福井市で1986年に中3の女子生徒殺害で懲役7年の判決確定した事件の再審が決定した。恐らくは冤罪だろう。過去に無罪が確定した事件は以下のようになる。(日弁連資料)
吉田事件1914年無期懲役-1963年名古屋高裁無罪
弘前事件1949年懲役15年-1977年仙台高裁無罪
加藤事件1915年無期懲役-1977年広島高裁無罪
米谷事件1952年懲役10年」-1978年青森地裁無罪
滝事件1950年懲役5年-1981年東京地裁無罪(一部)
免田事件1948年死刑-1983年熊本地裁無罪
財田川事件1950年死刑-1984年高松地裁無罪
松山事件1955年死刑-1984年仙台地裁無罪
徳島事件1953年懲役13年-1985年徳島地裁無罪
梅田事件1950年無期懲役-1986年釧路地裁無罪
島田事件1954年死刑-1989年静岡地裁無罪
榎井村事件1946年懲役15年-1994年高松地裁無罪
足利事件1990年無期懲役-2010年宇都宮地裁無罪
布川事件1967年無期懲役-2011年水戸地裁無罪
東電OL殺人事件1997年無期懲役-2012年東京高裁無罪
東住吉事件1995年無期懲役-2016年大阪地裁無罪
松橋事件1985年懲役13年-2019年熊本地裁無罪
呼吸器事件2003年懲役12年-2020年大津地裁無罪
袴田事件1966年死刑-2024年静岡地裁無罪
死刑判決が無罪となったのは5件ある。推定無罪からすると恐ろしいと言わざるを得ない。ではどうして冤罪が生まれるのか。一つは人間である捜査関係者と検察の、人間たる欠陥によるものであろう。人物的には相当優秀であっても間違えるということである。所詮は人間である。過ちはゼロにはならない。
どうしたら冤罪はなくせるのか。捜査結果を過ちとみる人間がいないことで冤罪が出る以上、捜査状況を第3者によって検証する仕組みが必要だろう。それと同時に、検察官や裁判官に資質をチェックする仕組みが必要だろうと思う。裁判員制度ができたほんとうの理由は、検察官や裁判官が完璧な人間ではないからである。その延長線上に必要な制度が、捜査に関するチェック機能である。取り調べの可視化がいわれているが、それだけでは不十分であることは言うまでもない。