「ガンダム Gのレコンギスタ」最終回を観ました。
スマホアプリのガンダムチャンネルでも配信されたので、
そろそろ感想なんかもブログに書いて大丈夫かなと思ったわけです。
最終回まで観てモヤモヤ~っとした感じがあって
「富野監督のアニメなのに、これが言いたい! という意図が分からない」と
悔しい思いをしていました。
で、知り合いと話していて
「もしかしてあれは、みんなでガンダムを倒そうとするけれど
結局それができなかった、ってお話しなんじゃないか」という意見を聞いて
「ああ!」を膝を打ったんです。
パイロットとして優秀な主人公が、
ガンダムを作る制作者……監督のメタファーだと仮定して。
人気の後押し、商業的な理由で次々に投入される資金(Gセルフ強化パック)
時に敵対し、時に協力する勢力が、
制作者と視聴者をとりまく環境の隠喩だとしたら。
誰も彼もがGセルフに向かってくるけど、
最後まで撃破することはできなかった。
そう。
これが意味するところは、
初代ガンダムを作った富野監督ですら、
ガンダムシリーズという商業的な意味で化け物となった存在を
抹殺することはできないと認めた。
そういうことなのかもしれない。
だけど戦争の兵器(お金になるコンテンツ)としてのGセルフを
自ら降りて、大地に立ち、自らの足で歩き出す。
ガンダム(Gセルフ)を強く否定することなく、
健やかな少年の身体と心がそれを選んだ。
富野監督が掲げた「脱ガンダム」は、
この最後のシーンに集約されていたのかもしれない。
そして制作側・視聴者側にもガンダムを降りて
自分の足で歩き出して欲しい。
そこに明るい未来が待っていると、提案したかったのかなって。
そんな解釈もできるかなと。
皆さんはGレコという作品を、どう読み取りました?
公式HPに「ラストシーンの意味」と題して
監督が解説してますね。
今これを読んだので、また違った見方ができそうです。
スマホアプリのガンダムチャンネルでも配信されたので、
そろそろ感想なんかもブログに書いて大丈夫かなと思ったわけです。
最終回まで観てモヤモヤ~っとした感じがあって
「富野監督のアニメなのに、これが言いたい! という意図が分からない」と
悔しい思いをしていました。
で、知り合いと話していて
「もしかしてあれは、みんなでガンダムを倒そうとするけれど
結局それができなかった、ってお話しなんじゃないか」という意見を聞いて
「ああ!」を膝を打ったんです。
パイロットとして優秀な主人公が、
ガンダムを作る制作者……監督のメタファーだと仮定して。
人気の後押し、商業的な理由で次々に投入される資金(Gセルフ強化パック)
時に敵対し、時に協力する勢力が、
制作者と視聴者をとりまく環境の隠喩だとしたら。
誰も彼もがGセルフに向かってくるけど、
最後まで撃破することはできなかった。
そう。
これが意味するところは、
初代ガンダムを作った富野監督ですら、
ガンダムシリーズという商業的な意味で化け物となった存在を
抹殺することはできないと認めた。
そういうことなのかもしれない。
だけど戦争の兵器(お金になるコンテンツ)としてのGセルフを
自ら降りて、大地に立ち、自らの足で歩き出す。
ガンダム(Gセルフ)を強く否定することなく、
健やかな少年の身体と心がそれを選んだ。
富野監督が掲げた「脱ガンダム」は、
この最後のシーンに集約されていたのかもしれない。
そして制作側・視聴者側にもガンダムを降りて
自分の足で歩き出して欲しい。
そこに明るい未来が待っていると、提案したかったのかなって。
そんな解釈もできるかなと。
皆さんはGレコという作品を、どう読み取りました?
公式HPに「ラストシーンの意味」と題して
監督が解説してますね。
今これを読んだので、また違った見方ができそうです。
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