アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

やはり駅伝が日本のマラソンをダメにする

2016-01-02 06:00:55 | つれづれ
お正月というと、毎日駅伝三昧となる。元日というと社会人のニューイヤー駅伝である。100kmというから、箱根の片道とほぼ同じくらいの距離だ。

 今回も惰性で見ながら、やはり日本のマラソン低迷の原因は駅伝にあるなと思った。まず駅伝というスポーツが日本オリジナルなもので、日本的なものであることがそのひとつ。
 個人の責任というより、チームのためにという絆的なものが強調され、ブレーキになった選手ですらチームが勝利すれば賞賛されたりする。


 よって優先されるのはチームの勝利であり、記録の水準ではない。
 さらに箱根はともかく、ニューイヤー駅伝や全国高校駅伝に導入されている、いかにも島国根性なルールが輪をかける。外国人選手が出場できる区間が限定されていることだ。屈指の高速区間のインターナショナル区間なんてオバカな設定だ。

 高校生の方は、「留学生」というくくりであるが、たとえば甲子園で話題になったオコエなどはこのくくりには入らないし、小学生から日本にいれば文句もないだろう。
 そのうちに、そういう選手を集める高校も出てくるかも知れない。ちなみに高校で、インターナショナル区間を設定したのは、以前長い区間の一区に留学生を投入して逃げ切り、勝負があっさりついてしまったからという。

 当然五輪で、こんなバカな話ができるわけはない。ここで、留学生に伍して勝負できる日本人選手を育てるという議論にならないところが問題だ。
 現実の話として、ニューイヤー駅伝ではインターナショナル区間は最短の区間で、勝負全体にはほとんど影響していない。

 かつて山梨学院が箱根に留学生を登場させたとき、練習中などに「きたねえぞ」とか「そこまでして勝ちてえのか」とかという罵声が浴びせられたという。
 不思議な話である。勝利至上主義で、記録は二の次なのに、日本人でない選手が入るとたちまち「きたねえ」って・・・

 ならば、甲子園に行くために、全国から有望な選手を集めるのはきたなくないのかって。
 日本人が日本人のために、日本人の設定したルールの中でやっている、駅伝という世界大会にはありえないスポーツをやっている限り、日本のマラソンが世界レベルになることはないだろうと。

 もっとも・・・それを助長している実業団と、マスコミも罪作りではあるが・・・
 といいつつ、今日と明日はやっばり箱根を見てしまうんだろうなあ・・・
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