大文字屋の憲ちゃん (当面は 石巻 地震) 

RIP 親父 けんちゃん 石巻 地震

20110814 鰐陵同窓会 石巻日帰り弾丸帰省 to 石巻 地震がありましたが大文字系は無事です。(102)

2011-09-02 09:00:00 | 日記

8月14日(日)日帰りで帰省した。鰐陵(石巻高校)同窓会に出席するためである。仕事の進捗具合の関係で、参加できるかどうか微妙だったが、何とか間に合った。参加は当日飛び込みでも可だったが、一応サイトで前日申し込んでおいた。これはその帰省の記である。

午前7時半過ぎ、半袖シャツ、チノパン、革靴、小さめショルダーバッグで自宅を出る。生田駅から7時47分の小田急線に乗り、各駅停車のまま8時20分頃新宿到着。仙台までの乗車券と新幹線特急券を往路復路とも購入し、中央線で東京に8時50分到着。9時00分発のMaxやまびこの自由席に乗る。下りの新幹線指定券がとれず、「はやて」までかなり待ち時間があったのでこれに乗った。下りの帰省ラッシュのピークが過ぎていたため、けっこう空いていた。天気も乗り心地も良い。これまであまり目にしなかった途中停車駅(白石蔵王駅など)もよく見ることができた。

11時過ぎに仙台着。思いのほか早かった。ミヤコー高速バス石巻線の乗り場に行くと、11時17分発がちょうど出るところで、ギリギリ間に合った。ミヤコーバスのドライバーさんは喋りが達者。発車してから10分程喋りっぱなしで、前日は渋滞で1時間以上の遅れがザラだったとか、携帯電話の使用は客同士のトラブルの元だとか、乗客に訥々とプレッシャーを与えていた。(私は途中で何度か吹き出しそうになった。)ミヤコーはたしか川開き帰省の東京-石巻直行バスでも、運行案内(テープ)を「東北弁バージョン」と「標準語バージョン」の両方を流していた。(ミヤコーはサービスとしてこのあたりに力を入れているのか?) 途中の高速で渋滞に遭い、どうなることかと思ったが、幸い15分程度の遅れで、無事石巻到着(13:30頃)。石巻はけっこう暑かった。

駅前からまず向かったのはうどんの「麺舗かのまたや」さん。何度も前を通って、こちらの「石巻焼きそば」を食したいと思っていたのである。お昼時なので混んでいた。食券を買ってセルフサービスするスタイルだが、店内が落ち着いた雰囲気なのでチープな感じはしない。テレビで高校野球を流している。家族連れやら仕事途中の職人さんやら私のようなよく分からないオジサンやらで店は混んでいた。石巻焼きそばの食券を厨房に出すと、「今焼きそばの注文が続いているので少し時間がかかりますけどいいですか」と言われた(親切な声かけという感じで好印象)。それでも座って待つこと10分程で出てきた。目玉焼きのっけで、麺にキャベツ、玉ねぎ、人参、もやし、豚バラ肉入り。旨味(出汁味)がしっかりあってあっさりしている。450円という値段はかなりお得だと思った。(今書いていて焼きそばを食いたくなった。)本来はうどん屋さんなので、今度はぜひうどんを試したいと思った。

立町から寿町を通って大文字屋へ。兄と恵美ちゃんは丸森へお盆帰省で留守。キクちゃんが店を開けていた。店内に注文を受けるためのFAXが入っていた(家庭用だが)。いっしょに店番をしていると、昔の得意先の板さんが来て、仕入れの相談をしていった。津波で勤め先が被災し、現在自分で店を開く準備をしているとのこと。なかなか行政が住民本位の対応をしないことを嘆いておられた。

