情熱親父の心晴天!Part2

風景・イベント・ポートレイト・花・・・etc 何でも好きに撮ります。気ままな中年オヤジです。

沖縄本土復帰40周年記念企画 「琉球祭」(りゅうきゅうさい) No6

2012-06-05 00:00:00 | 神戸琉球祭 

予告通り、今日はこの琉球祭の中でも、もっとも熱く燃え上がった琉鼓会のエイサーの模様をご覧頂きます。一糸乱れぬリズム!ほとばしる汗、情熱、魂が会場を更に熱くヒートアップさせました。やはり生でエイサーをみるのは良いもんですね。何度か見た事はありますが、こんなに大感動した事はありません。今回、初めて涙がこみ上げそうになりました。

 

 

エイサーとは

本土の盆踊りにあたる沖縄の伝統芸能のひとつで、主に各地域の青年会がそれぞれの型を持ち、旧盆んお夜に地域内を踊りながら練り歩く。一言で「エイサー」と言ってもその形態はいくつかに分類され、現在ほとんどの青年会が、大太鼓、締め太鼓を中心とした「太鼓エイサー」であり、沖縄県中部が最も盛んな地域と言われている。その中でも旧与那城町、旧勝連町で見られるエイサーは「パーランクー」という方張りの太鼓を用いたエイサーがほとんどで、締め太鼓とは違った雰囲気を醸し出す。

また、太鼓を使わない「手踊りのみのエイサー」もあり、本島北部にいくつか存在するが、これがエイサーの最も古い形ではないかと言われている。近年では、エイサーの型を取り入れ、音楽はポップスを使用する等、衣装も独創的な「創作太鼓」のグループも数多く存在する。

 

左写真。こんな可愛い男の子まで、エイサーを踊るのですよ。観てましたがカッコ良かったです。女性も可愛いですね。

真剣な眼差しです。良い顔してますね。緊張感がこちらまで伝わりますね。こう言うショットをよく撮っていたものです。

エイサーの起源

エイサーの起源は今も検証され続けているが、文献が少ないため、様々な説があると言われている。1603年から1606年にかけて当時の琉球王「向寧王」知遇を得た浄土宋の「袋中土人」が仏典を踊りながら唱える”念仏踊り”を伝え、沖縄独自の仏典踊りの形態であるエイサーへと発展したという説や、その歴史は500年以上前の「李朝実録」(1479年)のなかに当時の那覇の記録として残っており、そのころが始まりだという説もある。

また、エイサーの呼び名についても「おもろさうし」(琉球の古い歌謡集)の40巻に残る「さおもろ」という言葉が語源と言われたり、演舞中の「エイサー、エイサー、ヒヤルガエイサー」という囃子からきているという説もあるがどちらも確証がなく実際の所は不明である。

 

臨場感を出すために太鼓のアップなども撮っておきました。この太鼓、結構な重さがありましたよ。

 

 

会場は、御覧の様に。もう人の入れる余地なし。

 

この時、最高潮に盛り上がりを見せました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

用意してあった椅子、テーブルは足らない!

立ち見の観客。カメラを構える人も必死の撮影を試みてました。

 

 

 

 

 

 

 

 

時間にして、16時過ぎ。鉄人28号の応援の中、会場は熱気でムンムン。この写真は今回、一番のお気に入り!東日本の皆さん!壊滅した此処、長田はこんな風に見事な復興を遂げています。それも個々が力を合わせて、「負けてたまるか!常勝関西魂」の如く、頑張って来ました。東北の皆さんに少しでも元気な明るい写真を観て頂き、復興のお役に立てれば嬉しい限りです。前へ!前へ!今日も一歩前進しましょう。

政府があてに成らないなら、待っていてはダメです。自分達の可能性を信じてだんじて団結で!関西はこうしてエールを送り続けています。

確か、気仙沼にこのメンバー達が6月10日に訪問いたしますよ。dance OHaNaもね!

