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3月も中旬に入れば、
そろそろ桜を…目立つ場所にはまだ早いけど、ちらりとなら。
お手入れから戻ってきた桜のお襦袢に、麻の葉の半衿をつけて。
しばらくは、袖や裾から、春の主役をのぞかせます。
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私が冬の間、何度か通っていた歯科医院の桐島先生(仮名)。
お母さまの実家が歌舞伎座の向かいで、
「小さいころよく行きましたよ。祖母が踊りを習っていて……」
いや、自分は興味なかったんですけど。
-でも着物はいいなあと思います。
私が医院に着物で行っても、迷惑がらないどころか歓迎してくださる。
ある日、治療をしながらこんな話をし始めた。
「小泉がね(私も知っている別の歯科医、仮名)、
『築地の新喜楽で、浄瑠璃の会があるんだって、行かないか?』と
誘ってくれたんでね、『あ、いいよ』と二つ返事で」
男2人で行くことに。
「その当日になってね、小泉が言うんですよ。
『なあ、桐島……、浄瑠璃って食ったことある?』」
「僕、『いや、食ったことない』」
『旨いのかな』
『わからないけど、新喜楽だから間違いないでしょ』
……。
ワタシ、口を開けたまま涙が出るほど大笑い。
「いやー、2人とも浄瑠璃って何か、知らなかったんですよ。
“上”がつくから、上寿司、上天(ぷら)、上るり……って思っていたんです。
だって天下の新喜楽ですもん、旨いもの食べさせてくれるに違いない、と。」
果たして2人は、「浄瑠璃の会」で2時間、固まることに。
「それ、学生時代の話ですか?」と聞いたら、
いやいや、数年前の話、、、と、消え入りそうな声のお返事。
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私が愛読している、超カリスマブロガーちきりんさんの、あるエントリーに
こんな一文がある。
「人生の時間のどれくらいを誰と共有するかは、
人生がどんなもんになるかを、ほぼ規定する。」
彼女がツイッターでつぶやいたうちの、人気ツイートの一つらしい。
補足として
「さっきのは、別に結婚相手ということだけじゃなく、どんな人と仕事するか、
どんな人と食事するか、どんな人と飲みに行くか、とか全部だよ。
「誰と時間を過ごすのか」は、
「何をするか」とほぼ同等(もしかしたらそれ以上に)大事」
とも。
40代後半の、今の年齢だからこそ、身に沁みてわかる。
若いときにはピンとこなかっただろうな。
着物を着始めてから、同じ着物好きさんとの交友関係が広がり、
人生の価値観とでもいうのだろうか、
好きなもの、心地よいと思うこと、が似ているなあ、共有できるなあと
思える人とたくさん出会えた。
それは確実に、私のいろんな意味での糧になっている。
こんなことを書いたのは、決して、
先の歯科医さんたちへのあてつけではない。
彼らは彼らの世界でとても価値あるものを共有し、充実した人生を
歩んでいることは、私の目から見て明らかだもの。
着物を着始めてからちょうど10年という区切りを間近に控え、
仕事でいえば、15年、フリーでやってきて、
過ごす人、過ごす時間の内容は、それらの前後でがらっと変わった。
私の人生も……というと大げさならば、視野とか物事の捉え方、考え方、
ふるまい方も、前後でがらっと、変わっている、と思う。
やはり、世界が変わるのを待つより、自分が変わる方が早いんだろうな。