先日の記事でいわきの秘湯に行ったことを紹介した。いつものように早めのチェックインで・・・といいつつもどこもよらずにでは芸がない。
ということで、今回まず立ち寄ったのが五浦海岸の五浦六角堂。小生、以前水戸に勤務していたときにいずれ行こうと思っていたが、行けなかったところだ。
何しろ、水戸には半年しかいられなかったのだから・・・と初めてこの地に到着したところ、駐車場のそばに目に留まったのが、この井戸。なんでも水戸黄門に由来するという。
それはともかく目指す六角堂はすぐに見つかった。この六角堂は、岡倉天心が建てたものだ。彼は、この海を臨むところに六角堂を建て、ゆっくりと海を眺めていたらしい。
この六角堂も東日本大震災の津波で流されたという。現在の建物は、再建されたものというが、当時の風情を忠実に残した由。
その周囲の海岸風景は、地震の前後で少し地形が変わったようだ。さらに六角堂の上のところにあった別邸の床の高さギリギリまで津波が押し寄せたらしい。
湾の地形のこともあり、この地の津波は10メートルを超えていたようだ。その高さを再度認識した。
今さらになって、震災の激しさを思わざるをえない。といいつつ、この別邸の脇には、岡倉天心の唱えた「亜細亜ハ一つな里」という碑が立っていた。
最初は、「あじあ はーっなり」と読んでしまったが、「アジアはひとつなり」と読むらしい。英語を子供の頃から自由に操ったという天心のグローバルな視野が見えるようだ。
五浦海岸から見える街並みはいわき市である。まさに県境の海岸になる。さあて、ここからもう一か所の目的地に向かおうか。
というところで、この先については別稿にて・・・
ということで、今回まず立ち寄ったのが五浦海岸の五浦六角堂。小生、以前水戸に勤務していたときにいずれ行こうと思っていたが、行けなかったところだ。
何しろ、水戸には半年しかいられなかったのだから・・・と初めてこの地に到着したところ、駐車場のそばに目に留まったのが、この井戸。なんでも水戸黄門に由来するという。
それはともかく目指す六角堂はすぐに見つかった。この六角堂は、岡倉天心が建てたものだ。彼は、この海を臨むところに六角堂を建て、ゆっくりと海を眺めていたらしい。
この六角堂も東日本大震災の津波で流されたという。現在の建物は、再建されたものというが、当時の風情を忠実に残した由。
その周囲の海岸風景は、地震の前後で少し地形が変わったようだ。さらに六角堂の上のところにあった別邸の床の高さギリギリまで津波が押し寄せたらしい。
湾の地形のこともあり、この地の津波は10メートルを超えていたようだ。その高さを再度認識した。
今さらになって、震災の激しさを思わざるをえない。といいつつ、この別邸の脇には、岡倉天心の唱えた「亜細亜ハ一つな里」という碑が立っていた。
最初は、「あじあ はーっなり」と読んでしまったが、「アジアはひとつなり」と読むらしい。英語を子供の頃から自由に操ったという天心のグローバルな視野が見えるようだ。
五浦海岸から見える街並みはいわき市である。まさに県境の海岸になる。さあて、ここからもう一か所の目的地に向かおうか。
というところで、この先については別稿にて・・・
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