※「神子屋教育の礎」※
2.≪子供と母親との信頼関係≫
先に述べましたと同様に、子供と母親との関係においても、子供たちが安心して頼れる「生命を大切にする大人」との関係を構築することが大事なポイントであり、≪学校に行きたくない!学校は怖いところ!学校へ行ったら自分は死んでしまう!帰って来られなくなる!学校怖い、人間も怖い!!≫そう泣き叫ぶ彼女の訴えは、母親である私に(母)親の「生命に対する姿勢」を問うているのではないかと感じています。
この点において、教育の最も基本根本は『家庭教育』にあると私は痛切に感じています。
どんな子供にとっても、母親とは暖かく愛深く自分を見守り育んでくれる、何にも代え難い偉大な存在です。母親の子宮にいた時から、自分の生命を守り慈しんでくれる一番安心で安全な場所、それが母親だと思います。
彼女の場合、その一番安心で安全な場所である母親から、自分が社会の象徴である【学校】へ切り離されようとする時、恐怖心や不安感が襲い激しい抵抗の姿を現します。
かつての学校(社会)には、少なからず何か子供たちを守るものや魅力があったのだと思います。
だから、子供たちは安心安全な場所の延長上として、また魅力ある学校(社会)へと飛び出して行けたのではないかと思います。
しかし、学校(社会)はもはや子供たちにとってそういった場所ではなくなっています。学校の先生たち(大人)が無理やり子供を引き離し、更には一番の味方であるはずの母親が、助けを求め泣き叫ぶ子供の手を切り離すのです。
自分の生命を守り慈しんでくれる、一番安心で安全な場所であるはずの母親が、そんな安心できない安全ではない場所へと、嫌がる子供たちの生命を無理やり押し出す。
恐怖心や不安感から引き起こされる「お母さんがいい!」「お母さんとずっと一緒にいたい!」「お母さんと離れたくない!」という叫び、そして普段では想像出来ないような物凄い力で私にしがみつき必死に切り離されまいとする彼女。
それでも切り離され泣き叫びただ一点母親である私だけを見つめ『どうして?!』『助けてー!』といった彼女の表情・表現は、まるで母親から離れたくない胎児の切なる叫び・哀願のように私には感じられ、身が引き裂かれそうな思いがして仕方がありませんでした。
ここに、母親となるべき存在が学校や社会や家庭において、生命の大切さの教育を受けていないばかりに、“無知”ゆえに自分の子供の生命を殺してしまう・・・そういった事実、更にそれがこの日本の法律で認められている権利であるという、非常に悲しい限りの現状が私には重なり合って見えます。
これは、社会の意思、社会を作る人間の意識が、生命(子)殺しを認めているということになるように私は思います。
(2007/06/02掲載文)
2.≪子供と母親との信頼関係≫
先に述べましたと同様に、子供と母親との関係においても、子供たちが安心して頼れる「生命を大切にする大人」との関係を構築することが大事なポイントであり、≪学校に行きたくない!学校は怖いところ!学校へ行ったら自分は死んでしまう!帰って来られなくなる!学校怖い、人間も怖い!!≫そう泣き叫ぶ彼女の訴えは、母親である私に(母)親の「生命に対する姿勢」を問うているのではないかと感じています。
この点において、教育の最も基本根本は『家庭教育』にあると私は痛切に感じています。
どんな子供にとっても、母親とは暖かく愛深く自分を見守り育んでくれる、何にも代え難い偉大な存在です。母親の子宮にいた時から、自分の生命を守り慈しんでくれる一番安心で安全な場所、それが母親だと思います。
彼女の場合、その一番安心で安全な場所である母親から、自分が社会の象徴である【学校】へ切り離されようとする時、恐怖心や不安感が襲い激しい抵抗の姿を現します。
かつての学校(社会)には、少なからず何か子供たちを守るものや魅力があったのだと思います。
だから、子供たちは安心安全な場所の延長上として、また魅力ある学校(社会)へと飛び出して行けたのではないかと思います。
しかし、学校(社会)はもはや子供たちにとってそういった場所ではなくなっています。学校の先生たち(大人)が無理やり子供を引き離し、更には一番の味方であるはずの母親が、助けを求め泣き叫ぶ子供の手を切り離すのです。
自分の生命を守り慈しんでくれる、一番安心で安全な場所であるはずの母親が、そんな安心できない安全ではない場所へと、嫌がる子供たちの生命を無理やり押し出す。
恐怖心や不安感から引き起こされる「お母さんがいい!」「お母さんとずっと一緒にいたい!」「お母さんと離れたくない!」という叫び、そして普段では想像出来ないような物凄い力で私にしがみつき必死に切り離されまいとする彼女。
それでも切り離され泣き叫びただ一点母親である私だけを見つめ『どうして?!』『助けてー!』といった彼女の表情・表現は、まるで母親から離れたくない胎児の切なる叫び・哀願のように私には感じられ、身が引き裂かれそうな思いがして仕方がありませんでした。
ここに、母親となるべき存在が学校や社会や家庭において、生命の大切さの教育を受けていないばかりに、“無知”ゆえに自分の子供の生命を殺してしまう・・・そういった事実、更にそれがこの日本の法律で認められている権利であるという、非常に悲しい限りの現状が私には重なり合って見えます。
これは、社会の意思、社会を作る人間の意識が、生命(子)殺しを認めているということになるように私は思います。
(2007/06/02掲載文)