【Good Luck】2020

幸運に!幸運を願う!またね

マイガール song by 嵐

2013-10-18 22:00:23 | 心に伝わるback Music
【俺らの兄貴】
今回はMくんの話です。

心に伝わるback Musicとして
記事を書いてます。

今回はヤプミーの”こんあいば”さんからのリクエストです。

51作目は
嵐の「マイガール」です。


(パソコンの方はCtrlキーを押しながら下記画像をクリックして下さい。曲が流れます)
♪ マイガール ♪


この曲は嵐の相葉雅紀 主演でドラマの主題歌でした。
♪ マイガール  ドラマver♪


それでは、M君の話です。



両親は俺が中2の時、交通事故で死んだ。
俺には4つ上の兄と5つ下の妹がいる。
両親の死後、俺は母方の親戚に、妹は父方にひきとられて、
兄は母方の祖父母と住んでいた。


それから一年くらいたって、
久しぶりに兄から電話があった。
そん時、高校を卒業して就職が見つかったから、
兄弟3人で暮らさないかという旨を言われた。

俺はびっくりした。兄は俺とは違い昔から頭が良くて、
当然1流の大学に行くんだろうと思ってたからだ。

俺は兄に大学はいいのか?と聞いたが、兄は
「全滅やったから(笑)そこは触れんといて」
なんて事を言ってた。

俺は中3だし、妹はまだ小3だったため当然、
親戚中は反対してたが、
俺も妹も、ホントはまた兄弟一緒に暮らしたいと思ってたから
頼み込んで許してもらい、
晴れて兄弟3人一緒に住むことができるようになった。

それからというもの、兄は俺らの為に働きまくった。
俺らが貧乏なんて感じることないようにと、
ずっと皆一緒に暮らすんだと、
昼と夜も別々の仕事して稼ぎまくって俺らに小遣いまでくれてた。
そんな兄が先月、交通事故で逝ってしまった・・・

葬式で俺も妹も泣きじゃくった。。
葬式も一通り片付き皆が帰った後、
別室にいた俺と妹のところに、
叔母が夕飯をもってきてくれて、
その際、俺らは兄について衝撃の事実をしることになった。

"両親の死後、兄が親戚中に土下座し、俺と妹の事よろしく頼むと言ってまわってたこと。
兄がバイト代を毎月送り、俺と妹の小遣いにしてやってくれと頼んでたこと。
京大を蹴って、俺らと一緒に住むために就職したこと。


・・・それきいた途端、もう分からんくらい泣いた。立てんかった・・・
色んな兄ちゃんとの思い出が駆け巡った。
小さい頃、俺の手をつないで、いっつも遊んでくれた・・・
強くておもろくてやさしかった・・・
自分の小遣いからお菓子買ってくれてた・・・
俺が高校行かんって言ったらぶち切れて殴ってでも行かせるって言った・・・
いつもボロボロで疲れてても、俺らに八つ当たりなんてしなかった・・・
自分の夢を捨てて、俺らのために必死やった・・・
おとん、おかんが死んだ時、泣きじゃくる俺と妹を抱いて、
がんばれって言って俺らの前では涙ひとつ見せんかった・・・
俺ホントは兄ちゃんが夜中、泣き声をおしころして泣いてたの知ってたよ・・・"
やべえ思い出して・・・もうこれ以上書けねえわ
何もできんかったわ・・・
ホントなんも・・・
最後に言わせて。
最強最高の兄ちゃん!!!あんたに負けんこと俺がんばるけん!
妹のことも心配せんでいいけんね。ありがとう。ありがとう!!!



オリジナル・スマイル

2013-10-13 21:00:52 | 心に伝わるback Music
お久しぶりです。

【お母さんこそ申し訳ない】
今回はKくんの話です。

心に伝わるback Musicとして
記事を書いてます。


50作目は
SMAPの「オリジナル・スマイル」です。


(パソコンの方はCtrlキーを押しながら下記画像をクリックして下さい。曲が流れます)
♪ オリジナル・スマイル ♪



♪ オリジナル・スマイル LIVEver♪


今日、近くの小学校で運動会をしていました。
その時に流れていたのがこの曲です。
みんな笑顔だったので、
ヤプミーのあなたも、この曲で笑顔になって下さい。

それでは、K君の話です。


"うちは親父が仕事の続かない人でいつも貧乏。
母さんは俺と兄貴のためにいっつも働いてた。
ヤクルトの配達や近所の工場とか、土日もゆっくり休んでたっていう記憶は無いな・・・
俺は中学・高校の頃はそんな自分の家庭が嫌でしょうがなかった。
夜は遅くまで好き勝手遊んで、高校の頃は学校さぼって朝起きないことも多かった。
んで、高校卒業してすぐの頃、仕事もしないで遊んでて、当然金は無い。

そこでやっちゃった。盗み。詳しくは言えないけど、まあ、空き巣だね。
ただ、小心者の俺はその日に自首したんだ。良心が、とかじゃなくてびびっただけw
警察に俺を迎えに来た母さんはほんとに悲しい顔してた。でも泣いてはなかった。
一緒に家庭裁判所行ったときも、割と落ち着いてたね。

裁判所の帰りの電車で俺あやまったんだ。ボソッと「ごめん。」て。そしたら、
「お母さんこそお前に申し訳ないよ。ろくに小遣いもやれないで・・・
本当にお前がかわいそうで・・・すまなくって・・・」"

"俺、電車の中でぼろぼろ泣いた。声出して泣いてたと思う。
何やってんだ俺。何やってんだ俺。って思って、情けなくて申し訳なくて・・・
ここでも母さんは泣いてなかったな。ただじっとうつむいてただけだった。

俺はその後必死になって勉強した。昼はスーパーでバイトして、夕方からは受験勉強。
そして翌春に何とか大学に合格。バイトは続けながら大学生活が始まった。
でも、母さんはなんとなく俺のことがまだ心配なようだった。
母さんも相変わらず働きづめだから、そんな生活の俺とはあんまり会話がなかったし、
家が貧乏なのに変わりは無かったしね。

"だから俺、入学後も一生懸命勉強した。自分の為っていうより、母さんを安心させてやりたかった。
それで大学1年目の終わりに、
「母さん。ちょっと見せたいものがあるんだ。」
そう言って紙を一枚渡した。
大学の成績通知書。履修した科目が全部『優』だったから(マジ)。
最初は通知書の見方がよくわかんなかったみたいだけど、説明したら成績が良いのはわかったみたい。"

"母「へえ、すごいね・・・母さん科目の名前みてもよくわかんないけど、すごいんでしょ?これ。」
俺「すごいかどうかはわかんないけど・・・」
母「・・・すごいね。・・・偉いね。」
俺「だからさ・・・こんな物だけで偉そうに言うのもあれだけど・・・
俺、もう大丈夫だから。母さんを裏切ったりしないから。」

そしたら、母さん泣き出しちゃった。もう号泣。
そこで気付いたんだけど、俺、母さんが泣くのを見るの初めてだった。
きっと、何があっても子供には涙は見せないようにがんばってたんだと思う。
それを思ったら俺も泣き出しちゃったw 母さんより泣いてたかもw

はあ・・・親孝行しなきゃな・・・"


K君を支えて来た母を
こんどはK君が支える板だね。