父の思い出として最初に思い出すのは、仔猫を捨てに行ったことだ。
それは私が小学校に入る前のことだったと思う。
家では猫を飼っていて、半年に一度ぐらいであろうか、四~五匹の仔猫を生んだ。
あるとき私は父に連れられて、生まれて間もない仔猫たちを北上川に捨てに行ったのだ。
家から川までは歩いても五分ぐらいだが、車に仔猫たちを乗せていったと思う。
仔猫たちはダンボール箱にボロ布をしいたものに入れられていた。中には魚の缶詰が一つ入っていた。
夕暮れ近い時刻だったろうか。
広小路をぬけた川岸に車を止めると、道路から水面近くに降りた階段を下り、仔猫たちの入った段ボール箱を静かに川に浮かべたのだ。
段ボール箱は静かに流れに乗って私たちから遠ざかっていった。少しずつ少しずつ、水の中に没しながら。
そのとき仔猫たちの鳴き声が聞こえていたかどうか、私は覚えていない。
ただ、日和山にかくれ始めた夕日に赤く染まりながら、沈んでいくダンボール箱をいつまでも見ていたような気がする。
父親というのはいつでも、死を教える存在なのかもしれない。
付記
※ その後、我が家では、仔猫が生まれると、親戚や知人に声をかけ飼い主を見つけるようになった。なぜそのように変わったのかは分からない。しかし、捨てるよりもらわれた方が良いとは、子供心に思ったものだ。
※ 仔猫や仔犬を捨てることは、昔は普通のこととしてあった。一種の「間引き」であって倫理的に問題にされることではなかった。
※ 初めての記憶という意味では、私の記憶などより読んで面白いものはいくらでもある。私自身は次のものをお勧めしたい。
●『はじまりの記憶』(柳田邦男・伊勢英子 共著、講談社、1999年刊)
私は講談社文庫で読んだ。現在品切れ絶版だと思うので、図書館で借りて読むか、購入はamazonやネット古書店スーパー源氏等で。
現在、図書館ではデータベースの電子化が進み、また地域内の複数の図書館でデータを共有し、最寄の図書館の蔵書になくても近隣の図書館から容易に取り寄せができるようになっている。
それは私が小学校に入る前のことだったと思う。
家では猫を飼っていて、半年に一度ぐらいであろうか、四~五匹の仔猫を生んだ。
あるとき私は父に連れられて、生まれて間もない仔猫たちを北上川に捨てに行ったのだ。
家から川までは歩いても五分ぐらいだが、車に仔猫たちを乗せていったと思う。
仔猫たちはダンボール箱にボロ布をしいたものに入れられていた。中には魚の缶詰が一つ入っていた。
夕暮れ近い時刻だったろうか。
広小路をぬけた川岸に車を止めると、道路から水面近くに降りた階段を下り、仔猫たちの入った段ボール箱を静かに川に浮かべたのだ。
段ボール箱は静かに流れに乗って私たちから遠ざかっていった。少しずつ少しずつ、水の中に没しながら。
そのとき仔猫たちの鳴き声が聞こえていたかどうか、私は覚えていない。
ただ、日和山にかくれ始めた夕日に赤く染まりながら、沈んでいくダンボール箱をいつまでも見ていたような気がする。
父親というのはいつでも、死を教える存在なのかもしれない。
付記
※ その後、我が家では、仔猫が生まれると、親戚や知人に声をかけ飼い主を見つけるようになった。なぜそのように変わったのかは分からない。しかし、捨てるよりもらわれた方が良いとは、子供心に思ったものだ。
※ 仔猫や仔犬を捨てることは、昔は普通のこととしてあった。一種の「間引き」であって倫理的に問題にされることではなかった。
※ 初めての記憶という意味では、私の記憶などより読んで面白いものはいくらでもある。私自身は次のものをお勧めしたい。
●『はじまりの記憶』(柳田邦男・伊勢英子 共著、講談社、1999年刊)
私は講談社文庫で読んだ。現在品切れ絶版だと思うので、図書館で借りて読むか、購入はamazonやネット古書店スーパー源氏等で。
現在、図書館ではデータベースの電子化が進み、また地域内の複数の図書館でデータを共有し、最寄の図書館の蔵書になくても近隣の図書館から容易に取り寄せができるようになっている。
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