ウィーンで学ぶ

---ウィーン医科大学心臓胸部外科
留学日記とその後...---

Wet labo (ブタの心臓で弁膜症手術と心臓内部構造の理解)

2014年07月09日 | 病院
留学から帰国して6年目、大学病院を離れて4年目
ウィーンにいた頃は日課になっていたこのブログも、いまやカブトムシの時期か、カード請求書を吟味した時くらいでしか、存在していることを忘れてしまっているこの頃です。
久しぶりに更新しようと思い真面目なテーマをスマホに溜まっている写真から探してみました。

これは当院の手術室関連のスタッフ(医師、看護師)向けに企画したwet labo(ウエットラボ)です。
医療教育目的に市販されているブタの凍結心臓を用いて、弁膜症の手術手技を実演しています。



実際の手術中では、手際よく終わらせるようにするので、手術の細部を看護師さんなどに説明する余裕はありません。事実、心臓内部の3次元的立体構造をゆっくり観察することは外科医であっても出来ません。

今回は、典型的な開心術である大動脈弁置換術(AVR)と僧帽弁形成術(MVP)を看護師さんと一緒に卓上で施行しました。一部は看護師さんに運針、縫合、結紮してもらい、手術手技を体験して頂きます。

下の写真は施行後に弁輪部が観察しやすいよう、看護師さん達によって周囲の組織が大胆に切除されています。
こうすると心臓の内部構造が理解しやすくなります。膜で裏打ちされた弁輪部の構造などは教科書の図面から理解するより、実際の心臓を見て学んだ方が容易に理解できますね。


中央の鑷子(ピンセット)は僧帽弁前尖(A1)を指示してします。僧帽弁後尖の弁輪部にはリングといわれる弁輪矯正器具が縫着されています。

大動脈弁は生体弁(商品名:モザイク)で置換されています。その上(12時の方向)には冠状動脈の入口部が見えます。

有り難いことに、この日は3人の心臓外科医を取り巻くように40名ほどの勉強熱心な職員が遅くまで参加してくれました。
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異文化: 日本のお辞儀

2007年12月09日 | 病院
日本の学会に招聘されていたZ教授が今週、戻ってきた。
彼に会ったら、溜まっていた物が吹き出したかのように日本のことを話してくれた。

まずは成田に着き、新幹線で仙台へ。他の教授陣も「シンカンセン」を知っていて、意外にも有名だった。「超特急だがほとんど揺れない」と。日本人には当たり前だが、フランスのTGVと比べると新幹線の車内は静かで震動が少ないことを思い出した。面白いのが、「車内販売の女性が車両に入る度にお辞儀をするが、意味が分からない。何のためにしているのか」と。

仙台の学会では自分の指導医にも会い挨拶をしてくれたと。さらに「学会の夕食事会でタヌキの写真を撮りたいと言ったら、皆に爆笑された」と。これは面白いと思う。

次は大阪で講演。”Japanese pancake”を食べたと。お好み焼きのことだ。気に入ったようでウィーンでも材料を集めて自分で作ると。京都の神社を観光し非常に素晴らしいと。さらに「神戸ビーフは最高だ」と。

そして東京でも講演。「東京と京都では寿司の種類が違い驚いた、ウィーンでは何処でお同じだが」と。日本通の彼は毎朝みそ汁を食べ、繊細な日本の味を楽しんでくれたことを嬉しく思う。ウィーンの食事から想像すると、日本の味を理解してもらえないのではと思うからだ。

その彼が最も日本で驚いたことは、「日本人は敬虔な仏教徒かと思っていたが、至る所にクリスマスツリーがあった」ことだと。「ヨーロッパでは宗教が政治に強く影響するが、日本は政治と宗教は分離し、かつ人々も宗教的に自由で革新的な進んだ国だ」と。

なるほど、ヨーロッパ人から日本を見るとそう思うのか。自分には「無宗教」と「“クリスマス”を利用した商業的なイルミネーション」にしか見えないが。

その後、彼とたまたま廊下ですれ違った。普通はハローと言いながらすれ違うのだ、彼は僕を見つけると頭を下げた。それを見て初めて気づくことがあった。日本的な会釈がどこか奇妙だということを。

