先日の記事で、寄席芸人の波多野栄一についてちょっと書いた。そこで、続けて思い出したのは曲芸の東富士夫だ。
あれは、小生が初めて新宿末広亭に行った日のこと、1977年の4月だった。一人で行ったので、ドキドキしながら入った。
円鏡・志ん朝・馬生・正蔵などの有名どころが出ていたことを覚えている。逆に圓菊なんかは初めて聞いて新鮮だった。
そんな中、出てきたのが東富士夫だ。威勢のいい地囃子とともに、無言でひたすら曲芸をやる。樽を回したり、皿を回したり、さらには帽子のつばをさわって回したり・・・
これは、度肝を抜かれた。文字通りタネも仕掛けもなく、ミスが許されない芸。その真剣勝負に感動した。ときには、一升瓶を頭に乗せて逆立ちまでしていた。
調べてみたら、こんな動画が見つかった。よくぞこの画像が残っていた・・・と。このBGMが彼の地囃子で「運動」とか「富士夫」と呼ばれている由。
その後、在学中に寄席にずいぶん通ったが、富士夫はけっこうな頻度で出演していて、一度もミスをしたことはなかった。
そして、一言もしゃべっていない・・・考えてみると、当時の色物さんはけっこう無言でやっていた。マジックのアダチ竜光とか、太神楽など・・・
それがまた寄席の番組の中でいいアクセントになっていた。学生時代は、昼の部から夜の部まで7時間くらいいたこともあるが、こうした色物さんは楽しかった。
今では、こういう芸人さんも見られない。寄席には漫才や太神楽、紙切りなどの色物さんはいるが、純粋な曲芸みたいなのはいないような・・・
まさに昭和の演芸ということかな・・・完全にノスタルジーの世界だし、テレビなどにほとんど出ることもないわけで・・・寄席でのみ見られる貴重な芸だ。
ときに東富士夫という芸名は、師匠の東富士子からの流れのようだが、さらに元々は横綱の東富士からなのかなあ・・・と。
今回、調べて知ったのは、東富士夫は下田市の出身だったということ。おお、なんと小生と同郷というレベル。
最初に見て、感動したのは、伊豆の血が騒いだから? なんて勝手に縁を感じた小生である。
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