皆さんはご存じだろうか、
1998年通夜、告別式に5万人近くが集まったとされ、
隅田川沿いに2~3キロのファンの列が出来たこを。
最近、毎日の様に築地本願寺の前を通ります。
行ったこと無いと思っていたけど、
思い出しました。
元「X JAPAN」のギタリスト
hide(本名:松本秀人:33)の自殺?事故?の話です。
心に伝わるback Musicとして
記事を書いてます。
85作目は、
X JAPANの「ENDLESS RAIN 」です。
(下記画像をクリックして下さい。)
♪「ENDLESS RAIN」♪
By kentathu
それでは、X JAPAN」のギタリストhide(本名:松本秀人)の話です。
追記を読む(MORE)に進んで下さい。
1998(平成10)年5月2日、6:30、
元「X JAPAN」のギタリスト・hide(本名:松本秀人:33)は
実弟でマネージャーの松本裕士と一緒に
東京・港区南麻布2-1-21ノアーズアーク南麻布マンション301号の自宅へ帰宅した。
酒に酔っていた。約1時間後、
同棲中の女性がドアノブにタオルを巻き付け、
床に座った状態で縊死しているhideの姿を発見した。
その後、病院に搬送されたが、8:52に死亡が確認された。
遺書はなかったが、警察は自殺と断定した。
ギタリストたちの多くは重いギターを首にかけることからくる肩こりに悩まされる。
hideも生前、肩こりに悩まされ母が届けてくれた湿布をいつも肩に貼っていたという。
hideの通っていた整体師は、
彼の顎にタオルをかけ上方へ牽引する施術を行っていた。
実弟の話によるとhideはたびたび一人でこの牽引施術を行っていたという。
彼の死亡現場の状況と、この牽引施術はまったく同じだった。
hideの遺体は5月3日に東京・中央区築地の築地本願寺に安置された。
夕方、YOSHIKIがロサンゼルスから帰国し
成田空港から築地本願寺に直行、遺体と対面をした。
YOSHIKIは最初これを「悪い冗談じゃないか」とも思っていたが、
飛行機の中での正式な報道を見た瞬間に現実であることを受け入れ号泣したという。
翌日5月4日、週が明け本格的にワイドショーなどで大々的に取り上げられる。
築地本願寺にファンが集まり始め、その数は千人規模となる。
夕方にYOSHIKIが寺の正面に姿を現し、報道陣を前にメッセージを発表した。
当時のニュース
↓
5月5日には、関係者のみ300人を集め密葬が執り行われた。
その間もファンは絶え間無く押し寄せ、その数は数千人にも膨れ上がった。
また、疲労と心労が重なったファンが次々と倒れ、救急車で病院に搬送された。
さらに、「hideが自殺」と報道されていたために
ファンの後追い自殺が東京・調布市や千葉市、築地本願寺境内で相次いだ。
そのため、翌日には警視庁の要請で元「X JAPAN」のメンバーが記者会見を開き、
自殺を思いとどまるように訴えた。
このような後追い自殺を防ぐためか、
後に状況証拠から自殺と考えられるような芸能人が現れても
極力「原因を調査中」などとして「自殺」という報道を避けるようになった(2007年の坂井泉水の急死など)。
5月6日の通夜、5月7日の告別式の両日はファンの献花を受け付け、
連日ファンが大挙して押し寄せた。
中には単なる通行人や野次馬もいたとされるが、
通夜、告別式に5万人近くが集まったとされ、
隅田川沿いに2~3キロのファンの列が出来たことも報道されていた。
「ファンは列に並ぶ際、パニックになるような事も無く、
むしろ近隣住民の迷惑にならないように
ゴミ拾いまで進んで行う素行の良さであった」と
葬儀翌日の朝日新聞・天声人語で語られているが、
実際は各所で将棋倒しなどの事故、警察の対応の悪さによるパニックも起きている。
これまで有名人の告別式などが催されたことがあるが、
美空ひばりや尾崎豊の告別式に訪れた人の数を超え、
これほどまでファンが集まったのは戦後の日本では例が無い。
5月7日の告別式はテレビで生中継された。
告別式には、脱退したTOSHI、TAIJIを含む元「X JAPAN」メンバーをはじめ、
親交のあった音楽仲間や業界関係者が列席した。
築地本願寺開山以来のグランドピアノ持ち込みによる
YOSHIKIの伴奏で、TOSHIがX JAPANの『Forever Love』を歌った。
hideの『Good Bye』が流される中、出棺される。
道路に交通規制が掛けられ一般車両を完全に止めた状態であったが、
ファンが大挙して道路に広がり霊柩車を追いかける者まで現れる非常事態となり、
築地本願寺周辺がパニック状態になった。
その後、hideは渋谷区の代々幡斎場で荼毘に付された。
法名「秀徳院釋慈音」(しゅうとくいん しゃくじおん)。
遺骨は四十九日法要をもって、神奈川・三浦市の三浦霊園に納骨され、
一部はロサンゼルスの海に当時の「zilch」のメンバーや松本裕士によって散骨されている。
hideの墓には大きく『hide』の文字が書かれており
今でもファンによる多くの献花が飾られている。
また、墓石には愛用のギターを模したレリーフの隣に事実上
遺作となった『HURRY GO ROUND』の歌詞と
両親から息子へのメッセージが刻まれているほか、
記帳用のノートも設置されている。
なお、墓にはファンによる墓地の荒廃を防ぐために
松本家からの注意書きも設置されており、
献花は包装をはがすこと、線香を束であげない、
水、酒などの液体を墓石にかけないといったルールが記されている。
♪hide「 GOOD BYE」♪
