アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

坂上二郎の「学校の先生」

2013-05-03 06:00:05 | ノスタルジー
最近歳のせいか、感傷的になることが多く、ノスタルジックな思い出に涙してしまうオヤジになっている。そんな中、先日のことである、通勤電車の中で、坂上二郎の「学校の先生」という曲が突然、頭の中に流れてきた。

 ご存じない方も多いと思われるので、例によってこちらに動画を・・・
 学校の先生に着任した坂上二郎が教え子の思い出を回想するストーリー仕立ての歌。見事に昭和の香りがする。元々歌手志望で歌唱力抜群の坂上二郎だけに、歌もしっかりしているが、間奏に入る長いセリフがグッとくる


 こちらで歌詞がご覧になれるが、初めてこの曲を聞いたときから、この間奏聞いていると涙が止まらなかった。歌詞を見ればわかるように、歌よりもセリフの方が圧倒的に長い。
 貧乏な家に育った安江から届いた「生きていることは楽しい」という手紙。非行少年の孝夫の喧嘩を止めに入り、逆にのされてしまう先生。すべてに絵が浮かぶエピソードだ。また、彼のセリフのうまさが一層情景を深くする。

 まさに、ここには昭和の先生の姿がある。この歌は昭和49年の作品であった。当然小生は学生であった。とはいえガキの頃から、小生しょっちゅう先生には殴られたし、同級生の間ではいわゆるイジメにもよくあったことから、この歌の世界が実感できたのだ。
 そんな小生にとっては、一番グッときたセリフが最後のここだ。「みんな負けるなよ、みんな負けるなよと、私はそっと呟くだけです」

 大学を卒業するまでお世話になった先生は数知れずであるが、きっとこう思ってくれているだろうと(こちらが勝手に)思う先生も少なくない。ダメな子だったがゆえに本当にいろんな先生にお世話になった。
 と・・・この記事を書いているそばから、また涙が出てきて困っている小生である。

 ときに、なぜ急にこの歌が思い出されたのか、まったくわからないのだが、今回調べてみて、彼が昭和9年の生まれで、藤村俊二や牧伸二らとともに昭和9年会のメンバーだったことを知った。
 ことによると、牧伸二が思い出させてくれたのかも知れない。

 彼が亡くなったのが2011年3月10日。実は、この日であったことも調べて初めて知った。東日本大震災の前日・・・もしかすると、この日は昭和が遠くになった日なのかも知れない・・・
 3月11日を境に、小生の人生も大きく変わったんだよなあ・・・
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« iPhone5対応目覚ましはいかが? | トップ | 罰金や賠償金の額が・・・ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ノスタルジー」カテゴリの最新記事