になるか、そして自分らしく生きることの価値を教えてくれるようです。
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坂本龍馬は私が育てた!龍馬の姉・坂本乙女の女傑ぶりと弟への愛情エピソード
exciteニュース 2021年9月28日 Japaaan
https://www.excite.co.jp/news/article/Japaaan_159518/
■【最終回】《クボタメソッド》の心髄は、「自分の生を喜び、親に感謝できる子に育てる」こと(久保田カヨ子:脳科学おばあちゃん)
週刊ダイヤモンド 2013.3.22
https://diamond.jp/articles/-/73867
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・《クボタメソッド》の心髄とは?
《クボタメソッド》を考案して、30年以上の歳月が経ちました。
この間、本当に大勢の赤ちゃんの育児に携わり、なかには成人した子どももいます。
もちろん、子どもが優秀にスクスクと育ってくれるのは、とてもうれしいことです。
そのために《クボタメソッド》がお役に立ったのであれば、これに勝る喜びはありません。
そして、《クボタメソッド》の心髄は、その子どもたちが一生を終えるときに到達すると言ってもいいでしょう。
自分が死を迎えるとき、「つまらない人生だったな……」などとは思ってもらいたくはありません。
そうではなく、「自分の人生は本当にすばらしいものだった。お父さん、お母さん、私を産んでくれてありがとう。私の人生、本当に楽しかった。生きがいのある一生を送ることができました」
このように思いながら、自分の人生に幕を下ろすことができる。
そんな子どもに育っていたら、それこそ本望です。
残念ながら私自身は、自分が育児に携わった子どもたちの将来にそこまで関わることはできませんが、願わくばそうあってほしいと心から思っています。
それでも、あと16~17年、自分の脳を健康な状態に保つことができれば、いま脳研工房の2階の教室に通ってきている子どもたちが、20歳になる姿を見ることができるかもしれません。
発達や発育が遅れていたり、心身に問題のある子どもたちが、元気な毎日を送り、やがてすばらしい大人になっていく姿を見るのは、このうえもない喜びです。
そういう姿を、もう少し見ていたいと思うようになりました。
実は、3年ほど前までは、「いつ死んでも怖くない」と公言していました。
でも、いまは死ぬことが少しだけ怖くなってきました。
いや、怖いというよりも、「まだ死ねない」という気持ちのほうが強くなってきたのです。
世の中を見渡してみると、まだ育児を頭で考えているお母さんが大勢います。
あるいは、純粋無垢な赤ちゃんが、まっすぐにすくすくと育っていけるような社会環境が十分に整っていないという現実問題もあります。
このような問題を少しずつでも解決しながら、よい方向に進んでいく社会を見てみたい。
そしていま、私の教室に通ってきている子どもたちが、20歳になったときにどうなっているのか、その行く末を見てみたいという気持ちが、ここにきて大きく膨らんできたのです。
・帝王学を仕込まれ、口の達者な子だった私
私は、子どもの頃、世間でもかなり変わった子どもだったようです。
なにしろ、3歳の頃から大人を言い負かしていましたから。
1を聞くと100のことが返ってくる口達者な子どもだったそうです。
親からは商家の長子として、「帝王学」もみっちり仕込まれました。
結果、辛抱強く、いったん決めたことについて抗うような言動もしませんでした。
おそらく、世の中ではとても苦労をしたと見えるのかもしれませんが、私自身は、それを苦労と思ったことは一度もありません。
苦労を苦労とは嘆かず、その時々をすごして問題を解決してきました。
帝王学には自己犠牲の精神が必要です。
自分の欲だけで仕事をしてはいけない。
絶えず周りにいる人たちのことを考え、その人たちのために仕事をするという姿勢が肝心です。
私は子育て中に、地元・愛知県犬山市にある区のひとつで、その長の役割を務めたこともありました。
このときは、まだ戦後のドタバタを引きずっていたこともあり、土地等の権利関係が混乱していた状態だったのですが、辛抱強く住民の意見を聞き、調整を重ねた結果、その問題を解決することができました。
早期教育の重要性に気づいたのも、この頃です。
興味深いことに、同じ市内で、ある特定の地域だけ、常にとても優秀な子どもを輩出するところがあったのです。
これも一種の相伝だと思います。?
