アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

三遊亭圓窓独演会

2009-05-10 08:09:25 | 落語
昨年で一区切りとなった大銀座落語祭では、東西のたくさんの噺家が登場し、楽しめる機会であったが、2007年の大銀座落語祭で予想外に感激したのが、三遊亭圓窓だった。

 正直、がっかりする出来の噺家もいる中で、これは新たな発見であった。その圓窓の独演会があると聞けば、行かずばなるまいということで、出かけてきた。
 会場は神奈川県民ホールの小ホール、思いのほか小さく、これは落語にはいい入れ物だ。しかし、一杯になるかと思いきや、けっこう空きがあった。


 やはり、マスコミに乗っていないし、昨今の立川流信奉者あたりからすれば、見向きもされていないのかも知れないなあと感じてしまった次第。といいつつ開演だ。
 開口一番は、息子の窓輝、前回のときと同じように口がゆがむのと、上手く演ろうという意識が強く出るせいか、一本調子でつらい。一瞬意識を失ってしまった。

 さてお目当て圓窓の一席目は、ややマクラが冗長だったが、なんと「猫定」という珍しい噺。小生も故圓生でしか聴いたことがない噺、師匠の圓生とは違う演出で演ってくれた。
 さすがに古典落語の正統派であるが、これといって面白い噺でもないところで長講一番一時間コース、これは今後小生生きている間には聞けないかも知れないなあと。

 そして中入りをはさみ、もう一席、何を演るのかなあと思っていたら、マクラで猫定と圓生の話をしつつ、その圓生が演らなかった噺をということで選んだのが「甲府い」だった。おお、甲府いといえば、圓窓が最初に入門した故春風亭柳枝の十八番だ
 柳枝の噺はラジオでしか知らないが、これまた柳枝流でなく圓窓らしくなっている。

 例によって奇をてらった演出などまったくないが、淡々と人物像が刻み込まれてくる。この甲府いという噺自体は、見ようによっては日蓮宗礼賛の要素もあるし、頑張って努力すれば、かならず立身出世は叶うといったサクセスストーリーである。
 これまた、テーマからして今後聞かれる機会が少なくなるかも知れない。

 たっぷりと本寸法の人情噺を聴く機会も少なくなったが、まさかめったに聴けない噺を二席も聴けるとは思わなかった
 圓窓は、まさに今が旬でありながら、さらに大きくなっている・・・そんな感を持った。もっと、いわゆる「落語通」からも注目されてもいいんだがなあ・・・

 もっとも小生的にはチケットが取りにくくなるので、売れない方がいいんだが(汗)やはり噺家は死ぬまでが勝負のようだ・・・
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