センバツ高校野球も連日熱戦が続いている。3月29日の試合で出場校がすべて登場ということになるが、28日の試合では慶應義塾が彦根東に惜敗した。
ときに、今回の開会式では慶應義塾のプラカードがニュースになった。改めてこちらをご覧いただこう。
っていうか、写真を見れば一目瞭然なのだが・・・慶応の「応」の字が一点落ちているのだ。慶應義塾の関係者なら、「応」ではなく「應」としてほしいところ・・・だが、それはさておき、問題はなぜそんなことになったのかだ。
主催者によれば、書かれた文字をシールにしてプラカードに貼った際に「応」の字の一部がはがれたのを見落としていたという。
ちなみにこの文字を揮毫したのは、滑川総合高校の書道部だという。だが小生には、このプラカードを見る限り、どう見ても最初から一点がなかったバランスにしか見えない。
つまりこの文字を揮毫した本人がうっかりして落としたのでは・・・と。ただ、その場合、その本人の責任になるし、さらにはチェック側がスルーしたことも・・・
で、こんな説明になったのではと。ときに、この写真はたまたま開会式のときに小生がテレビで見ていて、学校によって字体が違うなあと思って撮影したもの。偶然だが、ここにも証拠が(汗)
さて、これからが本題だが、このニュースを見て小生の頭に浮かんだことが二つある。まずは「弘法も筆の誤り」ということわざだ。
伝説となっているエピソードだが、一点落とした弘法大師がリカバリーしたその文字こそ、「応天門」の「応」なのだ。まさに、この一件はそのならいになった。
そして、もうひとつ似たようなことわざに「画竜点睛を欠く」というのがある。その昔、山本浩二が引退するときの記者会見で、心境を聞かれた彼は・・・
「画竜点睛、清々しい気持ちです」と答えたことがある。このエピソードは、まさに画竜点睛を欠く事例になったのだが、もうひとつ彼のオツムのレベルも・・・(汗)
ということは、今回のこれは発表通りでなければ、「応」という字を知らなかった・・・のかも。
ちなみに慶應義塾の試合は、4-3という接戦で敗北したのだが・・・まさに一点が足りなかったという皮肉な結果になったようだ(苦笑)
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