以前の職場で同僚が清掃の話をしてくれたので、ホテルではシーツや部屋の付属品などより洗面所などを少し観察することが多くなった。
今回のホテルは全国系列のホテルで標準的なところだろうと思う。このホテルの良し悪しは別として、結論は、観光都市京都でも似たり寄ったりだということである。知人によると、つまるところ、ホテルを清掃する人は”時間との勝負”なのである。一つの作業を秒単位に効率よく処理する能力を求められているのだそうだ。極端な例だが、使用感のないコップはそのまま触らないし、チェックの対象になりにくい箇所はどうしても手が回らないらしい。それでも秒単位の切れ目ない作業の連続で、時間内に部屋数をこなすためには効率化するしかないそうだ。そして、半端ない単純作業の積み重ねが疲労感となって体を蝕むらしい。
一方で、新幹線の清掃を4~5年程経験した人の話も聞いた。停車時間内という制約がある中で、緻密に練られた作業をてきぱきとこなす様は実に見事である。ホテルの何分の一の作業工程だからこそ成せる技術だろうと思う。だが、その疲労度は並大抵ではないという。ほとんどが短期間に辞めていくそうだから無理もない。
ゆとり教育とかゆとり社会とか言葉はよく聞くが、実態は労働者への過酷な労働強化の側面が普遍にあるのではないだろうか。さらに安く、ほかより安く、売りきるために安くして、長らく物価が低迷してきた日本経済も昨年から3%を超えるような情勢である。だが、ことの本質はそうではない気がする。リーズナブルという言葉があるが、ただ単に安いというのではないと思う。良い品質はそれなりに適正価格ですよというのが本意だと思う。安かろう、悪かろうこそが日本経済の足腰を弱くしたのではないかとさえ思ったりするがどうだろう。