優秀な子を輩出する地というのは、もともと子どもが小さい頃からしっかりとした教育を行う土壌があるのです。
辛抱強くひとつの問題を解決へと導き、同時に早期教育の重要性にも気づいたわけですが、それを可能にしたのは、「いまを楽しむ。ここにあるもので楽しむ」という、私の父親に言わせれば“極楽とんぼ”の性格が身についていたからでしょう。
当時の犬山市には、社交をする場がほとんどありませんでした。
夫が勤める京都大学霊長類研究所に赴任してきた、都会暮らしに慣れ親しんだ先生の奥さんのなかには、あまりにも退屈すぎてノイローゼ状態になる人もいたくらいでしたが、「いまを楽しむ。ここにあるもので楽しむ」という精神を持っていた私は、退屈することなく、日々その地区を歩き回りながら、その地区のためになるような問題解決に当たっていたのです。
私は、自分自身のこの性格をとても気に入っています。
それは、自分の両親が、私にさまざまな教育を施してくれたおかげです。
だからいま、私は自分の両親に対して、とても感謝をしています。
こうした“滅私奉公”の教えと実践はとても役に立ち、自分の人生をすばらしいものにすることができました。
・いかに子どもに奉公できるか
だからこそ、「これからも、少しでも多くの子どもたちに奉公していきたい」これがいまの偽らざる気持ちです。
現在、ひ孫にあたるような年齢の子どもたちを見ていますが、80歳を超えた身体にはさまざまな無理がかかっています。
赤ちゃんを泣かせるときの長く抱きしめる行動も、少し危うくなってきました。
筋力の衰えは確実にあるのですが、それをカバーするため、1日5~6回お風呂に入り、手足に水圧をかけながら動かすという手近なエクササイズも地道に実践しています。
たしかに、自分の体力の限界に挑戦しているという感じではありますが、キツイと思ったときは、今日抱いた子どもの目の表情を思い浮かべるようにしています。
私の“泣き道場”で散々泣いた子が帰るときの、柔和な目つきが脳裏に浮かんでくるのです。
さまざまな問題を抱えている子どもは大勢います。
その子どもたちが、自分自身のために努力をすることを理解してくれれば、その子は人間的にも大きく成長しますし、結果的に母親の働きかけの負担も軽くなります。
私自身が直接、手をかければ、おそらく問題行動なども早く直すことができるでしょう。
でも、それはしません。
なぜなら、子どもにとって本当に必要なのは、母親の働きかけだからです。
子どもの欠点を直すためには、お母さんの手引き、手助けが何よりも大切です。
お母さんがやることに大きな意味がありますから、私は子どもを教えるのではなく、お母さんにいろいろなことを教えます。
こうしてお母さんが努力をすれば、いつかその努力は必ず実を結びます。
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《クボタメソッド》の心髄は、「自分の生を喜び、親に感謝できる子に育てる」こと(久保田カヨ子:脳科学おばあちゃん)
週刊ダイヤモンド 2013.3.22
https://diamond.jp/articles/-/73867
■佐々木正美(児童精神科医)名言集
【佐々木正美(児童精神科医)略歴】
1935年群馬県前橋市生まれ。新潟大学医学部医学科に編入学し、1966年同校を卒業。
その後、東京大学で精神医学を学び、同愛記念病院に勤務。
1970〜1971年にブリティッシュ・コロンビア大学に留学、児童精神医学の臨床訓練を受ける。
帰国後は、国立秩父学園、東京大学医学部精神科に勤務後、小児療育相談センター(横浜市)、横浜市南部地域療育センターで児童臨床医として地域ケアに力をそそぐ。
川崎医療福祉大学特任教授(岡山県)、ノールカロライナ大学非常勤教授、横浜市総合リハビリテーションセンター参与などを歴任。
著書に『子どもへのまなざし』(福音館書店)など多数。
2017年没後も、そのメッセージは多くの親たちを励まし続けている。
・依存も反抗も、「わたしの言うことを聞いてください」と同じことを訴えているのです。 反抗が大きい時期は自立しようと努力している、自立しようともがいている時期です。 おさえつけてしまうと、かえって反抗は長引きます。
・夜、布団に入る時に、明日の朝が来るのが待ち遠しい。昨日より、積み木が高く積めることが誇らしくて仕方ない。友だちに、いろいろなことを教わるのも、教えるのも大好き。 それが子どもの幸せです。 そんな子どもたちは、みんな「自分っていいな」という気持ちを持っています。
