皆と同じことをするのは「正解」である。
特に、ここ日本では。
時には間違いを犯すこともある。
先の大戦のように。
その時は修正すればいいのである。
人々の間違いも天災扱いされるのかもしれない。
しょうがない=古の知恵
このことを、今回のコロナ禍で学んだ。
ディズニーランドに行けない者として。
けれども、コロナはちょっと違うような気もする。
それは「作られた」ものだから。
本来の「皆と同じことをする」は、農村の知恵だったと思われる。
農耕は、皆で同じことをしないと成り立たない。
それが、都市にも持ち込まれた。
江戸時代以前から。
しかし、特にメディアが発達してからの、「皆と同じ」は違うような気もする。
新聞、ラジオ、テレビ、インターネットで、いくらでも「意図的」に作ることができる。
集団で「皆と同じことをする」と、リーダーが現れる。
想定は、100人くらいの農村。
昔の「祭」をイメージするといいだろう。
祭にはヒーローが付き物で、音楽やスポーツ(神輿や喧嘩)も欠かせない。
それが、1億どころか数十億まで応用されている。
ハラリくんの言った「想像力」。
本来、人が現実の関係を築けるのは150人なんだと。
それをダンバー指数というらしい。
が、人は「虚構」を信じるため、今でいう市町村、国、世界まで統治する組織、統率者が出現した。
それには、宗教や歴史が大いに利用されただろう。
そして、「皆と同じことをする」=「同調圧力」も。
確かに、「皆と同じことをする」のは大事なことだけど、今の世の中のように、「意図的」に動かされるのはおかしい。
コロナ、戦争、経済、・・・。
全部ウソ。
じゃあ、どうするのか。
当ブログの答は、いつも「麒麟の里」。
日本の昔からの「村落共同体」である。
そこに戻ることは難しいけれど、一つの「理想郷」として抱いていてもいいのではないか。
ハラリくんの間違いは、サピエンス=勝ち組、ヨーロッパ人=勝ち組としているとこ。(地球上のはびこり方から)
それにしても、「国家」、「歴史」、「宗教」、「お金」、「芸能」、「スポーツ」、「健康」…といった幻想は、いつなくなるんだろうね。少なくとも、今回のコロナで気づいた人は多いと思うんだけど。