アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

「どうする家康」で感じた設楽原の戦いについて

2023-06-14 06:00:00 | つれづれ

視聴率低迷が叫ばれている「どうする家康」だが、その原因はさておき、先日の設楽原の戦いは、がっかりしたり、感動したりの複雑な気分になった

 

 皮肉にも直前の「歴史探偵」でこの戦いを取り上げていて、今わかっているこの戦いの真実について紹介していた。

 だが、残念ながらドラマの方では、いわゆる伝統的な「長篠の戦い」の形で放送されていた。ただ、救いとしては、偉大な信玄に対し、だめな跡継ぎとして描かれることの多かった勝頼が、しっかりした武将として描かれていたことだろう

 

 実は、勝頼の時代に武田の版図は最大になっていて、本来もっと評価されるべきなのだが・・・ちなみに真田丸でも平岳大が威厳ある武将として好演していた。

 歴史探偵の中身ともまた違うが、概ねイメージを同じくする記事が出ていた。こちらをご覧いただこう

 

 また三河物語などに書かれた徳川の戦いの実態なども本来もっと評価してもいいはず。

 それに加えて、歴史探偵によれば、両軍の鉄砲の玉の材質が違っていたことや、武田軍の攻めるルートが限られていたことなど、今の研究で見えていることをもう少し取り込んでくれてもよかったかなと。

 

 ただ、戦死した山県昌景の演技はなかなか感動ものだった。武田二十四将といわれた強者の中でもダントツに強いと言われた山県を好演してくれた

 歴史のタラレバは禁物だし、結果がすべてであるが、銃弾の物量が勝負を分けたとすれば、いち早く堺を押さえ、武田領に十分な物資を与えなかったところに勝機があったことになる。

 

 前作の「鎌倉殿」にも登場した甲斐の武田氏は源氏の正統派のひとつであり、名門中の名門であった。

 鎌倉殿のときからでも350年以上続いた名門が、勝頼で滅亡するというのも、なんとも・・・であるが、信玄同様に勝頼ももっと評価してやりたいと

 

 今回の勝頼は、そんなきっかけになりそうだ。なによりかっこよかった。

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