日本人同士のお辞儀を見ても特別な感想はないが、ゲルマン人が廊下ですれ違いざまに頭を下げると異様に見える。”ハロー”の方がしっくりいく。彼も新幹線の中で同様の思いをしたのだろうか。
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ウィーンから日本の学会へ

2007年11月22日 | 病院
ウィーン医科大学(MUV)に心臓外科を専門とする教授は10人強いるが、この秋2人が相次いで日本の学会に招聘され講演に行った。

日本で定期的に開催される全国規模の学会には世界的に著名な教授が数名程招聘されることが多い。症例数が多く、治療水準の高い米国の一流施設の先生方が頻繁に招聘されるのは当然といえるが、人口800万人程の小国の1施設(MUV)の当科に、相次いで日本から声がかかっているとは想像もしていなかった。

先週若手のZ教授が自分を見つけるやいなや、頭を下げた。「日本では45度に深々とお辞儀をするのが良い挨拶でしょう?」と。「来週日本に行くから練習しなければ」と冗談交じりで言うのだ。彼も仙台で開催される学会に招聘されていたのだった。彼で3人目となる。

その彼の日本話が面白かった。以前大阪周辺で開催された学会へ講演に行き、そのとき印象に残ったことが沢山あるという。「芸者は若い女性であると想像していたのに、60歳だったよ」、「宴会で何かを食べさせられたが、それが何か今でも分からないよ」、「公衆浴場に入るときのマナーを学んだよ」など、日本人の視点では気づかないことが明らかになる。

さらに「日本のTanuki storyを勉強したよ。ウィーンでも郊外の山にタヌキのような動物がいて、以前彼とすれ違ったんだよ。そのとき自分もタヌキもお互いに相手の存在にビックリして、目と目が合ったよ。そのままお互いに別方向に進んだのだけど、10m程離れたところでふと振り返るとお互いに相手を見ていたんだよ。タヌキがヒト化するという話はウィーンでもあるのだよ」と。意外な話にこちらが驚いてしまう。Tanuki storyって、万国共通なのか?

日本通の彼に今回の滞在でラーメンを試すことを薦めてみた。帰国後に日本の庶民の味の感想を聞いてみたい。彼が日本でタヌキに会わないことを祈る。
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雪が舞う1週間: 論文と手術

2007年11月18日 | 病院
今週は毎日小雪が舞う日々だった。

外科医はとかく手術室で全エネルギーを燃焼しようとするが、指導教授は外科医であっても論文作成の重要性を説く。その指導の下、1年前より担当してきた論文の再投稿を完了することが出来た。今回が3回目の再投稿となるが、ようやく受理される見通しが高まってきた。もう一つ、簡潔な症例報告論文も作成した。こちらはまだ時間を要するとは思うが、留学も終盤に来て進展してきたのは嬉しい。

論文関連の仕事が進展したが、今週の手術参加は4例とやや寂しかった。何も予定のない日の午後、ふらっとOR覗きに行った。若手のE教授がレジデントDrとAVR+TAPをしていた。少し見学するつもりで挨拶したが、手を洗えを言われ、久々に第2助手として参加することになった。

ここでちょっとした経験をすることになる。AVRだが、選択した人工弁のサイズがやや大きく、弁輪にしっくり収まらないようだ。あっさりそれを取り外し1サイズ小さい弁で手早く再置換された。手術は無難に終了した。
翌朝のMeetingでも弁のことは特に問題にはなっていないようであった。

もちろん手術の現場では術前診断と必ずしも一致しないことや、実際にやってみて初めて明らかになることは希ではない。が、人工弁3000ユーロ(日本だと100万円近い)の損失はどうなるのだろう?

ほぼ全ての医療資材は「滅菌された使い捨て」商品なので一度開けてしまったら、それでお終いとなる。他の患者さんに使い回しは出来ない。点滴針など安価な物資は問題にならないが、高額の人工弁でも問題とされないのか?

