田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

筑後の秋の風物詩―柳坂の櫨並木

2024年12月18日 | 日々の出来事

 毎年11月下旬に柳坂曽根の櫨まつりが行われます。まつりが終わった12月の初めに訪れました。遠くに青く霞む山並みは耳納北麓です。

 このような櫨並木が1キロ近く続いています。今年は紅葉が遅いですね。いつもは11月の終わりには葉が落ちて、葡萄の房のような実が目立つようになります。

 少し山麓の坂を上ると、道の両側に櫨並木が続いています。

 紅と黄に少し緑も混じっていて、自然の点描画を見ているようです。

 

 櫨並木の終わりまで来ました。この少し上の山腹にモミジの名所、永勝寺があります。耳納北麓は谷ごとに寺社仏閣が点在しています。

 下まで戻ってきました。

 

 初冬の山裾の田園風景です。江戸時代、櫨蝋は藩の貴重な財源で、櫨の植栽が奨励されました。筑後地方ではいまも櫨は身近な木です。

 帰ろうとしたら久大本線を「かんぱち・いちろく号」が来ました。JR九州はいろいろな観光列車を走らせています。私はまだ乗ったことはありません。

 それから一週間後に再訪しました。紅葉はだいぶ進み、櫨の実の採取が始まっていました。晩秋から初冬にかけての風物詩です。櫨蝋でつくられる和ろうそくは私も仏壇用に置いています。炎は風もなく揺らいで灯が柔らかい。

 畑の畦道にある櫨の木は子どもの頃の原風景です。櫨の下を歩くと櫨負けをすることがあると言われたものです。久留米出身の明治期の画家、青木繁も櫨を詠んでいます。

 「我が国は筑紫の国や白日別 母います国 櫨多き国」

 「白日別」は古事記に出てくる筑紫国の古称。古事記では「別」という語は人名によく使われています。「櫨」は「はじ」

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