同窓会会場は石巻グランドホテル。受付開始が15時、総会が16時、懇親会が17時開始。私は同窓会からそのまま帰宅する旨キクちゃんに伝えて15時半に会場へ向かう。

これまで鰐陵の同窓会には参加したことがない。(もしかしたら大学時代に東京の鰐陵会に出たことがあるかもしれない。新宿の「樽一」という店でかなり年配のOBの集まりに参加した記憶がある。)今回参加することにしたのは、一年後輩の鈴木くんの勧めがあったこと、復興途上の地元や後輩の少しでも力になればと思ったこと(会費5,000円の一部は鰐陵在校生に寄付される)、また、これまで無事情報について私なりに伝えてきたが、無事ではなかった方もあろうから、それについて情報共有し、同窓生として何かのお役に立てればと思ったからである。

会場はホテルの2階大広間。3回生分ごとに丸テーブルと席が用意されていた。

開会に先立ち、震災の犠牲者を含む物故者への黙祷が行われた。

総会は事業、決算、監査に関する報告とその承認が主である。これは滞りなく進行した。尚報告の中で、鰐陵同窓生で今回被災した方、亡くなった方の情報についてはまだ正確なものが整っていないとのことだった。

17時から懇親会。この時点で出席者は全体で300名前後であろうか。

今回51回生で参加していたのは、国分君、高橋君、須田君、四倉君、坂本君、私である。(鈴木君も来ていた。)

国分君(軟式野球)の話だと、現在の石高は、共学化の影響で、集団スポーツの部活の頭数が揃いにくくなっているという。一学年200名前後で、女子がどれぐらいいるか分からないが、部活は運動部だけで10以上あるし、文化部もあるわけだから、なるほど野球やラグビーは厳しいだろうなと思った。そのため他校と合同チームで大会に参加することもあるという。

共学化といえば、鈴木君が5月に帰省した際、日和山に部活中らしき女子学生が、見ると鰐陵Tシャツを着ているので、「オー、おっまえら石高が? おら、卒業生だがら。オー、がんばれよ。」と声をかけ、「エー、そうなんですか! 先輩宜しくお願いします!!」なんて言われたという話を聞いて、隔世の感を抱いたのを思い出した。

在学時に誰がどのクラスという話をしていて、自分の在籍クラスを忘れていることに気づいて結構ショックだった。ヤマキっつぁん(古文)とか丹野先生(現国、娘?人)とかは覚えていても、なぜかAとかBとかのクラスが出てこない。ちょっとこれは思い出しておかないといけないなと反省したものである。因みに、1年生の時の担任の先生は、名前が思い出せない。化学の先生で、1年の最初の授業で、禿げ頭の科学者の写真を「禿げているからケクレ」と言って紹介したとか、3年時に授業中に血を吐いて倒れた或る先生の吐瀉物を、救急車が到着するまでピンセットでビーカーに採取していたことなどはよく覚えているのだが。

同じ学年とはいえ、年月を経て、よく知る人以外はなかなか顔と名前が一致しないので、記憶をたどりながら、あるいはたがいの近況報告をしながら話をした。ほとんどの人は津波の被害を受けており、家を失った方もおられた。同窓会の主管回生になった頃から来ている方が多かった。勢い話題は震災に関するものが多くなった。

会場内では震災時の校内の様子が映像で流されるなど、石高の状況報告もされた。私たちのテーブルには他のテーブルから椅子をもって移動して来る人もいてだいぶ混雑した。テーブルは和洋中の料理、ビール、日本酒、焼酎、ウィスキーが用意されていた。なくなると次々に追加された。私はこの日はビールをだいぶ、途中から焼酎を少々飲んだ。

会の締めは応援歌「幻の門」である。忘れていてもパンフがカンペになるので大丈夫なのであった。(→「幻の門」動画)

懇親会が無事終了。主管57回生の皆さんを労いつつ会場を後に。51回生に挨拶し、二次会の誘惑を断ちつつ駅へ向かう。

19時15分頃に駅に着く。石巻線に乗り小牛田経由で仙台に行く乗車券(1280円)を窓口で買おうとすると、仙石線の仙台までの切符(800円)で大丈夫ですよと言われる。代替輸送扱いのようである。切符を買うと電車まで少し時間があった。夜風にあたるのがちょうどよい酔い覚ましになった。

