先日のこと、見たいものもないので、テレビのチャンネルをいじっていたら某ローカル局が「江戸の旋風」というなんとも懐かしい時代劇をやっていた。
懐かしいなあ、いつ頃だっけと調べてみたら、昭和50年~だった。意外に新しいのね・・・(←そうか?)
調べてみると、こんなふうにオープニングテーマまで動画がアップされていて、いまだに人気があることがわかる。
さて、その日見たときにゲストで出ていたのが・・・なんと吉沢京子だった。おお、岡崎友紀とともに若者の心を虜にしたアイドル女優ではないか。
おそらくこの時代劇のときは21歳前後と思われるが、子供扱いされていた。とはいえ吉沢京子といえば、なんといっても「柔道一直線」にトドメをさすだろう。
読者のみなさんにはご存じない向きも多いかもしれないが、人気アニメを実写化したこのドラマ、当時のガキたちはもちろん大人たちにも大人気だった。
高校の柔道部の物語だが、なにしろ技がすごい(笑) 主人公の必殺技は担ぎ上げてから投げ飛ばし、それを着地点に先に到達して受け止めながら再度投げる二段投げ。
ライバル選手の何がすごいのかわからない、「山津波」とか「ライナー投げ」に対抗し、主人公の次なる技は、「フェニックス」「真空投げ」「地獄車」ともはや何の競技だか(苦笑)
言葉で書いていてもうまく説明できないので、こちらをリンクしておく。はっきりいって笑える・・・
選手もぶっとんでる・・・写真のようなマスクをした謎の選手とか(一応、高校の部活なんだが・・・)、おなじみ近藤正臣演ずる主人公の先輩は足で「猫ふんじゃった」を弾く・・・それが何の意味があるのかわからんが・・・(爆)
実は小生、この頃の近藤正臣にあこがれていたが、実は高校生役ながら30歳だったという(苦笑)
彼女はその中のヒロイン役として活躍していたのだが、ドラマの中では主人公一条直也を「一条くん」と呼んでいるセリフしか思い出さない。
だが、これがきっかけで高校で柔道部に入れば、足でピアノが弾けるようになったり、吉沢京子のような彼女ができるかも・・・といった夢をもったガキは・・・
きっといなかったろうなあ・・・
今でも覚えているのは、謎の転校生が実は「東海の龍」と呼ばれる強い選手だったことが判明したシーン。
ガキたちの話題で、「そういえば、なぜ東海の龍はこれまで全国大会に出ていなかったんだろう」というのが冷静な話題として交わされていたこと。今なら「しー、そこは大人の事情だよって」・・・青春だったなあ(苦笑)
この「柔道一直線」は放映当時物凄い人気で忘れられませんが、何といっても「主演 桜木健一の人気は凄まじかった」のです。当時の旧NET=東映の番宣フィルムには「ファンレターの山で風呂が沸かせる程」でしたから。当時の芸能雑誌を紐解くと驚くことに、桜木健一さんはかなり慎ましい生活しており「四畳半程度の風呂とトイレ付きのアパート探してます」なんてぇ記事が載っていました。給料は大半食費に消えるというらしく、一時は共演の吉沢京子とのラヴロマンスも囁かれました。当時自分は中学生でしたが、こののち桜木健一は、当時某航空会社ステュワーデスに口説かれ、自宅に招かれ当時貴重だったビデオ=おそらくはUマティック3/4インチを見せられ口説かれたと言われます。何せ自分は幼稚園からピアノ教育を受け、「足でピアノ弾く芸当に仰天」し、密かに同じ事をやろうと努力しましたが、結果として「足の指の短さと、両手は何かにつかまらなくては安定しない」事から、これは不可能だと悟りました。これはおそらく「原作者の梶原一騎氏が、実は柔道も野球もほとんど知らなかった?」という、いわば空想世界での絵空事から生まれたと言われます(巨人の星=消えるボールとか) サイトヘッド様はイタリアのご出身とか、、、ラテン系の方は好きですよ自分は、、そのイタリアの誇る大作曲家に「プッチーニ」がおられます。代表作は「マダムバタフライ」ですが、、実はこの蝶々夫人ってぇプッチーニは「日本についての情報は,全てまた聞き聞きかじりであり、来日もしなかった。だからこそ宗教上の誤りや間違いは多数ありますね。日本上演の際に日本人プロデューサーが間違いを正したいとプッチーニ遺族に交渉したものの却下されたと。まぁこれは仕方無いでしょうか。こののちプッチーニは「アメリカ舞台のオペラ 西部の娘」を作曲するにあたり、アメリカに渡米し自らの目と感覚で作曲はしましたが、、、これは思うようなヒット作とはならなかった。此処から導き出される一つの答えは「必ずしも本当の真実を知った処で、傑作名作が創れるわけでは無い」と。話が逸れましたが、その後「桜木健一は、刑事くん 大激闘」などで主役や重役を担いましたが、その後驚くほどに活躍の場は狭まり、いつの間にかすっかり見なくなってしまいました。記憶ではNHK「いもたこなんきん」で何故か突然出てこられ、びっくり仰天した記憶が新しいですね。こうした「ある日突然見られなくなってしまった役者さん=石立鉄夫さん」がおられます。ニヒルもコミカルも同時に熟せた得難い役者さんでしたが、最後はどうも残念な結果となってしまいました。
現在「役者馬鹿 職人一筋」などの人たちは物凄く辛く厳しい時代となっており、かつての大スターたちが「アホな低俗なバラエティに引っ張り出され、馬鹿言わされている現状」はつくづく考えさせられます。人気とは何なのでしょう?
少し我々は急激な時代の変化ばかりに気を取られすぎず、もう少し足元をしっかりと見て固める ってぇ事をしたいなぁと心より思います。
皆様のご意見を頂戴したいです。 敬具
大石様と小生が同世代で、しかも興味のあったところが共通していたご様子で、小生のアホネタによくコメントをいただけることに感謝です。
近藤正臣の足でピアノはやはり大石様もトライアルなさろうとそれた由、いずこもあるある・・・と。
ときに大石様おっしゃる通り、桜木健一はいつの間にか・・・ですが、人気絶頂当時も質素だった話は存じ上げませんでした。今回のコメントにある通り、「役者馬鹿 職人一筋」という言葉は死語になってしまったようですね。その意味では石立鉄夫もその一人だったかも。彼もまた岡崎由紀全盛時代にドラマに共演していましたね、
最後に一点・・・小生はイタリア出身ではなく、イタリア人的な生き方に憧れている日本人オヤジです。
どうぞまたお気軽にお立ち寄りのほど。