アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

江戸っ子にも難しい地名

2014-03-05 06:00:07 | つれづれ
噺家の世界では、噺家を芸名でなく住んでいる町の名前で呼ぶ。だから名人と言われた先代の文楽が登場すると「黒門町」と掛け声が掛かった。

 これも、昔の地名だからいいんで、登場するとたんに「松原団地」とか「多摩プラーザ」なんて呼ばれた日には・・・である。
 さて、そんな中、「江戸っ子にも難しい難読地名」という記事を見つけたので紹介しよう。読者の皆さんはするっと読めるだろうか。


 第一位は、狸穴だった。なるほど・・・これを「まみあな」とは、知らなければなかなか読めないぞ。実は・・・小生、この地名は歌で知った。
 ロス・インディオスとシルビアの「別れても好きな人」の歌詞に入っていたのだ。えっ、入っていたっけ? という向きも多いだろう。

 この歌、最初にレコーディングしたときの歌詞は、♪歩きたいのよ狸穴、灯りが揺れてるタワー・・・だったのだ。それがなじみにくいということと、シルビアと一緒にこの歌を高輪のホテルで歌っていたということで、高輪に代えて大ヒットしたという次第。
 だから、最初の頃のカラオケは、原作の歌詞の通りになっていた。

 ついで、八王子の廿里だが、これは「とどり」と読むことを小生も知らなかったし、「とどり」で変換してもこの字は出てこない。
 「廿」という字は二十という意味の字だから、十十里と書いて、「とどり」と読ませたのかなあ・・・なんて想像するが。

 三位の日本橋蛎殻町は、読めないと噺家としては恥ずかしいかも。江戸時代の香りの漂う地名である。地名変更でどんどん伝統的な地名の消える中、残っているのは嬉しい。
 この周辺は地下鉄などの駅名でも、小伝馬町とか馬喰町、人形町といったどんな由来かわかりやすい地名が残っている。どうかこのまま残してほしいものだ。

 考えてみれば、調布や国分寺のように奈良時代ゆかりの地名も残っているし、東京にも古い地名はまだまだ多い。
 笑ってしまったのが、番外編の地名。内幸町を「ないこう」と読んでいたなんてエピソードには、思わず、それじゃあ性格が暗いぞ・・・なんて(苦笑)

 また記事にあるように、石神井も自然に覚えていたが、先入観がない状態なら「しゃくじい」とは読めないかも・・・
 東京ではないが、近いところでは幸手も読めそうで読めない感じだし、何より千葉の匝瑳などはかなり読みにくいはず。

 個人的には好きな世界だが、地名の奥深さには興味が尽きないなあ・・・
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