今日は、M様の話しです。
心に伝わるback Musicとして
記事を書いてます。
46作目は
山下達郎 のONLY WITH YOUです。
(パソコンの方はCtrlキーを押しながら下記画像をクリックして下さい。曲が流れます)
♪~ONLY WITH YOU~♪
何万回聞いても聞き飽きない心に染み渡る名曲ですね。傷ついた心を何度癒してくれたことでしょう。
ライブVer追加曲
(パソコンの方はCtrlキーを押しながら下記画像をクリックして下さい。曲が流れます)
それでは、長文になりますので時間がある時に「追記」に進んで下さい。
ではM様の話です。
* * * *
心に残る名言です
『死に方が分かれば、生き方も分かる』
自分が生涯を終わるとき、
どんな死に方をしたいのかがわかれば、
生き方もわかるという意味です。
自分の葬式に5メートルくらいの上空から
眺めている感じを イメージすると
わかっていただけるかもしれません。
そのイメージした自分の葬式で感じたことは、
最後は 「人の心の中に残りたい」 というものでした。
人としてのあり方を、僕は父の葬儀で学びました。
当日、僕は喪主でした。
「本日は、お忙しいところ
ご足労いただきありがとうございました。
これだけたくさんの方に来ていただき
父も天国で喜んでいると思います」
「父が癌で亡くなった。
父が亡くなってからアルバムを見ていました。
昔のアルバムを見ていると父の学生時代でしょうか。
笑顔でたくさんの友達に囲まれていました。
父は幸せそうでした。
会社の同僚の方々でしょうか。
山の人たちに囲まれて幸せそうでした。
父は本当に幸せそうな顔をしていました。
いい人生だったと天国で喜んでいると思います。
これも皆さんのおかげです」
僕は、家庭のことを何でも話す父が恥ずかしくてたまらなかった。
僕はおしゃべりな父が嫌いだった。
「不器用な男だったので、
誤解を与えてしまうことも
あったかもしれません」
涙が目に溢れてきて話ができない。
本当に不器用な男だった。
自分がいいと思ったことは
人もいいはずだと思って 行動してしまう人だった。
僕の涙に誘われて、
会場の人たちも、
しくしくとした泣き声から号泣に変わり始めた。
僕もなかなか話の続きができない。
「家庭では見せなかった父を知っていたら、
話していただけるとうれしいです。」
「本日はご足労いただきありがとうございました」
そこまで言うのがやっとだった。
それ以上話が続けられなかった。
人前で泣くのはこれが初めてだった。
病院のベットで父が亡くなったときにも泣けなかった。
泣いている母と妹を見ていると、ここで泣いてはいけない。
しっかりしないといけないと思ったからだ。
押さえていた涙が一気に出てきた。
僕の前には生前の父の話をしようとしてくれる
人たちの長い列が出来ていた。
「あなたのお父さんは
遠くにいても私の姿を見つけると、
おーい!って、大きな声で手を振りながら
走ってくる人だったよ。
嬉しかったよ。やっぱり。
ほんとに優しい人だったよ」
僕はいままで、
どこにいても大きな声を出す父は
デリカシーがなくて 恥ずかしいと思っていた。
「いつも野菜とか魚とか持ってきてくれてねぇ。
ほんとに人のことを考えてくれる優しい人だったよ」
食べきれない野菜を作ってどうするのかと思っていた。
釣ってきた魚もなんだか
汚いような気がしてあまり箸をつけなかった。
引越しのときに駆けつけてくれたとか、
田んぼを手伝ってくれた とか
父には感謝していたという人たちの話が続いた。
たくさんの人が話をしてくれた。
僕の知らない父が沢山いた。
涙が目からあふれ出てきてどうしようもなかった。
父は本当に愛されていた。
僕はそんな父を見ようとしていなかった。
その時、僕はまだ20代だった。
自分のことが情けなくて
どうしようもなくて嗚咽に変わった。
ねぎらいの言葉をかけてくれる人たちが
泣いている僕の肩を ポンポンとたたいていくが、
それに答えられない。
最後の人が話しに来た。
二人組みの若い男性が
病院でお世話になりましたと言ってきた。
先生かなと思い、
「お世話になり、ありがとうございました」
と言った。 ひとりの男性が
「いや、お世話になったのは私たちのほうです」
と言う。
話を聞くと自分たちは患者で
父が病気の彼らのことを気遣い、
つとめて明るく接してくれたので元気をいただいていた。
だから、いつかお礼を言おうと思っていたら、
いつのまにか父がどこかに行ってしまい言いそびれていた。
そしたら、今日の新聞で父の葬式があると知って
びっくりしたと言うことだった。
話を聞きながら、
また目に涙が溢れてきた。
父は自分が末期の癌であることは
知っていたはずだった。
それなのに、他の人のことを考えていた。
自分は癌で長くないと知っていたはずだ。
彼らには、わざわざ来ていただいて
ありがとうございますと 言うのがやっとだった。
父が最後につくった友人だった。
あれから8年がたつ。
恥ずかしい父だと思っていたのに、
今の自分は父にそっくりになっている。
父は僕にとって大きなプレゼントを残してくれていた。
このプレゼントのおかげで今、僕は素晴らしい友人に囲まれている。
追加曲です、 Eurythmicsの There must be an angel
(パソコンの方はCtrlキーを押しながら下記画像をクリックして下さい。曲が流れます)
♪~There must be an angel~♪