実際どのように損失が処理されるのかは知らないが、おおらかというか、ファジーというか。医療費削減が至上命令の現場だったら、たとえ回避不可能なことでも問題とされるかもしれないが。
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諸外国からの患者さん: 小児心臓手術

2007年10月21日 | 病院
たまたま小児心臓手術を専門にしている教授と雑談した。

国外からの患者さんが増えているという。東ヨーロッパ、中東諸国から心臓手術の必要な子ども達がAKHに専門家を求めて来ていると。もちろん彼らはイギリスやアメリカなどに行くことも可能だが、比較的距離が近いのでここを選ぶのではという。

公的保険に加入しているオーストリア国民がAKH(実質的ウィーン医科大学付属病院)で治療を受けるのは問題ないが、外国の方は公的保険がなく高額な医療費をどのように支払うのか疑問に思った。

AKHの基本入院費は一日120ユーロでこれには医療費や人件費は含まれていない。複雑な手術を受ける子ども達は通常3週間近くの入院期間が必要となる。入院費だけでもそれなりの額になるが、手術費、麻酔費、集中治療費が加算されば高額になるはずだ。

その教授によると、退院時に個人で支払って帰る場合、保険会社、企業が支払う場合など様々な契約形態があるというが、何れにしても国外から手術を受けに来るのは容易ではないだろう。

先日、S教授のCABGの助手(普通の手術)を担当したが、その患者さんはウィーンから1000km程離れたルーマニアから来ていた。教授は患者さんが英語もドイツ語も話せないためコミュニケーションには苦労しているようだったが。

このように通常の成人手術でも良い医師を求めて諸外国から訪れる患者さんも珍しくない。

この現象は当然の流れの様に思える。医療の質だけでなく医療システムの国際化も進んでいくのだと思う。日本にもその流れが来るのだろうか?
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多い担当手術数

2007年09月30日 | 病院
今週は担当手術が普段より多かった。

全て第一助手としてではあるが、月曜日から金曜日の5日間で9症例担当は多かった。たまたまS教授と先天性専門のW教授から本来の助手不在のため頼まれたのと、緊急手術に参加したためだ。

お陰で普段は経験しない希な先天性心疾患など、学問的に興味深い手術も勉強させて頂けたし、成人心臓手術でも多くを担当させて頂いたが、カラダは疲れているようだ。

1手術、3~4時間位が標準的な手術時間だが、術前状態、術中の状況によっては6時間を超える。一つの手術時間そのものは日本にいたときより多少短いが、症例数が増えればやはり集中している時間が長くなる。それと弁形成術はどうのように形成するのか見たいから背伸びして術野をのぞき込む。多くの先生は身長185cm以上ある。手術台は高い。自分は十分の高さのステップの上に乗っているがそれでも視野は狭く深い術野はなかなか見えない。それが体が疲れる原因だろう。


もちろん助手としてではあるが、外人医師にこれだけ臨床経験機会を与えて頂けるのはありがたいと思う。昨年は指名されることは余り無かったが、滞在期間が長くなると教授方にも自分をある程度理解してもらえているのではと思う。多くの教授の手術に携わりながら、手術合併症を避けるよう最善の方法を取るよう努力を続けることが重要だと感じている。
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弁形成術

2007年09月23日 | 病院
この日は弁形成術を得意としているS教授の症例の担当助手でした。

僧帽弁後尖P3 prolapseが主病変でそれほど困難な症例ではないと思っていました。通常通り心房間を剥離し右側左房切開でアプローチしましたが、左房径サイズの問題か、どう展開してもなかなか視野が得られませんでした。それでも何とか教授は弁輪にring逢着用の2-0 Ethibond を全周かけ、病変部をcut and sutureで形成しほぼ逆流は消失したかのように見えました。しかし教授は一部残存しているリークに納得せず、追加運針をかけ、さらにリング用のEthibond糸にも納得がいかずかけ直しましたが・・・。

視野不良のため思うような運針が出来ず、結局人工弁置換術を決断されました。手術途中でも経右房切開もあると打開策も脳裏にはあったのですが、結局大動脈遮断時間も長くなり、弁置換と至ったわけです。

S教授は困難な形成症例も手がけていますが、視野が得られないのではお手上げでした。アプローチもかなり剥離して僧帽弁に近い位置で左房を切開したと思っていましたが、実際はもっと剥離が必要だったのでしょうか。若しくは初めから経中隔切開をするべきだったのでしょう。何れにしても弁置換でさえ困難な症例でした。


2日後、その日の担当助手症例はペースメーカーリードが感染源の三尖弁IEというやや珍しい症例でした。執刀医のG教授は体外循環を確立し右房切開。後尖に2cm大のvegeが着いていて、典型的な所見です。さあどうするのか?

