「終着駅は始発駅」という歌がある。北島三郎の歌った演歌で、確か昭和52年の紅白でも歌っていたはずである。考えてみれば、終着駅は始発駅なのは当たり前なのだが、そこにいろんなメッセージを感じるのが日本人のオヤジである。
例えば、東京においては小田急線の新宿は終着駅ではあるが、そのままJRほかに乗り換えられるということを考えると、ここでは妥当ではない。
反対の箱根湯本、いやその先登山電車の強羅か。というように見ていくと、「そこから先は電車がない」というところはなかなかないものである。
その意味で、小生の田舎の方では伊豆急下田がそうだ。しかも伊豆急線は単線で、下田で電車を回す施設などないので、行きに先頭だった車両が帰りは最後尾となる。
伊豆急線は伊豆半島の東海岸を南北に貫いているので、これを逆手にとった車両が走っている。リゾート21という電車だ。
下田(南)に向かっていく電車の左側の座席は、進行方向に対し直角、つまり海に向かってセッティングされている。ホームで電車を待っている人から見ると、正対する。
伊豆半島で大きな地震が起こり、伊豆急線が壊滅的な打撃を受けたとき、伊豆急の組合はベア要求を3年凍結し、会社復興に労使で取り組んだ。
そこから立ち直り、逆にリゾート21というアイディアを実現した。単線の線路が半年も寸断されていたこともすっかり風化しつつある。
今では、この電車は踊り子号の一部に取り入れられたり、黒船電車という発展系まで出てきている。
終着駅は始発駅、命さえあれば何度でも人生はリセットできるはずである。終わったら、そこから始めればいいのである。
いや逆に言えば、終わらなければ始められないのだ。終わりがあるから頑張れるのだし、人生終わりがあるから美しいのだ。
久しぶりに、伊豆急下田の駅に降り、ふとそんなことを考えていた。当たり前のように、乗ってきた電車が折り返し、出発した。
「さあ、もう一度始めたら?」そんな声がどこからか聞こえたような気がした。
例えば、東京においては小田急線の新宿は終着駅ではあるが、そのままJRほかに乗り換えられるということを考えると、ここでは妥当ではない。
反対の箱根湯本、いやその先登山電車の強羅か。というように見ていくと、「そこから先は電車がない」というところはなかなかないものである。
その意味で、小生の田舎の方では伊豆急下田がそうだ。しかも伊豆急線は単線で、下田で電車を回す施設などないので、行きに先頭だった車両が帰りは最後尾となる。
伊豆急線は伊豆半島の東海岸を南北に貫いているので、これを逆手にとった車両が走っている。リゾート21という電車だ。
下田(南)に向かっていく電車の左側の座席は、進行方向に対し直角、つまり海に向かってセッティングされている。ホームで電車を待っている人から見ると、正対する。
伊豆半島で大きな地震が起こり、伊豆急線が壊滅的な打撃を受けたとき、伊豆急の組合はベア要求を3年凍結し、会社復興に労使で取り組んだ。
そこから立ち直り、逆にリゾート21というアイディアを実現した。単線の線路が半年も寸断されていたこともすっかり風化しつつある。
今では、この電車は踊り子号の一部に取り入れられたり、黒船電車という発展系まで出てきている。
終着駅は始発駅、命さえあれば何度でも人生はリセットできるはずである。終わったら、そこから始めればいいのである。
いや逆に言えば、終わらなければ始められないのだ。終わりがあるから頑張れるのだし、人生終わりがあるから美しいのだ。
久しぶりに、伊豆急下田の駅に降り、ふとそんなことを考えていた。当たり前のように、乗ってきた電車が折り返し、出発した。
「さあ、もう一度始めたら?」そんな声がどこからか聞こえたような気がした。
あ、師匠も「師匠語録」みたいなの作ってみられたらみなさん楽しいかもですよ
私は長島監督語録のいろはがるたを持ってますが(。。。あー、まにあっく)、それにインスパイアされて、友達が元上司の名言集(いえ、迷言集あんど口癖でした)をいろはがるたにしようとしてました。結局絵札を描く時間がなくて企画倒れに終わりましたが、その字札だけでも相当楽しかったです
大阪に43年住んでいて、未だに大阪環状線の終点がどこか知らないんですが・・・本当は起点・終点とも大阪駅なんですけどね。
実際は桜島に行ったり、京橋・森之宮で運転を打ち切ったり、大阪と天王寺では折り返し運転しています。関空・奈良・和歌山にも行ってますね。
>命さえあれば何度でも人生はリセットできるはずである。
人はなかなかこの事に気づかない。。。でも気づけた時、誰かが自分に気づかさせてくれた時、「もう一度」頑張れるのかなと、思ってみたりします。いろいろな思いを「もう一度」エネルギーに替えて。。。
今後ともよろしく!