かはたれのジエン

イタチの最後っ屁 ・・・なので、コメントにも屁を垂れるしかできませぬ

皆と同じことをする

2023年08月26日 | よしなしごと 

稲刈り

 皆と同じことをするのは「正解」である。
 特に、ここ日本では。

 時には間違いを犯すこともある。
 先の大戦のように。

 その時は修正すればいいのである。
 人々の間違いも天災扱いされるのかもしれない。

しょうがない=古の知恵

 このことを、今回のコロナ禍で学んだ。
 ディズニーランドに行けない者として。

 けれども、コロナはちょっと違うような気もする。
 それは「作られた」ものだから。


 本来の「皆と同じことをする」は、農村の知恵だったと思われる。
 農耕は、皆で同じことをしないと成り立たない。

 それが、都市にも持ち込まれた。
 江戸時代以前から。

 しかし、特にメディアが発達してからの、「皆と同じ」は違うような気もする。
 新聞、ラジオ、テレビ、インターネットで、いくらでも「意図的」に作ることができる。


 集団で「皆と同じことをする」と、リーダーが現れる。
 想定は、100人くらいの農村。

 昔の「祭」をイメージするといいだろう。
 祭にはヒーローが付き物で、音楽やスポーツ(神輿や喧嘩)も欠かせない。

 それが、1億どころか数十億まで応用されている。
 ハラリくんの言った「想像力」。

 本来、人が現実の関係を築けるのは150人なんだと。
 それをダンバー指数というらしい。

 が、人は「虚構」を信じるため、今でいう市町村、国、世界まで統治する組織、統率者が出現した。
 それには、宗教や歴史が大いに利用されただろう。

 そして、「皆と同じことをする」=「同調圧力」も。
 確かに、「皆と同じことをする」のは大事なことだけど、今の世の中のように、「意図的」に動かされるのはおかしい。

 コロナ、戦争、経済、・・・。
 全部ウソ。

 じゃあ、どうするのか。
 当ブログの答は、いつも「麒麟の里」。

 日本の昔からの「村落共同体」である。
 そこに戻ることは難しいけれど、一つの「理想郷」として抱いていてもいいのではないか。

ハラリくんの間違いは、サピエンス=勝ち組、ヨーロッパ人=勝ち組としているとこ。(地球上のはびこり方から)
それにしても、「国家」、「歴史」、「宗教」、「お金」、「芸能」、「スポーツ」、「健康」…といった幻想は、いつなくなるんだろうね。少なくとも、今回のコロナで気づいた人は多いと思うんだけど。

 

 

 


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