一型でも適当に糖質制限。

主婦の平凡な糖質オフの日々

ある人を想い

2017年03月12日 | 日記
私ももれなくそうだと思いますが、

病気ブログって往々にして、病気自慢、不幸自慢なところがある。

『自分はこれだけ大変な状況だったんだよー』とか。

『現状はこんなに辛いんだよー』とか。


それは、他者に理解して欲しい。
共感して欲しい。
乗り切った、闘っている自分を知って欲しい。

無意識ながらもかまって欲しいと、思っていたり。


批判したり、共有したりと、
様々な感情が入り交じっているんだなぁと思います。


自分の考えを理解してもらえたり、
共感してもらえたり、
可哀想と思ってもらうと、

疎外感や憤り、辛さをほんのひととき忘れたり、
認めて貰えた気持ちがする。


ストレスが緩和したり、
自己肯定感が芽生えたりと、
不幸のドン底から浮上する上で大切なプロセスかもしれません。


でも、哀しみの真っ只中にいて、
心に深い傷を抱えてる時は、
寄り添ってもらえたり、慰めてもらったり、強く共感してもらうのは、


その辛い所から浮上するのには実は効果がなかったりします。

そもそも、負の感情を吐き出している時って、
右脳だけが活性化されているそうです。

そんな時に、察する能力が長けた人は
いち早く慰めてくれたり、
共感してくれる。

一しか話さなくとも、十、理解してくれる。

そんな人は素敵ですし、その人事態、最高です。

でも悲観的な状態から本当に脱け出すには、
それらの優しさはかえって逆効果だそうです。
煮えたぎる鍋に蓋をしているだけに過ぎないそうです。

一瞬、救われた気持ちになるだけで、悲観的に尚、進むそうです。


そうなると、右脳が活性化しすぎて、いつまでも客観的になれない。

自分以外をバカ呼ばわりして、
自分だけが不幸のヒロインになってしまいがちです。


本当に浮上したいのなら、
本当は察する能力が乏しい人や、
自身とは相反する考えの人や、
逆意見を云っちゃうような人を選ぶと良いのだそうです。


そして不特定の誰か、
例えばブログなんかで吐露するのは、
自分を立て直すのには絶好の場所だったりする。

現実でも、
『もうっ、なんで解ってくれないの!』

『こんな辛い思い、あんたはしてないくせに!』

と、思い腹をたてるかもしれない。

とか、思いながらも、
理解が乏しいその相手が解ってくれるように一から十まで話す。

ブログとかだと
先ずは過去や現状の説明を多かれ少なかれ、しなくてはならない。

そうすることによって、
悲観的になっている脳は次第に客観的な方向に傾き、


やがて、自分では気付かないうちに左脳が活性化され、
浮上するきっかけが生まれる。


だから、悔しい。哀しい。辛い等の負の感情を出すことは、
とても大切な作業だと思います。


それよりも、誰にも何にも吐き出すことなく、
独りで抱えている人こそ心配です。


けれど、いつまでも、
自分がとても大変で、不幸で、
それ以外の人がマシでバカだと思ってしまうのは、
とても哀れだと思います。


不幸自慢は私もします。
むしろ、しまくったかも( ̄∇ ̄*)ゞ


だけれど、
その負の感情をどうか相手をバカにすることに重点を置くのではなく、


自分がここより先に浮上する為のプロセスに使って欲しいです。


先日から、ある女性のブログ記事を読んで、思った感情でした。


戯れ言ですが、その女性が、いつか本気で笑えるように
心から願います。


かしこ。



最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして。 (すずめ)
2017-03-12 23:59:43
はじめまして。
いつもブログを読ませていただいております。

私はそういう人を「被害者の椅子に座り続ける人」と呼んでいます。
病気に限らずどこにでもいます。
可哀想なわたし。悪いあの人。病気のせいで。ストレスのせいで。私は悪くないのに。もっと構ってよ。いたわってよ。

