とても楽しかった、千葉市美術館でのひととき……。
展示内容については
もう残り期間わずか(~2月11日)でもあり、
他の多くのブログでレポされていると思うので、
ここではざっくり、各時代で印象に残ったものを
絵葉書等からピックアップし、特徴を記していきたいと思います。
運よく、ところどころで学芸員さんのお話も聞くことができたので、
それも交えて……。
まずは、ビゲローコレクションでもっとも古い時期の着物。
竹垣に牡丹、生地は綸子。
17世紀末に友禅染が誕生し、広まっていったそうだが
18世紀初頭の“花形”はやはり絞り。
こちらは女子美所蔵の一枚。やはり18世紀。
表示には海松貝(ミル貝)模様とあるが、学芸員さんの話によると、
貝ではなく海藻だそう。
海の「松」なのでおめでたいモチーフ。
この総鹿の子、全部で25万個あり、職人さんがたった一人で
(人が変わると手が変わってしまい、均一な絞りにならないため)
一年かけて創ったそう。
江戸時代には何度か贅沢禁止令が出ており、
着物も取り締まりの対象に。
しかし商家にとっては、着物も「資産」であり「元手」でもある。
商売が傾いたとき、豪華な着物があれば立て直しもできる。
…というわけで、お上に知られないように、こんな手の込んだ着物を
誂えたそう。
さて、明治になると…
江戸末期からの質素、倹約路線が根付き、
柄も少な目、色も抑え目。
学芸員さんの話では、そんな中でも白っぽい色を効かせたり
八掛にワンポイントを入れたりして
歩いたときにキラッ、チラッと人目を引く工夫をしたとか。
でもまあ、さすがにモノトーンにも飽きがきて……
明治後半には、地味ながらも青系や紫系が流行ったそう。
それにしても、若いお嬢さんが着る振袖(右)としては…やっぱり地味。
そのお嬢さんが、20年後、40代くらいになって……
ちょっと! アタシたち地味過ぎない!?
っていうことで大正時代へ。
明治時代から化学染料は入ってきたけれど、
着物に多用されるようになったのはこの時代から。
特筆すべきは「外国の風景」(右)。
といっても、職人さんが海外旅行したわけではなく、
西欧の油絵を模倣したもの。つまり、架空の景色なのだ。
今の時代なら、海外で富士山のTシャツがウケるようなものかな…
こうした着物も、当時の日本人が、
ヨーロッパに強い憧れを抱いていた一つのあらわれ。
そして昭和。
技術の発達を背景に、表現の幅が広がったなあとしみじみ。
左は伝統的な「紙ちらし」だけれど、ほどよくデザイン化されて印象的。
右は銘仙。麻の葉の変形で、風車のようにも見える。
約200年の動向をおさらいして思うのは、
「どの時代の着物も、古臭くはないなあ」ということ。
時代により、地味だったり派手だったり、好みと大きく違ったりも
するけれど、
着る人の雰囲気や、帯などのコーデがキマッていれば
どれも「アリ」だと、私は思った。
(まあ、さすがに能衣装のような唐織の着物はどうかと思いますが)
形が一定しているからかな。
これが洋服だと、さすがに今、巨大な肩パッドは無理でしょ?とか
スカート丈は……という話になる。
流行は、色柄よりもシルエットの方が敏感なのかも知れないな。
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