ベテラン外科医のG教授ですが、弁形成術を得意としているS教授をORに呼び意見を求めました。議論の末、形成術で治癒可能との結論になり、彼の助言の下、Cut and suture + sliding で病変部は完全に切除されかつ逆流もなく形成されました。さらにリングで弁輪を補強しました。


どちらの形成術にも学ぶべきことが多く含まれており、大変勉強させて頂きました。
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Ross手術の再手術

2007年08月30日 | 病院
今日の症例は再々手術の若年男性だった。

症例は15年前にRoss手術を施行され、central AR出現のため2年前にTirone E. Davidのreimplantation を施行される。今回、ARとTRのためre-redoとなった。

S教授が執刀し、慎重に癒着剥離が進む。心膜はほぼ閉じられているが強固な癒着が多く、Cannulation部位(2本脱血)と上行Aoを確保するのに2時間以上要した。出血はない。Prosthesisは全周性に強固な線維組織で覆われていたが、prosthesisそのものはsoftだ。

ようやくcross clamping。送血はFAから。心筋保護はretroのみ。A弁尖に2カ所の穿孔を認め、これが主因。Autograftのannulus(Davidで補強されている)に通常の方法でhorizontal mattress sutureをかけ、23mmの機械弁で置換された。TRは3D ring 32mmで形成。一端運針が始まれば後はスムーズだ。術前からlow EFであった。CPBの離脱には30分以上要したが、特に困難なく手術は終了した。

さて、自分には疑問が残る。今回のARの原因のperforationは何によるものだろうか?

前回の手術直後に、trivial ARは残存していたという。annulus dilatationもあるが、今回の主因はperforation だ。Degenerativeが原因なのか?
しかしそれ以外の弁組織はほぼ正常に見えた。

前回の手術で技術的ミスがあったのか?
Rossを手がける別のS教授が執刀されており、その可能性は低いはずだが。

Ross15年目で自然経過だとイタリア人麻酔科医は言っているが、そうでもないように思える。Pulmonary homograftもsoftで正常に機能しているし、今回のTRは別のものだ。

しばらく原因を追求してみる。
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ウィーン医科大学(心臓胸部外科)に留学して一年

2007年06月30日 | 病院
いつの間にかウィーンに住んで1年が経とうとしている。

ふと振り返ってみると、1年住んでようやくいろいろな面で慣れた気がする。生活環境、食事や、大学病院にも。仕事は実際に患者さんを診察することは少なく、成人心臓手術助手と研究が中心である。手術に関しては、それぞれの教授のクセややり方があり、教授の人数が多いため慣れるにはある程度の時間が必要だった。

と言うよりは、こちらの実力を認めてもらうのに時間が要したのかもしれない。最初と間近の3ヶ月間を比較すると、自分が出来る範囲にかなりの差があることに気づく。

若いナースは英語を話してくれるがベテランナースはドイツ語のみだ。こちらは下手な英語と、単語だけのドイツ語。そのためナースと2人きりになるとイライラされることがあるのは事実だが、それでも何とやっていけることが分かった。


また振り返ってみると、一番はじめに自分の名前を覚えて頂いたコメディカルは手術室の秘書の方たちだった。いつも手術の準備が整うと彼らから電話がくる。自分の担当手術がない時間でも何か興味ある手術が行われていないか気になるから、しばしば彼らに尋ねに行く。術後も彼らの部屋を必ず寄るからもっとも自分がコミュニケーションを取った人たちだった。

Dr間でのmeetingはドイツ語だからなかなか会話には入れない。手術室で二人になると話をするが、術中に長話をするわけでもないし、案外と多くDrとはコミュニケーション不足であるのは残念だ。ふと会話に入るためドイツ語を勉強しようと思うこともあるが、実際家に帰ると寝てしまう日々が続いている。

医師留学の辛いところか、やっと慣れたのにそろそろ帰国準備をしなければいけないようだ。半年先の話だが帰国後のポストを獲得する必要があるからだ。損得を考えずにヨーロッパの、ゆっくり空気の中、もう少し長く異文化を味わうか、それとも型のごとく帰国し元の生活に戻るか、決断をしなければいけない。


(AKHと5階カフェの屋外席)

たぶん、多くの先輩先生方も悩んだのではないかと思う。そろそろ日本が恋しくなる反面、一度帰国するとその後長期海外滞在は、かなり難しくなるだろうから。日本は多方面で優れた国だと再確認するが、一方欧州で生活して感じる開放感は、日本が単一民族かつ島国であることの閉塞感も再確認してしまう。
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病院での朝食