心に伝わるback Musicとして
記事を書いてます。
46作目は
山下達郎 のONLY WITH YOUです。
(パソコンの方はCtrlキーを押しながら下記画像をクリックして下さい。曲が流れます)
♪~ONLY WITH YOU~♪
何万回聞いても聞き飽きない心に染み渡る名曲ですね。傷ついた心を何度癒してくれたことでしょう。
ライブVer追加曲
(パソコンの方はCtrlキーを押しながら下記画像をクリックして下さい。曲が流れます)
それでは、長文になりますので時間がある時に「追記」に進んで下さい。
ではM様の話です。
* * * *
心に残る名言です
『死に方が分かれば、生き方も分かる』
自分が生涯を終わるとき、
どんな死に方をしたいのかがわかれば、
生き方もわかるという意味です。
自分の葬式に5メートルくらいの上空から
眺めている感じを イメージすると
わかっていただけるかもしれません。
そのイメージした自分の葬式で感じたことは、
最後は 「人の心の中に残りたい」 というものでした。
人としてのあり方を、僕は父の葬儀で学びました。
当日、僕は喪主でした。
「本日は、お忙しいところ
ご足労いただきありがとうございました。
これだけたくさんの方に来ていただき
父も天国で喜んでいると思います」
「父が癌で亡くなった。
父が亡くなってからアルバムを見ていました。
昔のアルバムを見ていると父の学生時代でしょうか。
笑顔でたくさんの友達に囲まれていました。
父は幸せそうでした。
会社の同僚の方々でしょうか。
山の人たちに囲まれて幸せそうでした。
父は本当に幸せそうな顔をしていました。
いい人生だったと天国で喜んでいると思います。
これも皆さんのおかげです」
僕は、家庭のことを何でも話す父が恥ずかしくてたまらなかった。
僕はおしゃべりな父が嫌いだった。
「不器用な男だったので、
誤解を与えてしまうことも
あったかもしれません」
涙が目に溢れてきて話ができない。
本当に不器用な男だった。
自分がいいと思ったことは
人もいいはずだと思って 行動してしまう人だった。
僕の涙に誘われて、
会場の人たちも、
しくしくとした泣き声から号泣に変わり始めた。
僕もなかなか話の続きができない。
「家庭では見せなかった父を知っていたら、
話していただけるとうれしいです。」
「本日はご足労いただきありがとうございました」
そこまで言うのがやっとだった。
それ以上話が続けられなかった。
人前で泣くのはこれが初めてだった。
病院のベットで父が亡くなったときにも泣けなかった。
泣いている母と妹を見ていると、ここで泣いてはいけない。
しっかりしないといけないと思ったからだ。
押さえていた涙が一気に出てきた。
僕の前には生前の父の話をしようとしてくれる
人たちの長い列が出来ていた。
「あなたのお父さんは
遠くにいても私の姿を見つけると、
おーい!って、大きな声で手を振りながら
走ってくる人だったよ。
嬉しかったよ。やっぱり。
ほんとに優しい人だったよ」
僕はいままで、
どこにいても大きな声を出す父は
デリカシーがなくて 恥ずかしいと思っていた。
「いつも野菜とか魚とか持ってきてくれてねぇ。
ほんとに人のことを考えてくれる優しい人だったよ」
食べきれない野菜を作ってどうするのかと思っていた。
釣ってきた魚もなんだか
汚いような気がしてあまり箸をつけなかった。
引越しのときに駆けつけてくれたとか、
田んぼを手伝ってくれた とか
父には感謝していたという人たちの話が続いた。
たくさんの人が話をしてくれた。
僕の知らない父が沢山いた。
涙が目からあふれ出てきてどうしようもなかった。
父は本当に愛されていた。
僕はそんな父を見ようとしていなかった。
その時、僕はまだ20代だった。
自分のことが情けなくて
どうしようもなくて嗚咽に変わった。
ねぎらいの言葉をかけてくれる人たちが
泣いている僕の肩を ポンポンとたたいていくが、
それに答えられない。
最後の人が話しに来た。
二人組みの若い男性が
病院でお世話になりましたと言ってきた。
先生かなと思い、
「お世話になり、ありがとうございました」
と言った。 ひとりの男性が
「いや、お世話になったのは私たちのほうです」
と言う。
話を聞くと自分たちは患者で
父が病気の彼らのことを気遣い、
つとめて明るく接してくれたので元気をいただいていた。
だから、いつかお礼を言おうと思っていたら、
いつのまにか父がどこかに行ってしまい言いそびれていた。
そしたら、今日の新聞で父の葬式があると知って
びっくりしたと言うことだった。
話を聞きながら、
また目に涙が溢れてきた。
父は自分が末期の癌であることは
知っていたはずだった。
それなのに、他の人のことを考えていた。
自分は癌で長くないと知っていたはずだ。
彼らには、わざわざ来ていただいて
ありがとうございますと 言うのがやっとだった。
父が最後につくった友人だった。
あれから8年がたつ。
恥ずかしい父だと思っていたのに、
今の自分は父にそっくりになっている。
父は僕にとって大きなプレゼントを残してくれていた。
このプレゼントのおかげで今、僕は素晴らしい友人に囲まれている。
追加曲です、 Eurythmicsの There must be an angel
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♪~There must be an angel~♪