カルガモの三者三様、我関せず、好き勝手にどうぞのオタクな社会
フェイスブック(facebook)から新聞・雑誌の校閲のようなファクトチェックが廃止されるとなると、ならずもの国家同様にデマやプロパガンダのレベルに堕するということだろう。
そもそもFacebookという単語事態に嫌悪感を抱く者にとって、この会社の100年後を想像すると、お坊ちゃまの遊戯の一種として歴史に片隅に残れるかどうかの代物ではないかと想う。顔認証による監視社会で、顔と経歴や趣味や友達をわんさか公開するという類(タグイ)の遊びにはいささか呆れ果てて言葉も出ない。Twitter(X)も同様である。100年後に、寝言のような呟(ツブヤ)きに一喜一憂する文明の終末期のようなゲームが過去に存在したという記述があるかもしれない。