19時50分石巻線に乗る。石巻線の列車に乗るのも久しぶりだった。できれば明るいうちに乗って車窓の風景を眺めれられればよかった。小牛田では降りたホームの反対側の列車に乗り換えるだけで、待ち時間も少なく、スムーズだった。21時22分仙台着。石巻-小牛田40分、小牛田-仙台45分、ほぼ1時間半の行程。仙石線の所要時間もほぼ同じだが、途中で代行バスを使う分、道路事情の影響を受ける。それを考えると、小牛田経由の方が時間的に確実なルートと言えそうだ。仙台で21時40分の「はやて」に乗る。こちらは指定券がとれていた。

23時30分東京到着、中央線で新宿まで20分程。新宿から00:14発(最終の一本前)小田急線の各駅停車に乗り、00:50に生田到着。01:05に帰宅した。

初めて鰐陵同窓会に参加したが、参加してよかったと思った。会の様子がわかったことと、今回の震災についての鰐陵同窓生の状況が少しでも分かったこと、それと、これまで知らなかった同窓生と多少なりとも交流できたことである。同じ51回生でも、クラスや部活、居住地によって、けっこう仕切りができているものである。

また、受付で卒業回次と名前を書いた名札を作り、身に付けさせるのは、良いアイディアだと思った。私のようにこういう会に初めて参加する人間としては大変助かった。こういう集まりにあまり参加したことがないので、毎年のことなのか、また、どこでも行われていることなのか、定かではないが、顔と名前を一致させるのに役立ちました。いずれにしても主管の57回生の方にはご苦労様と申し上げたい。



付記1

平成23年度鰐陵同窓会総会」のようす


付記2 

仙台では涌谷でない方のオサムさん(チャム)から仙台の51回生鰐陵会の話もあり、鈴木君からは東京支部への参加の話もいただいているので、そちらの方も機会があれば参加したいと思っています。なお今回の同窓会で高橋さんからチャムさんについての飲酒後の記憶のない場面について報告を受けております(汗)。(→ 仙台51回生鰐陵会の模様2011/08/23 )


付記3

石巻ZENKAI商店街」のサイト(発見が遅くて申し訳ありません。)


付記4

「鰐陵」の名は、学校のある山が「鰐山」(わにやま)にあることに由来します。「鰐山」自体は形が「鰐」に似ていることからきていますが、その「鰐」が現代の「ワニ」を指すのか、それとも太古日本で「鰐」が指した「ふか」「さめ」の類であるのかは定かではありません。


付記5

文中に「標準語」という表記がありましたが、これは現在「共通語」と呼ばれているのと同じものです。昔の文部省がいつまにか変更したのですが、おそらく「標準語」という呼び方が「じゃあ方言は標準じゃないのか。方言は標準から外れているというのか(怒)」といった差別語疑惑を招くという事情から変わったものと考えられます。私はどちらでもよいと考えますが、「標準語」としているのは私ではなくミヤコーさんであることをことを一応お断りしておきます。


付記6

最近つぶやいた曲 
→レコードよりライブが良かったWah-wahBeware Of Darkness
→レコードも良かったがライブも良かったScarborough Fair
→「津波に耐えたピロティ住宅」記事で思い出したコルビュジエでさらに思い出したFrank Lloyd Wright
→youtubeの「音楽」の「トップチャート」の「すべて再生」で流しっ放して、動画を見ずに聴いていて引っかかった3曲+α



以上新着情報








※ 大文字屋系は全員無事でした。

※ 情報連絡先(当ブログ管理人宛)
…mail: codaimon@gmail.com
…docomo携帯なら番号でショートメールが送れます。:090-3403-6778
…自宅電話: 044-911-8231
こちらのコメント欄でも結構です。

