神奈川絵美の「えみごのみ」

歌声サロンの夜は更けて その3

19~20歳のころ、ピアノ越しに見ていた大人の世界。
小さなクラブだったので、客との距離は近く
演奏後に、「ちょっと話を聞かせて」と呼ばれることもあった。
世代的に、ドイツに親近感を持っている客が多かったのだ。

一度それで大失敗をしたことがある。
オペラの話になって、私が少し前にウィーンで観た
Volksoper※1 があまり良くなったというようなことをつい漏らしたら、
相手が突然不機嫌に。
よりによってその人は、Volksoperの日本公演を担当していた人だったのだ。
…会話が要となる接客はたいへんだ。私にはとても務まらない。





まあ、そんなことがありながらも、
「そうか、君、ドイツ語やっているの」と
常連客に知られるようになり、
ある夜、誰だったか-もう顔も忘れてしまったが、
60代半ばくらいの男性から、「知っていたら、弾いてくれないか」と
リクエストがきた。



それは…


Das gibt's nur einmal.
Das kommt nicht wieder,… 


映画「会議は踊る」の挿入歌「ただ一度だけ」だった。


1931年公開。今から80年も前、音声が入れられるようになって
間もないころの、ドイツ映画だ。

ナポレオン失脚後、領土や統治について戦勝各国の宰相が
話し合った「ウィーン会議」を舞台に、
ロシア皇帝アレクサンドルと街娘クリステルの恋を中心に、
政治の駆け引きなども織り交ぜたストーリーだ。
普通だったら、よほどの映画フリークでない限り、
私の年代では知らないのではないだろうか。
いくらドイツ語を学んでいても…と思いきや、私は知っていたのだ。
うちの大学にきていた非常勤講師が、歌の好きなオーストリア人で、
週1、2度、昼休みに音楽好きな生徒を集め、ドイツ語で歌う会をやっており
そこでたまたま、教わっていた。

記憶を頼りに、フレーズにコードをつけて即興で弾いてみる。
Das gibt's nur einmal.
Das kommt nicht wieder,… (ただ一度だけ、二度と(この時は)こない)

…、と、リクエストした人はニコニコ顔になって、
らーらーらーと歌いだした。
すると、
「お、これは懐かしいねぇ」と歌声を合わせてくる人が2人、3人と…。

「いやー、我々はドイツと同盟を結んだからね、友達なんだよ!」
「いいねー、同盟国バンザイ!」(注:厳密には「枢軸国」)
酒が入っていることもあるだろうが、表情の崩れる人が続々と。

らーらーらー、らーらーらー
 ある人はドイツ語で、ある人は日本語訳で、ある人はハミングで。
クラブがたちまち、歌声で包まれる。

(あのー、カラオケ…というのとは違うけど、いいんでしょうか…)
ママの方を見れば、彼女も楽しそう。

この映画、戦時中の日本において
許された数少ない娯楽の一つだったそうだ。
それを私が知ったのは、だいぶ後になってから。
単にドイツを同志とみなす戦中派のノスタルジーではなく、彼らにとっては
それぞれの青春に刻まれた大切な1ページを思い起こさせる映画であり、
歌だったのだろう。

でも、当時の私はそこまで思いを巡らせることはなく…。
場が盛り上がっているのを嬉しく感じながらも、心の中では

(お金を稼ぐのって、何とたやすいこと!

というのもこの歌、単純化すれば
たった3つのコード(Ⅰ:ドミソ Ⅳ:ファラド Ⅴ:ソシレ)で
弾けてしまうからだ。


この日以降、かなり長い間、私が店に出るときは
必ずといっていいほどこの曲を弾き、歌声が響いた。
そのうち、
「いやー、ここに来るとね、歌が歌えるんだよ、歌が
といいながら客が来店してきたり
「よおし、次は『リリー・マルレーン』※2 をお願い!」
これも戦争に縁深いが、こちらは米国、連合国側の歌だ。
もともとドイツの歌謡曲だったが、ヒトラーが禁じてからは
ドイツのユダヤ弾圧に反対したマレーネ・ディートリッヒが
米国へ渡り、連合国側に立って歌っていた。
彼女は、ドイツでは死ぬまで「反逆者」扱いだった。




そして戦後40年経ち、1980年代後半の日本の片隅で、
「ただ一度だけ」と「リリー・マルレーン」が同時に歌われ
いいねええ、と戦中を生きた人々の哀愁をそそっている。
今思えば、その光景は日本ならではだったのではないだろうか、と
少し、しんみりする。


このエピソードは、ピアノ弾き時代のほんの一つに過ぎない。
短い間だったが他にもいろんな経験をした。
若さにまかせて、はめをはずしたことも。
あのとき、クラブにいたおじさん達は、
もう引退して、人生に幕を下ろしている人もいるだろう。
ユウリママも、リカコさんも、ピアノ仲間も、もう消息はわからない。
あれから20数年経って、あのころのことは私の人生を豊かに、とは言い過ぎだが、
思いだせば、夜の赤坂という、一般的なイメージで言えば影の顔を持つ
裏舞台であったにも関わらず、
流星がキラッと青く光って一瞬で消えるかのような清々しさを
今でも私に与えてくれている。



