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 ♪♪♪ H.Tokuda

京美人

2017-05-27 01:40:57 | エッセイ


 写真は、バンド仲間ユミちゃんの若き日のお姿。本人の了承を得て掲載した。左は葵祭に参列した時のものらしい。右は日本髪のモデルをしたときのもので、カツラでなく本物の髪を結っているらしい。いかにも「京女」って感じでいいね。

 僕が京都の女性に対して描くイメージは、おっとりしていて、我慢強く芯が強い、控えめなようで自分の考えをしっかり持っている。理論よりも感性を重んじ、楽観的な性格。美意識が高くファッションセンスも良いが、流行り物を嫌う傾向がある。
 外見的には、小柄で丸顔で、目も丸いが、ぱっちり大きいという感じではない。全体に彫りが浅く、どちらかと言えば地味な顔立ち。綺麗というよりは可愛いといった感じ。表情を大きく崩さず、口元に薄っすらと妖しい微笑みを浮かべる。
 僕の祖母もそうした特徴を備えた、典型的な京女だった。母は大阪生まれで、まったく違った感じ。ひょっとすると、京女に関する僕のイメージは、祖母の面影に由来しているのかもしれない。でも、先に書いたようないくつかの特徴は、世間一般で考えられている京女像と大きく違わないと思うのだ。

 もちろん個人差はあるけど、全国各地の土地柄とそこに暮らす人々の特徴には、かなり深い関連性がある。そうしたわけで、土地それぞれに〇〇美人が存在するわけだ。例えば、東北美人のイメージは、すらりと背が高く、色白で目鼻立ちがはっきりしている。これはおそらく、ユーラシア大陸北方系の遺伝子が関係しているのだと思う。
 人の顏というものは、遺伝的な形質だけでなく、話し方や表情の作り方など、成長過程における顔面筋肉の使い方などによっても変わってくる。京女の柔和な顔立ちは、おっとり優雅な古都の環境にマッチする形で作り出されていくのだろう。
 大人になって化粧をするようになると、その仕方に個性の違いが反映されるので、性格と外見とのリンクがますます強いものとなってくる。僕は化粧で作られた顔が好きだ。化粧自体がひとつのアートだと思うし、その中に人それぞれの個性やセンスを見て取ることができる。素顔を知った上で、メイクアップされた造形美を鑑賞する。あるいは、化粧で塗られたよそ行きの顔を見ながら、その人の自然な素顔を想像する。

 真っ白に塗られた舞妓さんや芸妓さんの化粧は、人それぞれが持つ個性をあえて隠すことによって匿名の美を創り出し、「非日常の女」を演出しているように見受けられる。
 僕の祖父は芸妓さんが大好きだったようで、さんざん祇園で遊び、揚句は芸妓さん(僕の祖母)と結婚して、その後もしょっちゅう祇園に通っていたらしい。結局はそれで店をつぶしてしまったのだが、もしも店が続いていて、僕が何代目かの旦那になっていたとしたら、やはり同じような道を歩んでいたのだろうか。
 いやいや、じっちゃんの頃とは時代が違うわなぁ。そんな夢のような生活が許されるわけもない。しかし、今なおこんなことを書いて楽しんでいるというのは、僕も同じような嗜好を持っているということか。
 僕の親父は対照的に、石仏みたいな堅物人間だった。やはり僕はじっちゃんに似ているのかもしれない。隔世遺伝、恐るべし。

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