※ 各種情報。

〇石巻の被災状況と生活情報(2ちゃん情報多し。随時更新)
http://blog.nexyzbb.ne.jp/rciel/

〇被災地生活救援サイト(立ち上がり間もないためか情報はまだ少ないも今後増える可能性あり、要チェックかと)
http://resource-info.appspot.com/view/

〇河北新報の地域密着情報
http://www.kahoku.co.jp/

〇石巻・女川の震災被害(写真多数、日下羊一(真羊舎)さんのブログ。ツイッターも拝見しております。)
http://shinyousha.com/shinsai/

〇石巻被災写真part1(私の見てきた石巻 20110331-0404)
http://gallery.nikon-image.com/134530644/albums/2343202/

〇石巻被災写真part2(GWの石巻 20110502-0504)
http://gallery.nikon-image.com/190858889/?command=myself

○グーグル(softbank)の安否情報サイト
http://japan.person-finder.appspot.com/

○首相官邸からの情報
http://www.kantei.go.jp/jp/kikikanri/jisin/20110311miyagi/index.html


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4 コメント

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やっとまとめましたね! (まこちゃん)
2011-09-02 23:02:46
ツィートで紹介させていただきました。
ツィで女川の先輩と同級生と後輩に出会いました。数名、石高出身者です~。さすが、よくまとまっています!
女川高校は二年後に無くなってしまいますが、震災を機に同窓会も盛り上がって、復興に弾みがつくね!
よかった~
返信する
マコちゃんへ (佐藤慶広(管理人))
2011-09-03 13:26:36
コメントありがとうございます。
「同窓」というだけあって、長い時間を共に過ごした人間同士の連帯感がありますね。楽しく参加してまいりました。

女川高校がなくなるのですか。残念ですね。同窓会で盛り上がるのも宜しいのではないでしょうか。

今は交通機関も発達していますから、向こうとの往来も頻繁になるといいいですね。

復興に関してはまだビジョンを提示するさらにその準備段階のようです。石巻市内だけでもいろんな地区に別れていることもあり、まだまだ時間がかかるでしょうね。私としては少しずつでも息長く見ていきたいと思っています。

来年は久しぶりに柔道着に袖を通そうかなと思っています。
返信する
柔道着 (まこちゃん)
2011-09-09 12:54:12
石巻も甚大な被害の上に範囲も広い…。
そうだね、時間はかかるね…。

先日、昭和初期ぐらいの石巻の地図を見ました。大文字屋の辺りは既に街でしたが、
ちょっと外れるともう何もなかったんですね。
母も時々言っていたけど、
その中で大文字屋が存在していたことに、
今更ながら驚きました。

憲ちゃんが昔、家系図に着手したことがあったね。確か完成できなかったような…。記録がなくて断念した記憶があるよ。

よっぴもわかる範囲で調べてみてよ!
うちの両親にも色々聞いてみるから!
母はよく覚えているよ~。
ばばちゃんの話とか英雄さんの話とか、
時々聞いているんだ、
聞けるのは今のうちだから。

まさか、柔道着に袖通すだけじゃないよね!?
突っ込んでみた、一応~

返信する
マコちゃんへ (佐藤慶広(管理人))
2011-09-10 08:04:29
コメントありがとうございます。

石巻は平成の大合併で広くなりましたからね。
元々そこそこ広かったところに合併でさらに広くなったという感じですね。

憲ちゃんが家系図に着手したというのは初耳ですが、私は墓と点鬼簿の記録は採ってあります。

震災前に市役所に行って戸籍を調べた時の記録も残っているので、帰省の折に不明な点を尋ねて、いずれまとめてみようと思っています。

けっこう「何度聴いても忘れる」パターンが多いのですが(苦笑

マコちゃんの方でわかっていることがあれば、いずれお聞きすることもあろうかと思います。
返信する

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