(終わり)         (写真はいずれも本文とは関係ありません)



※1「大衆オペラ座」と訳されているようです。ウィーンのオペラ座は、Staatsoper(国立オペラ座)とこのVolksoperが二大歌劇場として知られています。
※2 こんな歌詞です(加藤登紀子訳)
ガラス窓に灯がともり 今日も町に夜がくる
いつもの酒場で陽気に騒いでいる
男達に囲まれて 熱い胸をおどらせる
気ままな娘よ みんなのあこがれ
(中略)
ガラス窓に日が昇り 男達は戦(いくさ)にでる
酒場の片隅 一人で眠ってる
月日は過ぎ人は去り お前を愛した男達は
戦場の片隅 静かに眠ってる

コメント一覧

神奈川絵美
kyonpyさんへ♪
えええ、会場にいらっしゃったのですね 私、着物ではなかったんです、昨日。前から10列目の真ん中にいました。
事前に知っていたらご挨拶できたのに、残念

昨日のジョー・サンプル、カリカリしていましたよねー。ドラムに対して怒っていたみたいとうちの夫が。
10時過ぎて客電ついちゃったので、最後は慌ただしかったですね

TOCHICAもご覧になりました? マーカス・ミラーすっごいカッコよかった~。ベースは4弦or5弦に限る、と思いましたわ。
マイニエリもお元気そうで 演奏は全体的にラフでしたが、懐かしいナンバー続きで盛り上がっちゃいました
神奈川絵美
つきのこさんへ♪
こんにちは おお、赤坂が出会いの場だったなんて、お洒落ですね~
私も思い返せばついこの間のことのように感じたりもします。でももう、20数年が経っているなんて…
また何か、これはというエピソードがあったら、機会をみて掲載しますね~。
kyonpy
私も行きましたよ!
私も昨日、行きました!
もしかして絵美さんいるかなぁ、と着物姿の人を探しましたが見つかりませんでした

懐かしい曲をたくさん演奏してくれましたね。

終わるのが遅かったためか、みんなあっさり席をたってしまったのにはちょっと残念でした。
つきのこ
こんばんは♪
「歌声サロンの夜は更けて」1,2,3と続けて読ませていただきました。
赤坂は想い出の街なんですよ。
夫と初めて出会ったのが赤坂。
夫は地元の人だったので、
私の友人の紹介で出会いました。
ふふっ、懐かしい。
30数年前の出来事。

ちょっと誰でもが経験できないような
アルバイトされていましたね。
考えてみたら別世界の人を垣間みるバイトはいい人生経験になりましたね。

着物のお話も好きだけど、
たまにはこんなお話もまた是非!






神奈川絵美
kyonpyさんへ★
こんにちは あのころってバックパッカーが流行っていましたよね、女の子でもユース泊り歩いたりして…。

>あの頃は学校卒業してからもいろんな抜け道が
そうですよね…私よりちょっと年上のフリーのクリエイター達はすごく逞しいですもの。バブルのころ既に社会人だった人々で、いろんな経験談を聞かせてもらいました。

そうそう、今年の「東京ジャズ」2日連続で行っちゃいましたよー。ジョー・サンプル観てきましたよー
kyonpy
最後まで読ませていただきました
バブルの時代、みんながこわごわと覗いて見たかった世界に身をおいていたんですね~
なんだか羨ましいです

私もブランド品などとは縁がなく、お金がたまっては海外貧乏旅行に行ってました。
あの頃は学校卒業してからもいろんな抜け道があり、世の中にしばられることがなかったような気がします。
仕事もたくさんあったし。

夢のような時代だったのかも・・・
神奈川絵美
りらさんへ★
こんにちは そうなんですよ、1920年代生まれくらいでしょうかねえ。企業の重役クラスで教養もあったでしょうし、ピアノが流れるクラブにくるような人々ですから、とりわけ歌が好きだったのでしょうね。

