先日、ひさしぶりにラーメン大に行こうと思い、帰りに蒲田に途中下車した。すると、いつもより長い行列が・・・(汗)
その日は、長く待つのも嫌な気分だったし、周辺を歩きながら別のラーメン屋さんを探すことにした。
そして、フラフラと歩くうち見つけたのが「つけ麺大王」の看板だった。おお、なんと・・・こ・これは・・・懐かしい。
そう、このブログの読者にはほとんどなじみがないかも知れないが、つけ麺大王といえば、昭和40年代の終わりから50年代初期にかけて日本中に展開したチェーンである。
当時はつけ麺という言葉もなじみがなく、歌舞伎町あたりでも深夜もやっているお店として、なぜか流行っていた。
しかし、当時の小生の友人たちからは、美味くないという噂を聞いていた。で、結局一度も食べに行ったことはなかったのだ。
その後、気がつくとつけ麺大王は各地から姿を消し、その一方でつけ麺自体は今ではすっかり市民権を得ている。
いずれにしろ、つけ麺の普及に大きく寄与したことは間違いなく、30年越しに食べてみようということになった。
だが、お店に入ってみると、お客さんはゼロ(汗)。一瞬いやな予感がしたが、ここは何しろ初体験だ。豊富なメニューから「大王つけ麺」を選択する。
写真のとおり、つけ汁には数々の具が載っている。早速食べてみた・・・
その結果は・・・やはり、当時の友人たちの噂は否定できないことが判明した(爆)。そう、正確にいえば、不味いわけではないが、今では美味しいつけ麺が普通にどこでも食べられるようになってしまったのがいけないのかも知れない。
しかし、ともあれこのお店は生き残っている・・・調べてみたら東京や富山など全国に18店あることがわかった。しかもなぜか蒲田には3店あったぞ・・・
当時の状況からすれば、よくぞ・・・ということは、各種定食やラーメンはきっと美味しいのでは・・・また、行ってみようかな・・・でも勇気が・・・(汗)
その日は、長く待つのも嫌な気分だったし、周辺を歩きながら別のラーメン屋さんを探すことにした。
そして、フラフラと歩くうち見つけたのが「つけ麺大王」の看板だった。おお、なんと・・・こ・これは・・・懐かしい。
そう、このブログの読者にはほとんどなじみがないかも知れないが、つけ麺大王といえば、昭和40年代の終わりから50年代初期にかけて日本中に展開したチェーンである。
当時はつけ麺という言葉もなじみがなく、歌舞伎町あたりでも深夜もやっているお店として、なぜか流行っていた。
しかし、当時の小生の友人たちからは、美味くないという噂を聞いていた。で、結局一度も食べに行ったことはなかったのだ。
その後、気がつくとつけ麺大王は各地から姿を消し、その一方でつけ麺自体は今ではすっかり市民権を得ている。
いずれにしろ、つけ麺の普及に大きく寄与したことは間違いなく、30年越しに食べてみようということになった。
だが、お店に入ってみると、お客さんはゼロ(汗)。一瞬いやな予感がしたが、ここは何しろ初体験だ。豊富なメニューから「大王つけ麺」を選択する。
写真のとおり、つけ汁には数々の具が載っている。早速食べてみた・・・
その結果は・・・やはり、当時の友人たちの噂は否定できないことが判明した(爆)。そう、正確にいえば、不味いわけではないが、今では美味しいつけ麺が普通にどこでも食べられるようになってしまったのがいけないのかも知れない。
しかし、ともあれこのお店は生き残っている・・・調べてみたら東京や富山など全国に18店あることがわかった。しかもなぜか蒲田には3店あったぞ・・・
当時の状況からすれば、よくぞ・・・ということは、各種定食やラーメンはきっと美味しいのでは・・・また、行ってみようかな・・・でも勇気が・・・(汗)
お店からホームラン賞も提供していたそうですが、自分でホームランを打ってしまった場合はどうなったんでしょう。
へえ~、さすが松田さん、よくご存知ですねえ。
初めて知りました。