このブログのジャンルに薀蓄というのがある。考えてみるとこのところまったく書いていないことがわかった。なんと2007年10月が最後だった。
ということで、超久しぶりに認めてみよう。今日は、福島県いわき市にある勿来の関についてそのいわれを認めてみることにする。
勿来と書いて(なこそ)と読む。古来、ここは関東とみちのくの境として関所があったところだ。今でもJRの駅名や地名にもバッチリ残っている。
さて、この名前だが、元はといえば「な来そ」という意味からきている。高校のときに古典の授業で習ったことを覚えているだろうか。
「な+動詞+そ」で動詞の禁止命令の意味になるという使い方である。この関所の場合、来るという意味の「来」が動詞だから、意味は「来てはいけない」ということになる。
そう、ここから先は野蛮人のいる未開の地だから、来てはいけないよという意味が、「勿来」だったのである。東北地方の方には面白くない話だが、都人の論理である。
ところが、ここにちょっとトホホな話が入っている。「なこそ」であるが、禁止の助動詞が続くから、ここは連用形でなければならない。
来(く)の活用は、カ行変格活用だから、「こ・き・く・くる・こよ」で、連用形は「き」なのだ。ということは「な来そ」は本当は「なきそ」と読まなければならなかったのだ。
誰が間違えたのかは今となってはわからないが、いつのまにやら間違えた読み方が正解になってしまい、地名として定着してしまったという例である。
ちなみに古来から福島県は東北の入り口であるわけで、浜通りにある勿来の関のほかにも、中通りにある白河の関も有名である。こちらの白河の方は、松尾芭蕉の奥の細道の冒頭にも出てくるので、ご存知の向きも多いだろう。
東北自動車道の白河インターを通ると、やはりひとつの境を越えたという気がするからやはり古代からそう思える何かがあったのかも知れない。
ということで、超久しぶりに認めてみよう。今日は、福島県いわき市にある勿来の関についてそのいわれを認めてみることにする。
勿来と書いて(なこそ)と読む。古来、ここは関東とみちのくの境として関所があったところだ。今でもJRの駅名や地名にもバッチリ残っている。
さて、この名前だが、元はといえば「な来そ」という意味からきている。高校のときに古典の授業で習ったことを覚えているだろうか。
「な+動詞+そ」で動詞の禁止命令の意味になるという使い方である。この関所の場合、来るという意味の「来」が動詞だから、意味は「来てはいけない」ということになる。
そう、ここから先は野蛮人のいる未開の地だから、来てはいけないよという意味が、「勿来」だったのである。東北地方の方には面白くない話だが、都人の論理である。
ところが、ここにちょっとトホホな話が入っている。「なこそ」であるが、禁止の助動詞が続くから、ここは連用形でなければならない。
来(く)の活用は、カ行変格活用だから、「こ・き・く・くる・こよ」で、連用形は「き」なのだ。ということは「な来そ」は本当は「なきそ」と読まなければならなかったのだ。
誰が間違えたのかは今となってはわからないが、いつのまにやら間違えた読み方が正解になってしまい、地名として定着してしまったという例である。
ちなみに古来から福島県は東北の入り口であるわけで、浜通りにある勿来の関のほかにも、中通りにある白河の関も有名である。こちらの白河の方は、松尾芭蕉の奥の細道の冒頭にも出てくるので、ご存知の向きも多いだろう。
東北自動車道の白河インターを通ると、やはりひとつの境を越えたという気がするからやはり古代からそう思える何かがあったのかも知れない。
じっくり読ませて頂きました。かなり昔ですが民宿に泊まりこの関を超えて日光方面に行った記憶があります。。。つたない自分の句をおもいだしました。。。はずかしながら。。。”闇に入り勿来関の。。。”と、また機会があったら行ってみたいです。。。?
コメントありがとうございます。
ときに勿来関に思い出があるようで、しかも句まで詠まれていたとは!
なんとも嬉しいコメントです。やはり、時々は薀蓄も書かないといけませんなあ・・・
不明ですが、「蝦夷よ来る勿れ」ではありません。
京都大沢の池の「名古曽滝」と同じく、ジョークで名こそ流れて」から詠われたと思われる証拠らしき公式の記述(類聚三代格)があります。詳しくは勿来関研究会HPをご覧ください。今後とも歴史ある勿来関をよろしくお願いします。
コメントありがとうございます。この記事に書いた勿来の由来は、蝦夷来るなかれではなく、都人は来るなかれですが、いずれにしろ、これを教えてもらったのが高校の時の古典の先生でした。
逆に今回新たな情報をいただき感謝です。このような記事にコメント賜りましてありがとうございます。改めて勉強させていただきます。