「女性原理」を「自然」とすると、「人工」である「男性原理」の、何とチャチなことよ。
今の我々があたふたしていること、このブログでも散々言ってきた「世の中のおかしさ」なんて、何でそんなことでフワついてんの、てことになるんだろうなぁ。
「女性原理」とは、子を孕み、産むということ。
いくら「男女平等」という看板を並べても、こればっかりは女にしかできない。
そして「自然」は、死と生を永遠と繰り返している。
(本当は人間も含めてなんだけど)周りの動植物達、海や山や川、空や大地の全てが、それこそ自然に、当たり前に営んでいる。
もう一度言う。
自分の中に新しい生命が宿り、産まれ落ちる。
これ以上神秘的で尊いことがあろうか。
一方、「男性原理」はどうか。
AI、メタバース、デジタル通貨といった「人工」物。
国家、資本主義なんていう社会システムもそうだ。
挙句の果ては戦争、コロナの演出(本当の疫病は「自然」だが)。
統一政府、ベーシックインカム?
いかにも「頭=脳」の考えそうなことだ。
「女性原理」から見たら、所詮「おままごと」に過ぎない。
そろそろ、「自然」に立ち返らないといけないのではないか。
衣食住。
大事なのは、食べること、育てること(食べ物も人も)。
基本に返りましょう。
画像はポリティカルコレクト(何じゃ?)に引っかかるでしょう。所詮この程度の認識しか持っていない者が書いております(家事も介護もしないで、のうのうとブログなんて書いているんだからねぇ)。でも、噛みつくんじゃなくて「しょうがないわねぇ」と思ってもらった方が。源氏物語の作者のように。
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