アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

須崎御用邸の話

2020-02-29 07:00:06 | ノスタルジー

下田の御用邸は下田の須崎というところにある。下田の中心街から見ると南東に張出した須崎半島というのがある。

 

 その先端が爪木崎(上写真)で、その半島の付け根にあるのが外浦海岸だ。こちらは内海の入江になっていて、お隣の白浜などの波が高くてもこちらは静かなことが多い。

 その外浦と爪木崎の間にあるのが須崎の御用邸である。もちろん現在は一般人は立ち入り禁止なのだが・・・

  

 小生は、この御用邸の敷地にガキの頃何度も入っていた。というのは親戚の漁師小屋がここにあったからだ。写真でもわかる通り、御用邸の右側に小さなビーチがある。

 ここをアップで見たのが右の写真だが、黄色い〇のところに小屋があり、漁業の基地にしていた。男性陣が漁に出掛け、女性陣は畑の作物を持ち、白飯を持参して小屋に集合する。

 

 取り立ての魚と野菜を大鍋で味噌汁にぶちこみ、いただくのが地元の漁師料理「池の段煮味噌(いけんだにみそ)」だ。

 その間小生たちガキはこのビーチで遊ぶという・・・今から考えるととっても貴重な体験をしていたものである。

 

 そのビーチはあくまで水がきれいで、とてつもなく遠浅で、地元では「三井の浜」と呼ばれていた。今回調べたら、御用邸は元々三井の別荘があったところだったようだ。

 写真は外浦と御用邸の隣の九十浜のもの。この二つに挟まれているので、三井の浜のイメージとしてはこんな感じだった。

 

 だが、いまだに記憶にあるのは、この写真の赤〇のあたりに使われなくなった化学研究所のような施設があったこと

 当時すでに廃墟となっていたが、ガラス窓越しに薬品の瓶などがならんでいた記憶が今でも鮮明にある。あれはいったい何だったんだろう。ガキながら戦時中の秘密施設の名残ではと・・・

 

 そんな三井の浜が接収され、御用邸になるというニュースが入ったのはいつのことだったか。1971年に御用邸が完成しているので、メキシコ五輪の頃のことだろうか。

 今では、見に行く余地もないが・・・

 

 御用邸が完成して最初の陛下のご来訪の時は、旗を持って沿道に整列してお迎えした。雨だった記憶がある。

 この御用邸は夏場にいらっしゃることが多く、さすがにその後はお召列車でくることが普通になったが・・・

 

 下田市の人間にとって数少ない自慢(?)は、日本中の他の駅のほとんどに停まらない電車(お召列車)が停まるということだったりした。

 もし、叶うならば、生きている間に、あの三井の浜でもう一度だけ遊びたいものだ。

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