長岡は城跡のない街です。
かつての本丸に駅が建てられました。
長岡は、県内で唯一空襲の被害を受けました。
花火は、御霊を慰めるために打ち上げられます。
生まれは違って、2歳から住み始めたので、生粋の長岡人ではない。
しかし、小学校で戊辰戦争のこと、高校では「和而不同」を学んだ。
その結果、よく言えば体制に与しない、悪く言えば肩肘張って無理をする人間ができあがった。
新潟や三条の人達と比べると、何かを背負っているような生き方となった。
河井継之助のやり方はまちがっていたのだろう。
しかし、他にどんな方法があったというのだ。
山本五十六のやり方にも問題はあっただろう。
しかし、他にどんな方法があったというのだ。
両者とも、無理だとわかっていることをしなければならない立場に立ったらどうするか、ということを問うている。
だから、「峠」の「長岡甚句」の場面に涙するのである。
長岡は「米百俵」の街です。
人を育てるために、復興支援のお金を使いました。
長岡に関係のある映画が多く上映された。このことと、長岡花火が全て予約席となったことが無関係ではないと思う。