今年もまたお化けカボチャの季節が近づいてきた。
10月と言えばハロウィン。いつの間に、わが国にこんな習慣が定着してしまったのだろう。ご先祖様の墓参りもせずにハロウィンのパーティーにうつつを抜かす若者には「喝!」と言いたいところだが、いやちょっと待てよ、何も若者だけではない。
2年ほど前の話だが、僕の母が入居しているケア・ハウスでもハロウィンパーティーが開かれることになった。80を過ぎたおばあちゃんたちが魔女に扮するのだから、そりゃすごい光景だろう。興味はあるが、これを見学するにはかなりの勇気が必要だ。(^_^;)
ところが、このおばあちゃんたち、ハロウィンが何たるか全然理解していないのだ。クリスマスはイエス・キリストの誕生日で、仏教のお花まつりみたいなものだろうと理解しやすいのだが、ハロウィンに関しては、なぜ魔女やお化けが出てくるのか、なぜカボチャなのか、まったく意味が分かっていない。
「ところで、ハロインって、いったい何なんや?」ある日、母が僕に訊いた。
「うーん、それは、西洋のお盆みたいなもんやなぁ」と、僕はとっさに答えた。もちろん、いい加減な思い付きだ。
「キリスト教のお盆か?」と母。
「いや、ハロウィンはキリスト教とは違うんやけどな、・・・もっとずっと昔からある、まあ、お盆かお彼岸みたいな行事や」
「お盆やから、お化けが出てくるんか?」
「まあ、そういうことやな」
「ふーん」と半信半疑だったが、母はその日のうちにこの話をみんなに説いてまわったらしく、瞬く間に「ハロウィン=お盆説」というものが施設中に流布してしまった。
数日後に施設を訪れたとき、僕はスタッフの女性に褒められた。
「さすがに上手に説明しやはりますわ。私らもハロウィンパーティを企画したものの、それ何?と訊かれたらうまく説明できずに困ってたんです。西洋のお盆みたいなものやと言うたら、皆さん理解してくれはります。」
こうなれば「ハロウィン=お盆説」は、もはやこの施設の公式見解だ。お年寄りたちは、ハロウィンの意味が理解できたことで、パーティーへの参加意欲が俄然高まり、衣装づくりなどの準備は着々と進んでいるという。
なるほど、異文化の流入というものはこういうふうにして起こるのかと、僕はそのとき実感した。カボチャをくり抜いて仏壇に供える人や、お岩さんみたいな仮装をする人がいたって不思議ではない。考えてみれば、隠れキリシタンのマリア観音だって同じようなものだ。仏教がわが国へ伝来した当時、仏様は外国から来た神様ということで、八百万(やおよろず)の神のひとつという扱いだった。異国文化を自国文化と融合させ、異宗教をも寛大に受け入れる。こうした柔軟な思考は、日本人が世界に誇るべき美徳なのではないか。
80を過ぎたおばあちゃんでさえ、夫の位牌に般若心経を唱えつつ、クリスマスやハロウィンのパーティーを楽しんでいる。僕自身はこうした外来の宗教的行事が好きではないのだが、「若者に喝!」なんて考えるのは了見が狭いのかな。うーむ。・・・
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