1998年通夜、告別式に5万人近くが集まったとされ、
隅田川沿いに2~3キロのファンの列が出来たこを。
最近、毎日の様に築地本願寺の前を通ります。
行ったこと無いと思っていたけど、
思い出しました。
元「X JAPAN」のギタリスト
hide(本名:松本秀人:33)の自殺?事故?の話です。
心に伝わるback Musicとして
記事を書いてます。
85作目は、
X JAPANの「ENDLESS RAIN 」です。
(下記画像をクリックして下さい。)
♪「ENDLESS RAIN」♪
By kentathu
それでは、X JAPAN」のギタリストhide(本名:松本秀人)の話です。
追記を読む(MORE)に進んで下さい。
1998(平成10)年5月2日、6:30、
元「X JAPAN」のギタリスト・hide(本名:松本秀人:33)は
実弟でマネージャーの松本裕士と一緒に
東京・港区南麻布2-1-21ノアーズアーク南麻布マンション301号の自宅へ帰宅した。
酒に酔っていた。約1時間後、
同棲中の女性がドアノブにタオルを巻き付け、
床に座った状態で縊死しているhideの姿を発見した。
その後、病院に搬送されたが、8:52に死亡が確認された。
遺書はなかったが、警察は自殺と断定した。
ギタリストたちの多くは重いギターを首にかけることからくる肩こりに悩まされる。
hideも生前、肩こりに悩まされ母が届けてくれた湿布をいつも肩に貼っていたという。
hideの通っていた整体師は、
彼の顎にタオルをかけ上方へ牽引する施術を行っていた。
実弟の話によるとhideはたびたび一人でこの牽引施術を行っていたという。
彼の死亡現場の状況と、この牽引施術はまったく同じだった。
hideの遺体は5月3日に東京・中央区築地の築地本願寺に安置された。
夕方、YOSHIKIがロサンゼルスから帰国し
成田空港から築地本願寺に直行、遺体と対面をした。
YOSHIKIは最初これを「悪い冗談じゃないか」とも思っていたが、
飛行機の中での正式な報道を見た瞬間に現実であることを受け入れ号泣したという。
翌日5月4日、週が明け本格的にワイドショーなどで大々的に取り上げられる。
築地本願寺にファンが集まり始め、その数は千人規模となる。
夕方にYOSHIKIが寺の正面に姿を現し、報道陣を前にメッセージを発表した。
当時のニュース
↓
5月5日には、関係者のみ300人を集め密葬が執り行われた。
その間もファンは絶え間無く押し寄せ、その数は数千人にも膨れ上がった。
また、疲労と心労が重なったファンが次々と倒れ、救急車で病院に搬送された。
さらに、「hideが自殺」と報道されていたために
ファンの後追い自殺が東京・調布市や千葉市、築地本願寺境内で相次いだ。
そのため、翌日には警視庁の要請で元「X JAPAN」のメンバーが記者会見を開き、
自殺を思いとどまるように訴えた。
このような後追い自殺を防ぐためか、
後に状況証拠から自殺と考えられるような芸能人が現れても
極力「原因を調査中」などとして「自殺」という報道を避けるようになった(2007年の坂井泉水の急死など)。
5月6日の通夜、5月7日の告別式の両日はファンの献花を受け付け、
連日ファンが大挙して押し寄せた。
中には単なる通行人や野次馬もいたとされるが、
通夜、告別式に5万人近くが集まったとされ、
隅田川沿いに2~3キロのファンの列が出来たことも報道されていた。
「ファンは列に並ぶ際、パニックになるような事も無く、
むしろ近隣住民の迷惑にならないように
ゴミ拾いまで進んで行う素行の良さであった」と
葬儀翌日の朝日新聞・天声人語で語られているが、
実際は各所で将棋倒しなどの事故、警察の対応の悪さによるパニックも起きている。
これまで有名人の告別式などが催されたことがあるが、
美空ひばりや尾崎豊の告別式に訪れた人の数を超え、
これほどまでファンが集まったのは戦後の日本では例が無い。
5月7日の告別式はテレビで生中継された。
告別式には、脱退したTOSHI、TAIJIを含む元「X JAPAN」メンバーをはじめ、
親交のあった音楽仲間や業界関係者が列席した。
築地本願寺開山以来のグランドピアノ持ち込みによる
YOSHIKIの伴奏で、TOSHIがX JAPANの『Forever Love』を歌った。
hideの『Good Bye』が流される中、出棺される。
道路に交通規制が掛けられ一般車両を完全に止めた状態であったが、
ファンが大挙して道路に広がり霊柩車を追いかける者まで現れる非常事態となり、
築地本願寺周辺がパニック状態になった。
その後、hideは渋谷区の代々幡斎場で荼毘に付された。
法名「秀徳院釋慈音」(しゅうとくいん しゃくじおん)。
遺骨は四十九日法要をもって、神奈川・三浦市の三浦霊園に納骨され、
一部はロサンゼルスの海に当時の「zilch」のメンバーや松本裕士によって散骨されている。
hideの墓には大きく『hide』の文字が書かれており
今でもファンによる多くの献花が飾られている。
また、墓石には愛用のギターを模したレリーフの隣に事実上
遺作となった『HURRY GO ROUND』の歌詞と
両親から息子へのメッセージが刻まれているほか、
記帳用のノートも設置されている。
なお、墓にはファンによる墓地の荒廃を防ぐために
松本家からの注意書きも設置されており、
献花は包装をはがすこと、線香を束であげない、
水、酒などの液体を墓石にかけないといったルールが記されている。
♪hide「 GOOD BYE」♪