自慢するような話ではないが、僕はめちゃくちゃ寝つきが良い。ベッドに入ると、たいてい2~3分で夢の中。生まれてこのかた、眠れなくて困ったことなんて一度もない。しかも眠りが深く、ちょっとやそっとのことでは目を覚まさない。最近は歳のせいか朝起きが良くなったが、夜中に目を覚ましたりすることはない。寝相が悪く、ときどきベッドから落ちるが、落ちたまま床の上で眠っていることさえもある。
思えば小学生の頃は、毎晩8時に寝ていた。早寝早起き、いや早寝遅起きの良い子で、睡眠時間が異様に長い。中学生の頃から夜ふかしをするようになったが、そもそも睡眠要求量が多いので、その分、素早く、また深く眠りに入るという体質に変わっていったのではないかと思っている。
幼い頃、夜ふかしをするとマメダがやって来て子供を連れ去ってしまうのだと教えられていた。マメダがどんな物なのか分からなかったが、とにかく怖いので、夜8時には必ず寝ることにしていた。大阪の親戚の家(母の実家)へ行くと夜ふかしが許された。親もうるさく言わないから、ここにはマメダが出ないのだと勝手に思い込み、安心して夜の時間を楽しむことができた。夜の9時台は僕にとって未知の世界で、何だか胸がわくわくするし、そこに淡い眠気が加わって、うまく言い表せないが何か神妙な世界へ誘い込まれるような気がした。少しあとになって、これは京都からマメダの霊気が漂ってくる感触ではないだろうかと考えるようになり、また少し怖くなった。そのように怖さと好奇心とがクロスしたところに、夜ふかしの魅力がある。
この歳になってもやはり夜ふかしは楽しいもので、深夜23時を過ぎた頃になると次第に気分が高揚し、ついつい遅くまで時間をつぶしてしまう。何もせずにぽかんと物思いに耽るのもよいが、適当に物を考えながらパソコンのキーボードを叩いているのも楽しいものだ。趣味で小説やエッセイを書いているが、ものすごく調子の良いときは、自動筆記のような状態でどんどん文章が生み出され、ふーっと一息ついたときに現実の世界へと戻る。なかなか先が進まないこともあるが、そんなときにはパソコン相手に将棋を指したり、youtubeで動画を見たりする。原稿の締め切りも何もないから、ほんとに気楽なものだ。
ただ、文章を書こうとするときにどうしても必要なものがコーヒーとタバコ。一種の薬物依存である。長い時間書けば書くほど薬物の摂取量が増える。若い頃は今よりも十倍くらいニコチン含有量の多いタバコを吸っていたし、カフェソフトなんていう眠気覚ましの薬も愛用していた。それに比べると今はずいぶんマシなのだが、歳を取り、体のあちらこちらにガタが出始めてきた。さすがにもうマメダは怖くないが、心臓発作や脳梗塞は怖い。もうちょっと体を労わってやるかなぁ。・・・そんなことを考えながら、今日も夜ふかし。
限界ギリギリまで好きな時間を過ごし、その後ストンと眠りの底に落ちる。夢の中で僕は、時空を超えた様々な世界をさまよい、いろんなことを考え、時には怖い目に遭ったり、寂しい思いをしたり、幸福感に耽ったりする。眠りの世界を十分楽しむために、僕は夜ふかしをしているのではないかと思うことがある。ビールを美味しく飲むために、わざわざ喉を乾かせるのと同じように。活動するために体を休めるのでなく、眠るために体や頭を疲れさせる。本末転倒のような理屈だ。
現実と夢とがクロスオーバーする夜ふかしの時間。かつてこのゾーンにはラジオの深夜放送がいつも流れていた。その頃に聞いたフォークソングなどは、脳細胞の敏感な所に深く刻み込まれていて、今もしっかり思い出すことができる。夢の世界から呼び起こしてくる懐かしい歌詞やメロディーを、いま現実の世界で再構築し、ギターを弾いて再現してみる。これはもう「懐かしい」といった感情をはるか通り越し、大げさに言えば脳内タイムトラベルとでも呼ぶべき貴重な体験なのだ。
こうして夜ふかしの日々は続く。ニコチンとカフェインとマメダの霊気に助けられ、不健康ながらも充実した毎日。こうしている間にも少しずつ寿命が削られていくのかもしれないが、夢と現実で人生2倍楽しんでいるのだから、まあ良しとしよう。
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