エイサーの見所

だれでも初めてエイサーを見た時、無条件に胸を打たれてしまう。この高揚感をともなう感激を沖縄の言葉では”チムドンドン”と表現する。なぜ、見る者の魂をこんなにも震わせるのか。それは太鼓の音や踊りのゆうだ勇壮さであるかもしれない。しかし心を打つ本当の理由は、各青年会が自分のシマ(字)のエイサーを、誇りを持って魂をこめて踊るところにある。各青年会の地域的独自性が色濃く映し出されている。地方(じかた)の唄・三線、大太鼓、締太鼓、手踊り、それぞれが踊りでありながらも一糸乱れぬその動きは圧巻だ。統制のとれた隊列の動きも目線を変えて眺めてみてほしい。バチさばき、足の上げ具合、自分なりの好みを見つけるのもまた楽しみの一つになるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

豆知識

字/(あざ)

一般的には町村内の区画のことを指すが、沖縄では集落(または通称「」)または区と同義語。今日でも伝統行事は集落ごとに行われ、字は生活上の重要な単位となっている。とりわけエイサーは、各字の旧盆行事には不可欠な要素として定着しており、地域の伝統行事においてこれほど重要な役割を担っていることは、沖縄の特色のひとつといえる。

 

地方・地謡/ (じかた、じゅうてい)

とも呼び、唄い手のこと。エイサーに絶対不可欠な存在である。各団体に必ず数人の地方がおり、三線(さんしん)を弾き鳴らしながら、民謡やエイサー節を唄い上げ、踊り手のテンポをリードする重要な役割をもつ。青年会の踊り手の中には大太鼓よりも地方に憧れる若者も少なくない。

 

道ジュネー/ ( みちじゅねー )

ここで言われる道ジュネーとは、各字(地域)の通りをエイサーを踊りながら練り歩く事である。本土の盆踊りと同じように盆(沖縄では旧盆)の日の夜に、村の青年たちが各戸を踊り回る伝統行事の事を指す。現在ではこの道ジュネーの際に各戸から寄付金が寄せられ青年会活動の大事な資金源となっている。

 

 

 

光る汗!魂のこもった舞!情熱のオーラ!観客を魅了する空気。大感動でしたね。この時の写真を一番撮りました。それを2分40秒物のスライドを2本作りましたのでご覧くださいね。また、琉鼓会関係者の皆さんは、写真をコピーして貰って良いですよ。宜しければどうぞ!

琉鼓会のはじまり・・・

琉鼓会のはじまりはエイサーをしたいと願う若者が集まり沖縄市諸見里の方から伝統ある諸見里エイサーを教わりました。
覚えたての平成5年・・・奥尻島地震の被災者を支援するためのチャリティを実施する中でグループを結成し平成7年の阪神大震災では被災地や仮設住宅の慰問を行いました。また地域や福祉施設の支援活動を行う中で人と人とのふれあいの大切さ知り、平和に生きることのすばらしさを痛感いたしました。私たちは沖縄の文化や心、思いやりを忘れず、平和な世界を願いエイサーを通してひとりでも多くの方に「元気 勇気 生き力」を与えられるよう精一杯演じています。沖縄三世が中心ですが本土の人たちも共感を覚え、「うちなんちゅ」となりきり頑張っています。琉鼓会は約50人の男女で活動をしています
エイサーを踊るときは、謙虚さを忘れず観てくれている方々に感謝の気持ちと祈りを込めて、一所懸命に踊ることを大切にしています。

会長 比嘉純也からひとこと<input type="button" value="open" />

解説は「エイサーとは?」の資料からコピー致しました。上の資料は琉鼓会さんの公式HPより。

琉鼓会エイサースライド No1 http://youtu.be/8jKDPWcUDbU   クリックしてね。

琉鼓会エイサースライド No2 http://youtu.be/8jKDPWcUDbU   クリックしてね。

両方、拡大スクリーンぐらいが画質が綺麗に見れそうですよ。フルスクリーンは割れますね。

 

今日も訪問有難うございます。

 

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