2007年06月29日 | 病院
毎朝7時半からmeetingが始まるので6時半に起床して7時に自宅を出る。ギリギリまで寝ている自分は自宅の朝食をパスすることも多い。家の前の駅から地下鉄を乗り換えて病院(AKH)につくのは7時20分過ぎだ。ここからが意外に遠い。同じ建物内なのに目的地までは数分はかかることが多く、微妙に間に合わないことがよくある。

Meetingは通常は30分程度で終了しおよそ8時。手術まではまだ時間がある。この時間でDrは術後の症例を見たりもするが、20D病棟の医師控え室にはmeeting終了と同時に数人がコーヒーを飲みやってくる。教授陣はナースのパンを囓っている。若手もみなここに一度はくる。病棟の仕事のない自分は毎日ここでコーヒーを飲んで眠気を覚ますことにしている。ドイツ語会話について行けないのは残念だが、それにもいつの間にかその環境に慣れてしまった。話が分からなくてもコーヒーを飲みながら、ソファーに1人で座っていることに慣れたのだ。最初は緊張と遠慮があったが、1人でもここに座ってしまう。

手術は麻酔がかかりほぼ準備ができるタイミングで外科医は呼ばれる。すぐに呼ばれてしまうと2杯のコーヒーだけで手術に入る日もあるが、気合いを入れる日や時間があるときは抜け出して朝食を買いに行くのが楽しみだ。

移動には多少時間がかかるが院内の5階にはSPARとANKERがある。最近はSPAR(いわゆるスーパー)のサンドイッチが好きになった。0.3ユーロのセンメルにチーズやハムが挟まって値段は1.5から2ユーロになるがそれが案外旨い。このセンメルサンドとgas入りの水、Voslauerが自分の定番になった。これを5階のベンチで食べながら手術室からコールを待つ。



日本の大学病院時代はおにぎりか三角のサンドイッチだった。この後はマクドナルドを通勤途中で買って食べていた。比べるとウィーンの朝食が一番好きかもしれないとふと思う。

無事に手術が3時間ほどで終了すれば、13時前後となる。今度は昼食の時間だ。昼食は院内の巨大メンサに行くのが日課だ。しかしメンサは14時で閉店なので手術が長引いた時は食べられない。するとまた5階にセンメルサンドを買いに行く。自分でも驚くが相当好きになったみたいだ。ただ15時過ぎにSPARに行くとあまり品数がないのが残念であるが。

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International medical congress for aortic surgery

2007年04月22日 | 病院
The medical congress concerning aortic repair was opened this week managed by our department professors in Vienna.

I would like to talk you regarding the difference in that of Japan.

This congress was not big, if anything pretty small if compared to ordinary one occurred in Japan.

So called a medical congress in Japan is usually opened at a huge hotel or several tremendous halls with thousands audience. The benefit in such a big congress may be that you can get much more opportunity to present your own studies and you can choice to see or listen to the contents in several meeting rooms at same time. But it tends to be too many presenters to take enough time for discussion.

Whereas, this week congress opened in Vienna was running in only one meeting room so that you must stay there even if you are not interesting in presenting topics. Several presenters, however, were well known all over the world, with enough discussion time in this congress, which were attractive. Because of small size, audiences had a lunch at the hotel restaurant with open garden, and easy to communicate novel professors. This must be merit in this congress opened relatively small size with leading professors.

The fee is also pretty different in Japan; 600 Euro of the entrance fee is much higher than Japanese one of less than 120 Euro. It is very good in Japanese one at this point.

I would talk to you one mention. I understood the English speeches of European presenters with quite good, but did not native speakers at all. As a whole, faster speech of native is not still easy to catch the meanings, as like watching CNN programs.
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かなりの実力に感動

2007年04月13日 | 病院
Z先生は非常に優秀な心臓外科医だ。
たぶん自分より若いが外科医としての実力はかなりのものがある。いつも彼の吻合や止血を見ていてそう思う。
既に標準的な教授と同等かそれ以上の実力に見える。
その彼がいろいろ教えてくれた。教えてくれたことはAKH流のLITAの取り方だ。電気メスの使い方、剥離の仕方、展開の仕方など、かなり手取足取りで。

非常に親切に教えてもらいながら、ふと既に半年以上ここにいたが、ようやく今になって本当のコミュニケーションが出来るようになったような気さえした。日本では自分より若い人から指導されることはあまり無かったし、おそらく気分良くなかったと思うが、この国は実力だけの勝負だ。
実力がある人から教えてもらえると本当に嬉しい。これは貴重な財産になりそうだ。
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同じROSS手術でも...