歌声酒場とか、歌声喫茶って昔はありましたよねー。あのころ流行っていた歌って「モルダウ」とか「アムール河」とか「ローレライ」とか確かに、西欧東欧入り乱れていたような
りら
はずれ~
「会議は踊る」の題名も、この曲のメロディも知っていましたが、合致していませんでした~。
ドイツと同盟国!!その年代の人たちだったのですか!
歌声と言えば・・・銀座の泰明小学校の近くにあったドイツ風歌声酒場ではドイツの歌やロシアの歌など東西入り混じって歌われてました。
60代くらいのおじ様方が多く来ていた記憶があります。
神奈川絵美
ルリ子さんへ♪
こんにちは そうそう、この歌、「聞けば思い出す」という類でしょうか…。ドイツとかスイスの歌って、みなで唱和するのに向いている歌が多いですよね。
昔、有楽町のガード下に、ドイツ民謡専門の歌声レストランがあって、一度だけ行ったことがあるのですが、みなで「ローレライ」とか「娘さんよくきーけよ、山男には惚れるなよ~」とか、大合唱していました
神奈川絵美
衣舞の袖さま★
こんにちは 切ない恋…はきっと、クラブにきていたおじさん達が、この歌を歌いながら思い出していたのではないでしょうか
今はもうピアノもまったく触っておらず…でも何だか、また弾いてみたいなあという気持ちになってきました
神奈川絵美
はつきさんへ★
こんにちは ピアノ弾き時代は1986~87年なので、まだ壁は崩壊していなかったんです。このころ西ドイツにも行きましたが、東ベルリンに入るのに面倒な入国審査があって…。

「ビッグ」そうそう、浅野ゆう子がCMやっていませんでしたっけ。景気が下降線になったら、固定型の「ワイド」がお得だったんですよね。
ルリ子
懐かしい映画
http://linaruli.weblogs.jp/blog/
そうだったのですね、「会議は踊る」私も昔この映画見ました。そしてこの曲、有名ですよね。リズミカルで、みんなで歌いたくなる曲、さぞ皆さん楽しく合唱されたのでしょうね。
 青春の一こまですが、貴重な、思い出になりましたね。私も先日、学生の頃にお会いした人たちと久しぶりに会い、懐かしいあの日を思い出していました。
衣舞の袖
多才ですね~
こんにちは!
なにやらお洒落で切ないラブストーリーに発展するのかな!?なんて思い乍ら勝手にドキドキで続きを楽しみにしたりして…
音楽に疎いので曲は判りませんでしたが、本当に多才な絵美さんに感心しきりです~(^O^)
はつき
なるほど!
http://blog.goo.ne.jp/asochan0930
なるほど、「会議は踊る」ですか。
この映画、見たはずなのですがかなり記憶があいまいです。こうして聞くと、また見たくなります。

'90年前後のエピソードということなので、「ベルリンの壁」崩壊にちなんだ曲かな?と私は予測したのですが、いずれにしてもあの時代の雰囲気を切り取ったお話、大変興味深く、そして懐かしかったです。まだ戦争を知っている世代がビジネスの第一線にいらっしゃいました。そして私も「ビッグ」の利率7%とか8%とかで、初めての海外旅行行きました・・・。
神奈川絵美
きむらさんへ★
こんにちは そうだ少し前に結婚式の記事で拝見しました外国人の彼女、ドイツの方でしたっけ。私、肝心のドイツ語はすっかりサビついてしまっていて、逆に彼女に教えていただきたいくらいです

バブル期の私は、地味な大学の学生でしたのであんまり華やかさを堪能したとも言えないなあ…当時、中期国債ファンドという証券商品の利回りが6%くらいあった、というのはよく覚えていますが(それでお金を殖やして海外旅行へ行ったので)。
きむら
いい経験されてたんですね
私が高校2年生の時にバブルが崩壊してしまったので、バブル期の話を聞くにつけ、いいなー、一度味わってみたかったなーと思のです。

バイトとはいえすごく楽しいいい経験されてたんですね。ピアノが即興で弾けることも含めてとてもうらやましく思います。

ドイツ語を勉強されていたのはびっくりしました。従弟がまたドイツから彼女連れて帰ってきた時にちょっとだけでも話せるように今度簡単な会話教えて下さい
神奈川絵美
Miwakoさんへ♪
こんにちは そうそう、まさか専攻がこんな形で役に立つ(?)とはっ!て感じですよね。

Miwakoさんもぜひ、赤坂の宝石商で見た! シリーズを…!ナンテ まああのころの大人って、いい面も悪い面もあったのでしょうけれど、割と懐が広いようなところもあったかもですね。
Miwako
適材適所なバイト
音大ではなく、○大の学生が、こんな風に役に立つなんて素晴らしいですね。音楽ってテクニックじゃない、と納得。
私もあの頃の赤坂にはいい思い出しかないです。良い大人に助けられていたというか。

25年ほど前のバブル絶頂の頃の、女子大生は見た!シリーズ、ぜひお願いします。
神奈川絵美
れいこさんへ★
こんにちは 早速ありがとうございます、嬉しいです
そしてご名答! 絵だけで恐縮ですが、記念品をどうぞ→
ご年代は存じ上げませんが、なかなか当たらないのでは、と思っていました。素晴らしいです。

今年は本当に暑い日が続いていますね。れいこさんもどうぞご自愛なさってください。
れいこ
うれしい〓当たりです。
乾杯の歌、紅白歌合戦の入場曲の方ですが、それとも、会議は踊るのどちらかと思ってました。でも、戦争つながりなら、会議は踊ると予想して正解
まだまだ暑いですが,知的かつ可憐なお着物姿、楽しみにしています。

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