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 ♪♪♪ H.Tokuda

電話

2017-04-02 23:54:46 | エッセイ


 携帯電話が普及し始めた頃は、警察無線みたいに大きくて、それを持つ人は専用のホルダーでベルトに装着していた。よほど迅速な連絡が必要な、特殊な職業の人だけが使用する物だと思っていた。まさか自分が電話(スマホ)を持ち歩くことになるなんて、夢にも思わなかった。
 ほんとに電話の進歩はめざましい。僕らが子供の頃、テレビ電話なるものがマンガに登場していたが、こんなのは空飛ぶ自動車やタイムマシンと同様に、ずっと遠い未来の話だと思っていた。

 僕の好きな歌にこんな歌詞がある。
♪ ダイヤルしようかな 
 ポケットにラッキーコイン
 ノートに書いたテレフォンナンバー
    尾崎亜美「マイ・ピュア・レディ」

 ポケットの中に十円玉を見つけて、それで公衆電話を掛けてみようかと思い立つ。ノートを見なければ番号が分からないくらいだから、まだそれほど親しい間柄でもないのだろう。どんな想いでダイヤルを回し、どんな話をするのだろう。想像力をかきたてられる。
 大学生時代、十円玉や百円玉をいっぱいポケットに入れて電話ボックスへ向かい、遠く離れた彼女と話していたことを思い出す。まだテレフォンカードすらなかった時代だ。彼女の部屋には電話がなく、下宿の大家さんに取り次いでもらっていた。カタンカタンと硬貨が消費される音を聞きながら、早口で言葉を選びながら喋った。
 中学生や高校生の頃、友達の家に電話をかけると、たいていはお母さんが出て、「あ、徳田くん。久しぶりやね。元気?」などと、ひとしきり挨拶を交わしてからでないと取り次いでもらえなかった。ガールフレンドの家に電話をして、たまたまお父さんが出たりすると、何だか気まずい感じだった。話の内容を家族に聞かれたくないので、電話機のコードを思いっきり伸ばして隣の部屋へ引き込んだ。今の中学生や高校生は、こういった試練も、大人とのちょっとした付き合い方なんてことも知らないんだろうな。

 最近はメールやSNSなどを使って連絡を取り合うため、仕事以外で電話をかけることが少なくなってしまった。以前は電話が苦手だった僕も、少し寂しく感じることがある。
 たとえ遠く離れていても、電話だと今の時間を共有しているという同時性を味わうことができる。話せばすぐに答えが返ってくるし、相手の声の表情や微妙な息づかいまで感じ取ることができる。メールやラインでいくら顔文字やスタンプを駆使したって、こうしたライブ感は表現できないだろう。

 先に「マイ・ピュア・レディ」の歌詞を書いたけど、他にも電話が登場する歌は数多くある。同じく尾崎亜美の「オリビアを聴きながら」。「夜更けの電話、あなたでしょう」と推測しているけど、今なら誰から掛かってきたのか、考えなくてもすぐ分かる。
 チェッカーズの「涙のリクエスト」。最後のコインに祈りを込めて、公衆電話から深夜放送のリクエスト番組に電話を掛けている。今の若い人にはまったく意味が解らないだろうな。
 「ダイヤル回して、手を止めた」というのもあった。スマホならピッとワンプッシュ。手を止めたって手遅れだ。相手が出るまでに慌てて切っても、着信履歴ですぐに分かってしまう。(笑)

 昔は電電公社からの貸与品だった無個性の黒電話。人差し指でダイヤルをジーコジーコと回す、あの感触が懐かしい。今から思えばいろいろと不便な点はあったにせよ、当時としては最も迅速で確実な通信手段だった。電話というメディアを通じて、数々の人々が繋がり、喋り合い、愛を語り合ったり、あるいは喧嘩をしたり、様々な人間ドラマが繰り広げられてきたことだろう。
 今では僕みたいなおじさんまでもがSNSに浸って電話離れ。またひとつの文化が消え去っていくような気がする。