2007年04月13日 | 病院
胸部大動脈の2段階手術が久しぶりにあったので、それに参加。
AKHでは何故か大動脈の手術数が少ない。興味のある自分には貴重だ。

いつも通りG教授と若手のM教授の手術で、自分は第二助手としてなので参加というか実質的には見学だが。やはりこの手術をみると、非常に低侵襲であり価値がある方法だと思った。終わりになると、午後はROSSをやるからそれにも来ないかとG教授に誘われた。Yesだ。

午後に手術室に行ってみると、既にG教授は一人で開胸していた。M教授が何故か来ないため自分と二人での手術となった。突然の大役という感じで戸惑ったが、自分にとってはかなり良い機会だ。

S教授のROSSには何度か参加しているので多少は分かっているつもりであったが、これが大違い。やはり執刀医によりかなり違う。剥離の仕方も吻合の手順も、特に好みも。

普段から若手に厳しく指導しているG教授だけに、さすがに厳しい。自分にとっては初めて助手をするから分からないことだらけ。特に好みが。しかも手順の多い手術であるためなおさら大変。もう一人助手がいればかなりラクになるのだが。もちろん彼もそれは承知だから、「俺はこのやり方が好みだ」と吻合ごとに教えてくれのだが、やはり最初は馬が合わずに大変だった。辛うじて後半は何とか無難にこなせた。

相当短気で、気むずかしい先生かと思ったが、一緒に手術をすると非常に慎重で謙虚な手術をする先生だということが分かったのが嬉しかった。手術は成功し彼はありがとうと言って去って行った。かなり心地よさそうだった。

この先生のやり方はかなり慎重と言うか何処か日本人ぽい。
S先生は大動脈の吻合を完成させてAo cross clampを解除後に肺動脈を再建する。従ってAo遮断時間は非常に短いが技術的にはやや難となる。一方G先生は大動脈基部、肺動脈再建、最後に大動脈末梢側吻合してからの遮断解除となる。つまり見やすい順に全ての吻合を終了してから解除するので、時間は長くなる。しかも基部は2重に吻合する。肺動脈グラフトの採取もかなり異なる。S先生はハサミで、後戻りなく採取する。これはいいと思った。しかし熟知していないと真似出来ない。一方、G先生は電気メスを使用する。しかも色々な方向から確かめながら切る。確認することは良いと思う後戻りが多いし、電気メスで中隔枝を避けることが容易なのかが疑問であった。切開線も弁輪からやや離れているため剥離面が非常に大きくなる点と、横切る冠動脈枝が多少異なってくるようにも見える。縫い代が大きくなるので安心ではあるが、この点は経験の差であるのか。

ホモグラフトも異なる。S先生は理想的なものが得られない場合は入手可能なものを使っていたが、G先生は肺動脈ホモグラフトの使用にこだわっている。これは遠隔期の成績に重要である。一方、S先生はauto graftの吻合部の口径差を非常に注意を払い、厳密に測定し適合させる。術後の弁不全予防に重要であるが、この点も異なっていた。

いずれにしても面白かった。なんとか彼の助手が出来たことは多少の自信になったかもしれない。
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胸部大動脈瘤の2段階手術法 *** debranch and TEVAR for TAA ***

2007年03月28日 | 病院
若手のM.C.教授はなかなか面白い手術をしている。
*** debranch and TEVAR for TAA ***

他の施設でも始まっているが、胸部大動脈瘤のステントグラフト手術だ。
通常、弓部大動脈瘤の手術(人工血管置換術)は、開胸して人工心肺を取り付け、全身を25度以下の低体温にして行う。高度な技術が必要とされ、6時間を超える侵襲的な手術となる。最近の成績は改善したとはいえ、脳梗塞などの重篤な合併症が数%程度生じる可能性がある。デブランチ手術は、低侵襲化により合併症の軽減を目指し、この問題を解決する一つの方法かもしれないと思う。

