アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

聖なる心で

2005-02-13 16:37:43 | つれづれ
今日は、神田明神に出かけてきた。先日見てもらった「手相占い」で、薦められたからである。というところで、その話など。

 御茶ノ水で降り、湯島の聖堂の裏手を入ればすぐ神田明神である。ここは、江戸総鎮守であり、平将門も合祀されている。
 大変に、力強い神社ということで、小生もかなわぬ祈りを、いや縁起でもない、願いがかなうよう真剣にお祈りした。

 さすがに、神域の空気が違う。生きることさえ、あきらめかかっていた情けない気持ちが、スーッと消え、気持ちが張ってきた。「よし、これからも定期的にお参りしよう」と思った。
 せっかくなので、「しごとのおまもり」をいただいた。

 そこから、聖橋を渡り、御茶ノ水駅周辺へ。湯島の聖堂と聖ニコライ寺院を結ぶことにちなみ、名づけられたという橋の由来がよくわかる。
 小生、ここにある某予備校で、空白の一年を過ごしたため、この街に来ると青春がよみがえる

 まず、仲間と毎日昼飯を食べた食堂を探した。あった! 狭い狭い階段を上がり、毎日のように食べたハンバーグの味が懐かしい。よくぞ、つぶれていなかったものだ。
 当時の店もいっぱい残っていた。急にタイムスリップした気分になった・・・

 御茶ノ水の駅前の交差点から、神保町に向かう下り坂を見ると、頭の中を「三木聖子のまちぶせ」が流れ始めた。
 ♪夕暮れの街角、覗いた喫茶店~ちまたでは、この曲は「石川ひとみ」の曲だと思われているが、荒井由美の作ったこの曲を初めてリリースしたのは、三木聖子だ。

 石川ひとみも嫌いではないが、この曲だけは三木聖子にはかなわない。思いをとげようという凄みが違う。
 なんだか、涙が出てきた・・・恥ずかしいので、ちょうど同じ頃デビューした角川博の曲「涙ぐらし」を口づさんだ。かえって、恥ずかしかった(笑)

 神田明神と聖堂、そして三木聖子、聖なる心で原点を見つめ、自分に頑張ろうと言い聞かせた。
 聖ニコライ堂の鐘が鳴った。
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4 コメント

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御茶ノ水! 懐かしいです! (NEKO)
2005-02-13 18:51:02
情景が目に浮かぶような描写で涙が出そうになりました(師匠とは違った意味で、ですが...笑)。

実は私は学生時代から数年間御茶ノ水に住んでいた事がありましてとても懐かしく読ませて頂きました。

聖橋側から千代田線に降りるところのビルのコージーコーナーや不二家は御用達でしたし、湯島天神に向かう途中のカフェではその頃珍しくサラダうどんにマヨがついていて、マヨラーの私としては笑顔満開のお店でした。

そうそう、神保町と言えば、その頃その通り一帯を埋め尽くしていたスポーツ用品店「ヴィOトリア」でバイトした事もありました。

...と、話は尽きそうにありません。
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そうだったんですか ()
2005-02-13 19:27:35
NEKOさんが、御茶ノ水に縁があったとは・・・



なんとなく、シンクロして嬉しいです。

御茶ノ水って、いいですよね。



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荒井由美ですか (ゆきこママ)
2005-02-13 21:03:25
松任谷由美と書かないところが、いかにもオヤジ(笑)

荒井由美さんには、まだ彼女がデビューする前にお会いしたことがあります。

セーラー服を着た高校3年生で、フランス帰りだった時でした。

なぜかと言うと、彼女のデビュー曲「愛は突然に」を、かつみが唄うことになったからなのです、なんと生意気なと、悔しがったことしきり(笑)

あの時のあの子がこんなになるとは。。。

で、当然ながらユーミンは最初から敵扱い(爆)

あの時のあの出会いがなければ、私もきっと世の女の子のように「ユーミンの世界」に浸っていたのかなと思うと、ちょっと複雑。。。
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当然こだわりです ()
2005-02-13 21:48:49
あのときの、ユーミンはまだ「荒井」でしたから・・・

当然、「松任谷」になってからの曲なら、そう書きますよ。だから、「私をスキーに連れてって」の「スキー天国・サーフ天国」なら「松任谷」です。



オヤジのこだわりです。
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