・「こっちを見て!」という感情のいちばん旺盛は時期は乳幼児期です。そういう時期にうんと気持ちを満たしておいてあげないと、安心してものが言えなくなるのです。幼稚園や小学校に入っても「見てほしい」という感情を引きずっていながら、ある場所にとどまりながら苦しんでいるのです。
・子どもの自己肯定感、自尊心をしっかり育ててあげることで、友だちのことも肯定できて、尊重できるようになるわけです。 それは、相手の立場をわかってあげられる人になるということであり、社会性のもとになるわけです。 ここのところを私たちはもっと重要に考えなければならないと思います。
・一般に、親は子どもに期待してしまうのもです。これは子どもにとって時と場合にとっては、いい迷惑です。ですから祖父母との交わりは非常に価値が大きいと思っています。それは一般に、祖父母のほうが「今のままで十分かわいい」と思って、将来に対して過度な期待を持たないからです。
・昔は親が犠牲になってもわが子のために、という形で子どもの世界に投入していたのが、今は親の自己愛的な欲求を子どもに満たしてもらおうという形で親子の境界線を失っているのです。
・ぶったり、無視することは子どもたちを否定することですね。これは誰でもわかります。しかし否定とはそれだけではありません。子どもの個性を認めない。「早く!」と言い続ける。あるいは「もっと、もっと」と過剰に期待をする。そういったことも否定です。子どもは、自分が否定されていると感じます。
・まだ、できない!だけどもうすぐできそうだ! そうやって、子どもは毎日を生きている。毎日挑戦している。 ところが、そんな「もうすぐできそうだ」という気持ちが損なわれてしまうことがあります。 それは子どもの自尊心が傷ついてしまったときです。
・人間は、ひとりで喜ぶことはありません。喜びは、人との関係の中で生まれる感情です。 人といっしょに喜びあう経験をたくさんすると、人の悲しみも感じることができる、人のことを思いやれる子どもになります。
・子どもをたくさん持っている人のほうが育児がうまい。人間関係をたくさん持っている人のほうが育児がうまい。
・完全無欠な子育てなんてないし、子育てには成功も失敗もありません。「あなたの子育て」があるだけです。 理想にこだわり過ぎず、こっちがダメなら、こうしてみよう、それでいいのです。
・非行とはわざとやる行為ではなく、そうせざる得ないからのことが多い。突き詰めれば、本人だけの責任とはいえない複雑な理由からなる、大きな欲求不満が背景にある。
・親は自分だけの狭い価値基準で、自分にとって都合のよい子どもにしてしまおうとする。本当は子どもはそんなふうに簡単に納得するようにはならないのです。親の顔色なんか見ようとしないで、のびのび行動するのがいいのです。そのことをわからない親がいますね。
・しつけというのは結局のところ、禁止や強制から始まる。「こうしなさい」「これはいけません」と言うことである。しかし、大事なことは、それがいつできるようになるか楽しみに待ってやることだ。子どもの自律心は、待ってやることで、はじめて育つ。他が律するのではない。
・小さい子どものうそは、うそをつかせているほうが悪いのです。 子どもがうそをつくほど、追いつめてしまったのですから。 本当のことを言ったら、「あなたは悪い子」だと思われてしまう。親にむかってうそをつく子どもは、それまでに自尊心が傷ついたことが、何度もあったのでしょう。
・まだ、できない!だけどもうすぐできそうだ! そうやって、子どもは毎日を生きている。毎日挑戦している。 ところが、そんな「もうすぐできそうだ」という気持ちが損なわれてしまうことがあります。 それは子どもの自尊心が傷ついてしまったときです。
・乱暴というか、攻撃性というのは欲求不満の現れであることが少なくありません。ご両親が子どもに対して「こうしてほしい」「こんなふうに成長してほしい」という要求をたくさんしているために、本人が欲求不満になっていることもままあります。
・安心しているから子どもは、親に反抗します。 「こんなワルでも好き?」と、 反抗します。 子どもは、依存と反抗を繰り返しながら、自立します。
・まだ、できない!だけどもうすぐできそうだ! そうやって、子どもは毎日を生きている。毎日挑戦している。 ところが、そんな「もうすぐできそうだ」という気持ちが損なわれてしまうことがあります。 それは子どもの自尊心が傷ついてしまったときです。
