J1清水の大看板、ミスター・エスパルス沢登の引退が発表された。35歳という年齢は、サッカー選手としては、やむをえないところではあるが、先日引退発表のあった川崎の相馬とともに寂しいものがある。
沢登正朗は、いわゆるトップ下のプレーヤーとして早くから活躍していた。東海大一高時代は、正月の選手権で国見を破って全国優勝もした。
東海大から92年清水に入団、Jリーグ初年度の新人王にも輝いた。当時の日本代表のトップ下ラモスの後継者と嘱望され、ドーハの時の代表メンバーでもあった。
サポーターからも「ミスター・エスパルス」と愛され、96年のナビスコ杯優勝、99年の第2ステージ優勝、01年度の天皇杯制覇にも貢献した。
特に、99年のチャンピオンシップは静岡ダービーであり、2試合目の起死回生のFKがゴールしたときの沢登の表情は一生忘れられないだろう。
一口でいえば、正確無比なキックが沢登の特徴で、FKはもちろんパスの正確さも卓越していたし、シュートも巧かった。
MFでありながら、歴代10位のリーグ通算85得点を挙げている。また、リーグ通算380試合出場は歴代1位記録でもある。
小生もそうだが、彼がいたからサッカーが好きになったという人は多いだろうし、同じ静岡で一年後輩の藤田俊哉(名古屋)など、彼を目標に努力した選手も多い。
リーグ戦13年連続ゴールはFW三浦知(シドニーFC)と並ぶJリーグ記録。来年、中山が記録すれば、やっと追いつくがとてつもない記録である。
日本代表としては、ドーハの後台頭してきた名波などにポジションを奪われ、残念ながら代表の10番は果たせなかったが、それでも彼の輝きはうせることはない。
ドーハの時のUAE戦で、アウェイでリードされた直後に交代出場し、ミドルシュートをスパッと決めたのも記憶に残る。
そういう意味では、記録もさりながら、記憶に残る選手だったのかも知れない。また一人、ドーハの戦士がスパイクを脱ぐ…
さくらももこの同級生、長谷川健太の次の清水の監督は、彼しかいないだろう。
沢登正朗は、いわゆるトップ下のプレーヤーとして早くから活躍していた。東海大一高時代は、正月の選手権で国見を破って全国優勝もした。
東海大から92年清水に入団、Jリーグ初年度の新人王にも輝いた。当時の日本代表のトップ下ラモスの後継者と嘱望され、ドーハの時の代表メンバーでもあった。
サポーターからも「ミスター・エスパルス」と愛され、96年のナビスコ杯優勝、99年の第2ステージ優勝、01年度の天皇杯制覇にも貢献した。
特に、99年のチャンピオンシップは静岡ダービーであり、2試合目の起死回生のFKがゴールしたときの沢登の表情は一生忘れられないだろう。
一口でいえば、正確無比なキックが沢登の特徴で、FKはもちろんパスの正確さも卓越していたし、シュートも巧かった。
MFでありながら、歴代10位のリーグ通算85得点を挙げている。また、リーグ通算380試合出場は歴代1位記録でもある。
小生もそうだが、彼がいたからサッカーが好きになったという人は多いだろうし、同じ静岡で一年後輩の藤田俊哉(名古屋)など、彼を目標に努力した選手も多い。
リーグ戦13年連続ゴールはFW三浦知(シドニーFC)と並ぶJリーグ記録。来年、中山が記録すれば、やっと追いつくがとてつもない記録である。
日本代表としては、ドーハの後台頭してきた名波などにポジションを奪われ、残念ながら代表の10番は果たせなかったが、それでも彼の輝きはうせることはない。
ドーハの時のUAE戦で、アウェイでリードされた直後に交代出場し、ミドルシュートをスパッと決めたのも記憶に残る。
そういう意味では、記録もさりながら、記憶に残る選手だったのかも知れない。また一人、ドーハの戦士がスパイクを脱ぐ…
さくらももこの同級生、長谷川健太の次の清水の監督は、彼しかいないだろう。
最初から応援している師匠やゆきこママさん達にとっては、その想いもひとしお、ってとこでしょうか。
一つの歴史の区切りですね。私もUAE戦のミドルは、今でも頭の片隅に焼きついていますよ。
エスパルスでは一番好きな選手でした、顔も含めて(笑)
みんな引退しちゃうんだなあ。。。J開幕から13年かあ。。。私も歳を取るワケだ(苦笑)
フレッシュ・若大将という
イメージを持っていたので
引退だなんて突然言われても、
事実を受け入れられない心境です。
静岡ダービーのチャンピオンシップ。
点を取られた後に取り返したFKは、
沢登選手の頼もしさ・逞しさを見せつけた
最高の見せ場だった様に思います。
清水の1つの時代が終わりを告げようとしている。
何だか寂しいですね。
ジュビサポといいつつ、清水も応援してしまう小生としては複雑な気分でした。
でも、考えたら三羽烏とノボリがいたから清水が好きだったんだなあって・・・