アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

東海道を歩いてみると

2011-11-12 06:24:08 | 薀蓄
前回の記事で江戸時代の一刻の話を書いたので、その延長で少し語ってみたい。ここでは、話をシンプルにするために、一刻を2時間と設定しておこう。

 人が歩くスピードは、個人差があるが概ね時速4kmという。当時の里程の一里は約4kmだから、一里は半刻で歩ける距離となる。
 だから宿場までの一里塚があれば、あと半刻で到着するぞ・・・ということになるわけだ。今七つに出発し、午後の七つまで歩いたとする。

 途中昼食休憩と、小休憩で合計2時間休んだとすると10時間。理論上40km(=十里)歩くことになる。実際、当時の常識として一日十里というのがあったようだ。
 東海道本線で、東京~小田原間が約80km、つまり二十里だから、当時の感覚だと江戸を発って、翌々日に小田原に到着という感じか。

 箱根八里というが、山道に入り、箱根を越えていくから三島か沼津で三日目が終わる・・・天気は無視すると、京都までは約百二十五里くらいだから、13日くらいかかる。
 途中の川の渡しとか、天気を考えれば15日くらいというところだろう。

 時代劇に出てくる三度笠というのは、東海道を月に三往復した早飛脚から来ているというが、五日で片道踏破となると、一日に100km走ることになる。
 一日十時間走るとして、時速10km。箱根駅伝の半分のスピードで、一人のランナーが100km・・・ほんとかよって。

 まあ実際には、途中で何人かが駅伝よろしくやっていた可能性もあるんだろうが・・・ともかく一刻で二里というわかりやすい換算が、時計など持たなかった当時の旅人を助けたことは疑いのないところだ。
 時を知る物差しは太陽だから、南中したときが九つ。それから日没までの太陽の距離感で、2/3太陽が進むと七つ。その辺で宿場に・・・なんて感じか。

 落語には「大山詣り」というのがある。大山は、伊勢原周辺だから、江戸から出て途中一泊して二日目に到着と見るべきか。
 理論的には三日くらいで往復できるわけだが、、当時は江の島に寄ったりしつつ、必ず江戸に入る前夜は品川に泊ったようだ。

 十分その日のうちに江戸に帰れる距離でも泊る・・・もちろん夜間はリスクが高いということもあるが、それには別の意味もあった。
 その辺は稿を改めたい。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Galaxy S2新色登場? | トップ | 伊勢海老三昧 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

薀蓄」カテゴリの最新記事