・親との世界しか持っていない。仲間との世界を持っていない。このことが親からの負の影響だけを強く受けてしまうのだと思います。親はどれだけ子どもに影響を与えているのか、知っていただきたいと思います。
・感動ーそれは喜びとか悲しみといってもいいのでしょうが、それを共有しあうということは、本当に大切なことだと思うのです。 本当は赤ちゃんのときにお母さんとで、そしてもう少し大きくなったら友だちと、という連続の上に育てられてくるものなのですが、それが貧しくなってしまったのです。
・自尊感情のある子どもというのは、相手を尊重する力を持っています。だから、ケンカしても相手のことを傷つけることはありません。言い換えれば、傷つきやすい子どもはケンカができないのです。今の自分が、これ以上傷つかないようにと相手から逃げてしまうのです。
・個性は美徳である。子どもは一人ひとりの個性があるから素晴らしい。親にとって、同じ子どもなら一人だけいればいい。そうではないから大勢いるほど素晴らしい。
・本来子どもは、ジレンマの中庸をうまく選択して、大人になっていくものですね。でも今は、親が多様性を認めることができず、枠の中からはみ出しているような子どものことを切り離してしまって、遊ばせようとしない。試行錯誤的なところが子どもたちになくなりました。自主性を失って、もろいです。
・子どもが自分で自分を肯定するためには、自分が相手のことを肯定しなければならない。認めることができなければならない。それができてはじめて、相手からも認められる関係を作ることができるんですね。 自尊心とは、こういうお互いの関係の中で育っていく感情なわけです。
・しつけというのは結局のところ、禁止や強制から始まる。「こうしなさい」「これはいけません」と言うことである。しかし、大事なことは、それがいつできるようになるか楽しみに待ってやることだ。子どもの自律心は、待ってやることで、はじめて育つ。他が律するのではない。
・遊びの中で、責任ある役割に何がしかの満足できる活動ができた時、子どもは感動し、その感動を仲間と分かち合う。また失敗した時でも、いい遊び仲間というのは必ず慰めてくれる。そしてそういう一連の遊びの中に、倫理・道徳・社会性というようなものを自然に身につけていくプロセスがある。
・子どもは、子どもの自然な感情と自然な行動を、可能な限り受け入れておいてあげると、安心して大きくなっていけるのです。
・保育園から子どもを引き取ったあとで「お父さんもお母さんも疲れているからダダをこねないで」と子どもに求めること、これはいけません。 子どもから見れば、外で働いているのは大人の都合です。
・子どもは自分のことを否定されればされるほど、自分のことを否定するようになります。そして、自分以外の人を否定するようになっていきます。攻撃されてきた歴史のある子どもは、人を攻撃するようになるのです。
・温かく自分を受け入れてくれて、存在を認めてもらえる。こういう経験がなかったら、本当の意味で他人に心を開くことはできません。この「心を開く」という過程は、私たちの心が崩壊することを防ぐ方向に発達していくということです。
・どんな子であっても、その子のよいところや目立つところを見つけてほめるというのは本当に大切なことです。 あからさまに目立ちたい行動をする子どもたちは、もっともっとと自尊心や自己肯定感を高めたくて、「こっち見て行動」のようなことをするのです。
・親に安心できなければ、友だちにも安心して頼ることはできません。自分が人に頼ることができなければ、友だちから頼られることは絶対にないのです。学校で生き生きと健康に過ごせる子どもは、この頼ったり頼られたりする相互依存の関係が両方ともうまくいっているのです。
・子どもが自分で自分を肯定するためには、自分が相手のことを肯定しなければならない。認めることができなければならない。それができてはじめて、相手からも認められる関係を作ることができるんですね。 自尊心とは、こういうお互いの関係の中で育っていく感情なわけです。
・子どもを本当にしっかりと自立させている親というのは、子どもをゆったり、存分に受け入れているのです。基本的には無条件に受け入れるのです。そのあとで、「おまえ、こうするといいよ。ああいうことができるといいねえ。」と言うのがいいのです。
