アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

日本はイスラムの性差別を責められるか

2015-02-15 06:00:08 | つれづれ
女子の就学機会の平等を訴えているマララさんがノーベル平和賞を取ったり、また逆にISILあたりの男女差別の問題を聞くにつけ、「イスラムの世界は男女不平等だ」なんて思いがちな我々であるが、どっこい日本だって・・・という記事を見つけた。

 少し長めの記事だが、こちらに紹介しよう。ポイントは、ここで指摘されていることは、どうかすると我々が差別的だと意識していないことではないかって。
 興味深かったのは、四年制大学の進学率。日本の場合は、男性>女性だが、欧米先進国でこういう国はほとんどないということ。

 現在の東京大学の女子学生の比率も、2014年度の入学者で約19%。ここでのポイントは、日本の場合は「受けられない」ではなく、そこで壁になるのが、「女の子は浪人なんかしなくても」「女の子は地元でいいから」といった、親や周囲の考え方だという指摘。
 そういえば、小生の就職の頃、「親元から通学していない女子大生は就職に不利」なんてこともよく聞いた。男子にはそんな話はないわけで・・・

 逆もある。たとえばサラリーマンの妻の年金の三号被保険者。小生が専業主夫で妻が働いていてもその権利は小生にはない・・・
 ここに、「男は仕事、女は家庭」みたいな固定的な価値観が根付いていると感じているのは小生だけだろうか。

 どこかの首相が「女性の活用」なんて言っているが、その時点で不平等であるということに気付いていないだろうか。
 個人的な話で恐縮だが、小生にとって悲しいトラウマがある。愚娘が産まれたばかりの頃のことだ。一か月健診で会社を休んだ小生に対し、職場で一番きつく言われたのが職場の女性社員たちからだった。

 曰く「男がそんなことで休むなんて」と。これは、逆セクハラだと感じたが、小生的にはどうにも納得できなかった。
 以来、子供が熱出して家内が休めないときは、小生が会社を休むようにした。それが当たり前な世の中にならなければ・・・と。

 家庭での役割分担をほとんどやらないことを、自慢げに言っている上司がいる限り、日本はろくな社会にならないように思う。
 もっとも、女性もそれに甘んじている人もまだまだ多いような・・・ああ、こんな難しいことを論ずるつもりはなかったのだが・・・





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