今晩は、kentathuです。
今回はある殺人事件の話です。
心に伝わるback Musicとして
記事を書いてます。
82作目は、
中島みゆきの「世情」です。
(パソコンの方はCtrlキーを押しながら下記画像をクリックして下さい。)
♪ 世情 ♪
この曲は有名ドラマの挿入歌で知りました。
(パソコンの方はCtrlキーを押しながら下記画像をクリックして下さい。)
♪ 世情 ドラマver ♪
それでは、認知症の母 殺人事件の話です。
続き(MORE)に進んで下さい。
京都市伏見区桂川河川敷で
2月1日無職、片桐康晴被告が認知症の母親を殺害して
無理心-中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた
事件内容は認知症の母親の介護で-
生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの
片桐被告は母を殺害した後自分も自-殺を図ったが発見され
一命を取り留めたとの事
片桐被告は両親と3人暮らしだったが9-5年に父が死亡
その頃から、母に認知症の症状が出始め一人で介護した
母は05年4月-ごろから昼夜が逆転
徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した
片桐被告は休職してデイ-ケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職
生活保護は、失業給付金などを理由に-
認められなかった・・・
介護と両立する仕事は見つからず12月に失業保険の給付がストップ
-カードローンの借り出しも限度額に達しデイケア費やアパート代が払えなくなり
06-年1月31日に心中を決意した
「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝
同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で「もう生きられへん。此処で終わりやで」
などと言うと、母は「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」
と答えた
片桐被告が「すまんな」と謝ると母は「こっちに来い」と呼び
片桐被告が母の額にくっつけると母は「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意母の首を絞めて殺し
自分も包丁で首を切って自殺を図った冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして
上を向いていた肩を震わせ、眼鏡を外して
右腕で涙を拭う場面もあった裁判では検察官が片桐被告が
献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述
殺害時の2人のやりとりや「母の命を奪ったが
もう一度、母の子に生まれたい」
という供述も紹介
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ刑務官も涙をこらえるようにまばたきをするなど
法廷は静まり返った・・・裁判の中で片桐被告は
「私の手は母を殺めるための手だったのか・・・」
と言葉を残した
東尾裁判官は片桐被告に対し「尊い命を奪ったをいう結果は
取り返しのつかない重大だが経緯や被害者の心情を思うと
社会で生活し、自力で更生するなかで冥福を祈らせる事が相当・・・
被告人を懲役2年6ヵ月に処する」
そして続いてこう言った「この裁判確定の日から3年間
その刑の執行を猶予する」
殺人(承諾殺人)で異例の執行猶予つきの
判決を言い渡されたそして被害者(お母さん)の心情に対し
「被害者は被告人に感謝こそすれ決して恨みなど抱いておらず
今後は幸せな人生を歩んで行ける事を望んでいるであろうと推察される」
判決の後、片桐被告に裁判長が「絶対に自分を自分であやめる事のないように
お母さんのためにも、幸せに生きてほしい」
と言われ、片桐被告は深々と頭を下げ「ありがとうございました」と言った
片桐被告に言い渡した後に東尾裁判官はこう言葉を残した
「本件で裁かれるのは被告人だけではなく介護保険や生活保護行政の在り方も
問われている
こうして事件に発展した以上はどう対応すべきだったかを
行政の関係者は考え直す余地がある」
当時 金八先生をリアルタイムで見ていたので、
社会勉強は金八先生で学びました。
by kentathu
今回はある殺人事件の話です。
心に伝わるback Musicとして
記事を書いてます。
82作目は、
中島みゆきの「世情」です。
(パソコンの方はCtrlキーを押しながら下記画像をクリックして下さい。)
♪ 世情 ♪
この曲は有名ドラマの挿入歌で知りました。
(パソコンの方はCtrlキーを押しながら下記画像をクリックして下さい。)
♪ 世情 ドラマver ♪
それでは、認知症の母 殺人事件の話です。
続き(MORE)に進んで下さい。
京都市伏見区桂川河川敷で
2月1日無職、片桐康晴被告が認知症の母親を殺害して
無理心-中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた
事件内容は認知症の母親の介護で-
生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの
片桐被告は母を殺害した後自分も自-殺を図ったが発見され
一命を取り留めたとの事
片桐被告は両親と3人暮らしだったが9-5年に父が死亡
その頃から、母に認知症の症状が出始め一人で介護した
母は05年4月-ごろから昼夜が逆転
徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した
片桐被告は休職してデイ-ケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職
生活保護は、失業給付金などを理由に-
認められなかった・・・
介護と両立する仕事は見つからず12月に失業保険の給付がストップ
-カードローンの借り出しも限度額に達しデイケア費やアパート代が払えなくなり
06-年1月31日に心中を決意した
「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝
同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で「もう生きられへん。此処で終わりやで」
などと言うと、母は「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」
と答えた
片桐被告が「すまんな」と謝ると母は「こっちに来い」と呼び
片桐被告が母の額にくっつけると母は「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意母の首を絞めて殺し
自分も包丁で首を切って自殺を図った冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして
上を向いていた肩を震わせ、眼鏡を外して
右腕で涙を拭う場面もあった裁判では検察官が片桐被告が
献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述
殺害時の2人のやりとりや「母の命を奪ったが
もう一度、母の子に生まれたい」
という供述も紹介
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ刑務官も涙をこらえるようにまばたきをするなど
法廷は静まり返った・・・裁判の中で片桐被告は
「私の手は母を殺めるための手だったのか・・・」
と言葉を残した
東尾裁判官は片桐被告に対し「尊い命を奪ったをいう結果は
取り返しのつかない重大だが経緯や被害者の心情を思うと
社会で生活し、自力で更生するなかで冥福を祈らせる事が相当・・・
被告人を懲役2年6ヵ月に処する」
そして続いてこう言った「この裁判確定の日から3年間
その刑の執行を猶予する」
殺人(承諾殺人)で異例の執行猶予つきの
判決を言い渡されたそして被害者(お母さん)の心情に対し
「被害者は被告人に感謝こそすれ決して恨みなど抱いておらず
今後は幸せな人生を歩んで行ける事を望んでいるであろうと推察される」
判決の後、片桐被告に裁判長が「絶対に自分を自分であやめる事のないように
お母さんのためにも、幸せに生きてほしい」
と言われ、片桐被告は深々と頭を下げ「ありがとうございました」と言った
片桐被告に言い渡した後に東尾裁判官はこう言葉を残した
「本件で裁かれるのは被告人だけではなく介護保険や生活保護行政の在り方も
問われている
こうして事件に発展した以上はどう対応すべきだったかを
行政の関係者は考え直す余地がある」
当時 金八先生をリアルタイムで見ていたので、
社会勉強は金八先生で学びました。
by kentathu
過去に中学生の頃 我が中学と他校が喧嘩になり 我が中学に護送車きました。同じ頃なので
この歌を歌いながら教室の窓からみてました。