・親から十分愛されている、親を十分信頼できるということから子どもは親に依存していくわけです。そして子どもは自分の存在を信じることになり、自立へ向かって進んでいくことができるのです。相手を信じることなくして、自分を信じることはできないというのはこういうことです。
人を信じるようになるためにどうするか、自分を信じることができるように育てるにはどうするかということは、まず親を信じて親との人間関係を、それから親以外の人との人間関係をどういうプロセスで学んでいくか、ということです。
・自分の欲求がたくさん満たされた子どもというのは、人を信頼するし、自分の存在を肯定的に感じることができるし、人を愛することができます。ということは、人と調和した行動がとれるということになっていくわけでしょう。人との調和の中で、ある程度自分のプランを生かすことができるようになってはじめて自立なんですよね。
・親にどのくらい依存できるか。依存の欲求を満たしてあげるのが、保護です。親は教育者ではないのです。教育者がしばしば自分の子どもの育児に失敗してしまうのは、教育者はいても、いわゆる保護者がいない環境で子どもが育ってしまうことがあり得るからです。
・まず、親を信じるところから始まるわけでしょ。あるいは、親代わりの人をね。要するに、自分を保護してくれる人を信じるわけです。ですから、充分に保護された経験をもっている子が、友達との遊びが上手なんです。保護されるということは、自分が困ったときにはいつでも手助けをしてくれる、何かをしてもらえるということです。
・親に自尊心を守ってもらえた子どもは、自分には価値があることを知ります。自分を大切だと知ります。そういう子は、悪いことはできなくなるんです。叱るだけでは何も変わらないことを、どうぞ知ってください。
・まず、自分自身が周囲に対して心を開くことです。人の善意を信じ、自分も他人から信じられる人間になることです。人間は、相互依存のなかで生きているということを、子どもは親の姿を見て、学び取っていきます。また、親が人を信じられなければ、子どももまた人に心を許せないまま育ってしまいます。親子関係とはそういうものなのです。
・基本的信頼感が子どもの心に育つかはとても大切なことですが、自分を信じてくれる人に巡り会うことなのですね。自分を信じてくれた人を、子どもは信じるようになります。子どものことを心配してあれこれ注意する親は、子どもを信じられないから心配しているというところがあるわけです。
・子どもの欲求をたくさんかなえてあげ、子どもが願ったとおリの愛し方をする。これが保護であり、過保護であっても、ちっともかまいません。そして満たされている子どもには、ある程度の干渉もできます。親の欲求不満を満たすための過干渉は慎みたいものですね。
・子どもが育つというその基盤は、あくまでその子どもの中に、人を信じる力を育てることなのです。人を信じる力というのは、感謝や尊敬の感情にそのまま直結するものでしょう。そのことが創造性につながっていくという、このプロセスを分かってもらえると、子どもを育てることは非常に楽しくなると思います。
・自分が大切にされているという実感を持つことによって、自信を持つわけです。だけどその自信より先に、自分を大切に保護してくれる人たちを子どもたちは信じるのです。だから、人を信じることと自分を信じること、人を信じることと健全な自尊心を持つということは同じだと言われるわけです。
・人を信じるとか、自分を信じるとか、自尊の感情とか、他者を尊重するとか、そういうふうに育てられている感情があるから、人に共感できるわけです。共感できるから、友だちができるわけでしょ。友だちができるから、仲間と何かに熱中できるのです。こういう筋道で子どもが育てられてきてほしいと思います。
・子どもにたくさん手をかけてあげて、一日の生活を楽しくしてあげることです。よく、「早く寝なさい」と私たちは注意しますが、昼間が充実していれは注意しなくても寝てしまうものです。これは大人も同様で、昼間が充実していないと夜更かしになります。
・子どもを幸せにするために、いちばん大切なことは何ですか、と聞かれたら、私はこう答えます。 それは、自分のことを好きな子どもに育てることです。「自分っていいな」と思いながら毎日を生きている子どもは、それだけで幸せです。
・「生まれてきてよかった!」という気持ちは、親から子どもへ、 そして次の世代へと引き継がれていきます。 輝く命につながっています。
【佐々木正美/児童精神科医】