デブランチ手術とは:
弓部大動脈瘤をステントグラフトで治療できるようにする処理がデブランチ手術。簡単にいうと従来の大手術を比較的低侵襲の2つの手術に小分けする感じ。

デブランチ手術の方法:
まずは皮切上縁は左へ伸ばし、上部胸骨部分切開とする。第二肋間までで十分な視野が得られる。左頸動脈と鎖骨下動脈を腕頭動脈に移植する。人工心肺は不要なので比較的簡単な手術だ。この手術でステングラフトを留置する十分なアンカー部分を設けられる。

後日(もしくはその場で)、ステントグラフトを大腿動脈から挿入して、弓部に移植する。

ステントグラフト手術は人工心肺を使用せず、開胸も必要ない。一緒に手術に参加して本当に低侵襲だと思った。通常の方法だと吻合後に出血すれば結構大変で、輸血準備は必要不可欠であるが、それと比較すると大違いである。もちろんこの方法が万能というわけではないが、体力の衰えたご高齢の方にはよい方法だと思う。

おそらく日本では信頼性の高い第二世代のステントグラフト(TEVAR)がまだ認可されていないのかもしれない。EU版の取説を読んだ。多数の言語で説明されているが、中国語はあっても日本語がないからそう思えた。日本では規制緩和や許認可がまだ進んでいないのかもしれない。

日本は世界的に見ても、弓部大動脈瘤の手術成績が良好な国である。さらにこの技術が加わればと思う。
低侵襲であり、合併症の軽減により社会負担の削減になるかもしれない。


【追記】2014年現在:日本でも相当数のデブランチ手術が施行されています。

日本でのデブランチ手術の主流は上記方法とはやや異なり、非解剖学的な血行再建(弓部の分枝移植)を用います。
ステントグラフト挿入に先立ち、たとえば腋窩動脈-腋窩動脈バイパスを施行したり、またはそれに左総頸動脈バイパスを追加します。それにより弓部分枝2本(左鎖骨下動脈、左総頸動脈)を実質的に移植したことになります。
ウィーンでの方法(縦隔内の解剖学的再建)と比べて、日本で主流方法(非解剖学的血行再建)の利点は胸骨切開(いわるゆ開胸)が不要なことです。専門医的には乳糜漏や反回神経障害のリスクがないこと、つまり、より低侵襲であることです。
欠点を挙げるならば小口径の人工血管が必要なこと、人工血管によるバイパス長が比較的長く、従い閉塞予防のため抗血小板薬の内服が必要なことかと思います。専門医的には胸骨前面の皮下に切除できないグラフトが横断する将来的なリスクも考慮するべきかもしれません。

いずれの方法でも、従来の手術が困難な方にはデブランチ手術が解決策になる可能性があります。



ウィーンでお世話になった先生方(毎朝のカンファレンス風景)
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論文

2007年02月08日 | 病院
論文を書くのは大変な作業です。

数年前に行った実験なのですが、膨大なデータを収集したのにもかかわらず、途中で挫折しそのままになっています。もちろんそれはよくないことです。遅れれば遅れるほど、あらな治療法などより斬新なものが発表され、論文の価値は低くなってしまうのからです。

しかしながら、論文をまとめるのはやはり大変な作業です。スラスラ書けると面白いのですが。データを客観的に整理して、これまでの知見と比較してその有用性を述べなければなりません。論文のデータが理想的なものであればまだよいのですが、実験は必ずしもそう理想的にはいきません。それが辛いところです。そのデータからいかに新しい治療法の有用性を引き出すかが鍵となります。

考えても、考えても、一人に人間の思いつくことには限界があるようにも感じまし、文章を書く能力はすぐに上達するものではありません。そこで頼れるのはやはり経験豊かな教授です。
先日、以前お世話になった教授から連絡を頂きました。神の手って感じです。早速、論文を見て頂くことにしました。

どの業界でもおそらく情報に溢れていると思います。医学界、しかも自分の専門分野しか知り得ませんが、そんな限局された分野でさえ数え切れないほどの論文が毎月発表されています。常識を変えるような価値が高いものはもちろん限られています。しかし何編論文を書いたかが重要とされていますので、たとえ価値が高くなくても、皆論文にします。日本人医師の症例発表の多さを見るとぞっとしますが、自分もその一人です。

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