なぜそんな態度になるのか?
簡単です。居心地が良いからです。
私は悪くない病。悲劇のヒロイン病。

今「幸せになる勇気」「嫌われる勇気」等のアドラー心理学が流行っているのは、そのような人々を「甘やかされた子供が大人になっただけ」と厳しく批判しているからでしょう。

つまり本当は「自称被害者」の周囲の人々はみんな辟易しているのです。
「弱さ」を武器に「攻撃」してくる。そんな人たちにみんなうんざりしているのです。
ですからkazukouさんが被害者アピール丸出しのブログを不愉快に思うのは自然な感情だと私は思います。

結局「これからどうするか?」これしかないのに。

被害者の椅子にしがみついている人は永遠に気付かない。いや、気付きたくなんかない。
人は自分が変わろうと思わない限り決して変わらないのですから。

「これからどうするか」に進んだ人とは、糖尿病で言えば糖質制限を選び真摯に実践している人だと私は思います。

そして私はこれからどうするかに進めた人にしか興味はないし、そうでない人のブログは読みません。

kazukouさん。お子さんがまだ小さいのですよね。
どうぞ頑張ってください。私にも二人の子供がいます。

お互い頑張りましょう。生きること。健康であること。子供たちを育てること。
明日からまた精一杯生きましょう。
返信する
すずめさま (kazukou1508)
2017-03-13 09:31:34
コメントありがとうございます。
すずめさんのコメントは私にとって、気持ちが良い解答でした。
ここ数日、とにかくモヤモヤしておりました。
みんな、誰しも落ち込むし、自暴自棄になるのだから、その方が辛いのは解るんです。
たまたま、同じような体験というか、ケトアシドーシスや子どもがいたりとか、共通の体験をその方としていて。
でも、あまりにも、自分以外の人間や例えば2型をどうだこうだ書いていて…。
正直、不愉快でした。
その方が辛いのは理解出来ても、
そう、すずめさまがおっしゃるように弱さを武器に攻撃してる状態に。危うさを感じました。

モヤモヤで、回りくどいブログ記事になっておりましたが、しっかり伝わっていることに安心しました。
気持ちの良いコメント感謝致します。

すずめさまのブログがあったら、読みまくりたい衝動にかられたkazukouでした。

今日もすずめさまにとって、健やかな一日でありますように。

かしこ。
返信する
弱さのハラスメント (すずめ)
2017-03-13 22:51:49
ずっとモヤモヤしてらっしゃったのですね。
私のコメントが少しでも役にたてたなら嬉しいです。

「弱さのハラスメント」で検索してみるといいです。
同じようにモヤモヤしている人たちの声を読むことができます。

私の場合、暴力的な弱さで支配してくるのは実母でした。
「私は弱いから…」が口癖だった母。もうとっくに亡くなっているのですが。
じんめりと下を向きながら、可哀想な私、と呟き溜息をついていた母親。
そのたびに私の心に湧き上がる何とも言えないモヤモヤとした嫌な感じ。母にうまく操作されるような嫌悪感。
そしてそれを嫌だと思ってしまう自分自身への罪悪感。

弱さに振り回される。

今思うと、母は弱さの旗を振りかざす人でした。
弱さという武器を嬉々として掲げて、周囲を屈服させていました。

暴力的な弱さはどこにでも存在します。

油断すると自分も落ちてしまう。私も母と同じにならないようにいつも自分を戒めています。

関係ないことを書いてしまいましたね。

私も以前ブログをしていましたがやめました。
自分の考えや思いを伝えようと一生懸命書いてもその主訴を読み取る人は誰もいなくて、ずれたコメントしか来なくて虚しくなったからです。

今日も一日が終わります。
kazukouさまもお元気で。
返信する
ありがとうございます。 (kazukou1508)
2017-03-14 09:52:44
検索してみました。
ありがとうございます。

