カンテレあんさんぶる

カンテレ制作者

私は3年前から毎年一人でフィンランドへ行っている。それはカンテレの勉強をするためである。一人でフィンランドへ行くと色々なハプニングや出会いがありとても楽しい。私が初めてカンテレミュ-ジックキャンプに参加した2年前、私は一人のカンテレ制作者Rauno Nieminenn(ラウノ・ニエミネン)に偶然出会った。
そして先日フィンランドのカンテレ協会から季刊誌「KANTELE」が届いた。このカンテレ誌は私がカンテレと出会った20年ほど前から何とはなしに見ていた。全文がフィンランド語で書かれていて解読はできなかったが、今まで見たことのないカンテレやカンテレプレイヤ-の写真、そして楽譜などが載っていて興味深かった。最近はフィンランド在住のカンテレ関係者とも知人が沢山出来てこの季刊誌が届くのを毎回楽しみにしている。今回のトピックはRauno Nieminenn(ラウノ・ニエミネン)だった。とてもなつかしく2年前のことを思い出した。彼に出会った時のことを私は「カンテレ武者修行体験記パ-トⅡ」に書いている。その時の様子をちょっとご紹介しますね。

昼食を終えて部屋に戻って練習をしていたら電話がかかってきた。誰だろう。マサリン(甚平をきたフィン人)かなと思って日本語で話したら「Please English」と言った。どうやら私と「4時に会いたい」ということである。私はその時間にフロントの方に行ってみた。そしたら何と5弦のカンテレを抱えて2000年も昔のカレワラの世界から吟遊詩人が飛び出してきた様な人が私をめがけて走ってきた。話を聞いてみたら、何と昨日撮った写真が新聞に大きく載っていた。そしてこのミュージックキャンプのことを大きく取り上げていた。この人はこの新聞を見て私に会いに来たのだという。びっくり!!彼は日本でカンテレがどの程度普及しているのか知りたかったらしい。彼は自分でカンテレを制作しそして指導もしているという。
私達は30分ほどおしゃべりをした。大きな目、長い髪の毛、でもその顔はとても優しそうで芸術家の顔をしていた。5弦のカンテレで1曲演奏をしてくれた。素敵な曲だった。名前はラウノ・ニエミネン。住所とメールアドレスを教えてくれた。そして私の載っている新聞をくれた。「来年はどうするのか」と聞かれたので「多分イロマンチのキャンプに参加するかもしれない」と答えた。今、夜の10時。木々の間からは太陽の光が私に燦燦と注ぎ込んでくれている。
(当時の日記をそのまま転載していますのでもっと色々読みたい方は下記のHPをご覧下さい)
http://www.geocities.com/98tabata/

この季刊誌のサイトは下記。Rauno Nieminenの記事を見ることができます。
<ahref="http://www.kanteleliitto.org">http://www.kanteleliitto.org

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