アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

やっぱり石川ひとみだよ

2016-12-13 06:00:04 | ノスタルジー
五十嵐夕紀のことを書いたら、それに関連して倉田まり子について書いてしまった・・・となれば、でどうしても書きたくなったのが石川ひとみだ。


 以前からいろいろ書いているが、個人的にベストアイドルというと、石川ひとみをおいてない。そりゃあ五十嵐夕紀もお気に入りだったが、考えてみると石川ひとみがそれをあっという間に駆逐してしまったというのが本音のところ。
 デビューは1978年、三木聖子が1976年、五十嵐夕紀が1977年、そして倉田まり子が1979年と、この時期の象徴的なアイドルが並ぶ。

 デビュー曲の「右向け右」を初めて聞いたのが、テレビ番組のクイズドレミファドンだった。そのときの印象は整った美人だけど、暗い印象だなあと・・・
 そして、二曲目の「くるみ割り人形」を初めてテレビ番組ラフラブショーで聞いたときに、萌え死にそうになった。か・か・可愛い、そしてこの歌のうまさって・・・ちなみに、左写真が「右向け右」のとき、そしてトップ写真が「くるみ割り人形」のときだ。


 お聞きになればわかると思うが、歌詞はかなり暗い。だが、彼女の声はあくまで明るく澄み通っている。
 それから個人的に、ドーンと突き刺さったのが「ハート通信」だった。これまた暗い歌詞なんだが、ひっちゃん(石川ひとみの愛称)の手にかかると気持ちいい。

 当時の週刊プレイボーイの人気コンテストでも、TOPになったこともあり、ビジュアルで人気を博したが、不思議なことに歌は売れなかった・・・
 アイドルというには、上手すぎた? なんてことはないと思うが、不思議なことに・・・ヒット曲には恵まれず、引退の予定のラストシングルが運命を変えた。

 そう皆さんおなじみの「まちぶせ」である。1981年のこの歌は、石川ひとみといえば・・・というくらい代名詞になっている。だが、以前から読者の皆さんにはあきれかえるくらい書いているが、この歌は1976年の三木聖子のデビュー曲。
 唯一、この曲だけは個人的には石川ひとみの曲と認めたくないが、これが大ヒット。


 倉田まり子がいわばマスコミに殺されたのに対し、石川ひとみはこの曲で、歌手として命をながらえた。ちょうど渚ゆう子が「京都の恋」でながらえたように・・・
 その後、テレビ番組「ナイルなトトメス」の主題歌「元気あげるね」なんかは愚娘と見ているふりをして曲に萌えまくっていた。

 いまでも熱烈なファンがいるらしく、こちらにメドレーなんかも見つかったし、太田裕美の大ヒット曲「木綿のハンカチーフ」を歌っていたのも見つかった。
 これまた太田裕美のそれと一味違い、石川ひとみらしい歌いぶりはなんともいい感じである。太田裕美だっていいし、石川優子もいい、桜田淳子にも萌えた。

 三木聖子とか、五十嵐夕紀などなど・・・お気に入りといったらキリがない。でもやっぱり石川ひとみにとどめをさす・・・これは、小生にとっては変わらないだろう
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 真田丸、またまたネタか? | トップ | ミニって聞いてたのに、ミニ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ノスタルジー」カテゴリの最新記事