私もいまでこそ、実母とは良い関係ですが、母も様々な喧騒に免疫のない人でした。

私たち三兄弟の学校での諸問題に酷く傷付き、何日も眠れなくなり、
やがて病院の独房に入る状態にまでになってしまうくらい、弱い人でした。
自身は意識して、それを武器にはしていなかったけれど、
自身ではどうすることも出来ないが故に、回復過程で私を罵り、
反抗期の少女のように私に当たり散らしていました。

幼少期、思春期、大人になってからも、そういったことが度々あって。

今は義母がそのような状態にあります。
そういった環境が日常にあって、こちらが耐えるしかない現実に時々、憤りを覚えます。

『あなたは強いわよね』
と、周囲から云われます。
本当は強くないことが、自分で一番解っているからこそ、なけなしのプライドで強がっていこうと思います。

子どもたちの為に。
まだまだ、人間が出来ていないこと、青臭いことを認めながら。

素が根暗なので、最近ネクラ文ばかりですが、もう少しポジティブなUPが出来るよう頑張ります。

すずめさま、感謝です。
返信する
Unknown (すずめ)
2017-03-14 20:53:47
kazukouさんは親から「強い子」の役目を押し付けられて生きてきたのだと思います。

もともと人間は誰しも弱くネガティブなものだと私は思うのです。
匿名のブログでさえも「もう少しポジティブなUPが出来るように頑張ります」だなんてkazukouさん本当に幼い時から強くあることを強いられてきたのだなと感じます。

子供時代、子供でいられなかった。
むしろ母親のお守りをしてきた。
今は義母のお守りをしている。
ずっとずっと耐えてきた。

幼少期からずっと無理やり「大人」にさせられたのだろうなと感じます。

私がこのブログを読んで感じるのはkazukouさんの「助けて」と言う心の叫びです。

もうこれ以上頑張れない。
私にお守りをさせないで。私は強くなんかない。もう耐えられない。ギリギリなの。分かって!助けて!

kazukouさんは何も悪くないのです。
子供なのに母親の母親にさせられた辛さ。
そうでなければ生きられなかった家庭環境。その家庭での自分の「不自然な役割」

子供時代のんきで幸福な子供でいられなかった哀しみを今も抱えているのだと、私は感じるのです。

憤って良いのです。
自分から湧き上がる感情を「こんなこと思ってはいけない」と封じ込めるのはあまりにも辛いでしょう。

ブログで吐き出して良いのだと思うのですよ。

それは弱さを武器にしているのとは違う。
その人が本当に辛いのか、ただの攻撃的な駄々っ子なのかは読んでいれば分かりますから。

今までずっと強い大人にさせられていたのですからもういいんですよ。
弱い小さな自分でいいのです。もう弱くていいのです。
自分を責めなくていいのです。
泣いていいのです。
返信する
きゃー (kazukou1508)
2017-03-14 21:30:36
ありがとうございます。
でも、大丈夫です。
実母のことは、仕方がないなぁと思いながらも、そこに愛情がありますし。

義母はそこに愛はありませんが、あの方も私に当たったり、甘えたりと、どっぷり依存の毎日ですが、私を苦しめようと思ってないのです。
両者ともです。

世の中には溢れる程、虐待や嫁いびりがあります。ただ、二人は弱いだけなんです。

そして、やっぱり子どものおかげで、全てが救われています。
義母も、子どもがいる時は、表だって我が儘を云わないですし。

義母のことに心底、疲れていますが、
大切にしたいものが傍にいるので、大丈夫です。
そして、これが一生続くわけではないのです。
ゴールをむかえたら、自分に沢山ご褒美をやる予定なので…。むふふ

本当に大丈夫です。
けれど、誰かにそんなに励まされたことがなかったので素直に嬉しいです。

すずめさんは優しいですね。
きっと、良いお母さんだぁ。
返信する

コメントを投稿