札幌の羊が丘の見える小さな町内の
生活道路の角にも
ようやく、、、アスファルトが、
まだら模様に見え始めました。
ドローンから観たら、、、
ニシキヘビが、、立ち去ってゆくように見えるかもしれませんね。
雪掻きを、、搔いても搔いても、、、降る雪には追いつかなかった。
足腰に、、、男性のような筋肉がついてしまって、、、
男性女性に区別がつかないような、、、
筋骨たくましい肩になってしまった、、、、
80歳直前の婆ちゃんです。
遅すぎる雪国の春の山に、、、
名残雪のような 白い花が
櫻より早く咲き始めるとき
何とも、、言えない、、、
冬将軍の立ち去った残り香を観るようです。
あたたかな南紀での13歳までを、、、
人生の宝物のような
ミカン山。。。
蓮華の田んぼ群
菜の花であたり一帯が、、、黄金の花!。。。
梅の花咲く枝枝で、、、ウグイスがライブを競う、、、
80歳に成ったら、、、此の世の見納めに、、、もう一度だけ、、、
疎開していた、、、
南紀の山奥の春を観たいものである。
50歳になった時、女性としての第一の転機が来たのを察知出来た。
60歳の時、、、
病院薬剤師をするのは、、、これっきりにしようと、、、仕事をやめた。
それからは、、、家庭の雑事に専念しながら、、、
可愛くなり始めた孫たちとの外出に、、、
一役買うのがうれしかった。
末に生れた孫をだっこして、、
小樽の水族館に行ったとき、、
「アシカ」や「セイウチ」の
プール群に向かって、
山坂の細道のような迂回路を
孫を抱いて、、くねくね道路を降りたった時、、
思わず孫の顔を視乍ら
やったね!!、、、
婆ちゃんは、、、孫を守りきれたよ!!
あの時、、、海の上に、、七色のアーチを描いて
小樽の海の波も喝采をあげて見上げた、、、
七色の虹が出た!!
人生最高の虹を見た。
自分の人生の宝石であるはずの
子育て期の運動会も、
演劇発表会にも
子供たちの時には、、、
家族で行けることのなかった、、、
孫の時代になって、、、我がことのように応援した。
運動会の応援!
孫の時代になって、、、
一緒にグラウンドの茣蓙の上で食べる、
握り飯の美味しかった事!!
幸せは、お嫁さんが運んできた。
家族一緒のときにしか、、行動は共にしないという原則を守って
お嫁さんの人生は、お嫁さんのものだから、、、
誘われて、、、婆ちゃんも来てほしいというときだけ
泣き笑いを共にして来た。
老後も、、お嫁さんお人生の時間を使う事だけは、、、しないと決心している。
自分の場合を振り返っても、、、
爺ちゃん婆ちゃんが、、、11日程度泊って行っただけで、、、
へとへとになるという経験をしたから、、、
「ニコニコしながら、、、また泊って行ってくださいね、、、」
そうはいったものの、、、舅の矢婆ちゃんの長逗留は、、、
最後は、、、へとへとになってしまうという体験があるから。
でもね、、お嫁さんも、、、孫たちも、、、我が家に泊まっていったときは
家の中は運動会になっても、、、
帰った後は、、、やれやれとは思うモノの、、、幸せな笑みで
へとへとの中に、、、 タイヘンを承知で、、、歓迎している自分に気が付いたのですよね。
青い風呂の底に、、、お魚の絵をかいて、、、孫を喜ばせたり、、、
今ははげちょろけてしまった、、、風呂桶の、、魚の絵を視乍ら
180センチの青年い育っていった孫の事を
振り返れば、、、お嫁さんがくれた幸せだったと、、、感謝する
個人的には、、、二人だけで買い物も行ったことがないのですが
淡交如水の良い関係で、、、ここまで来れてのだから、、、
これからのシュウカツも、、、一切迷惑が掛からない様に
一日、、ひと品、、、365日、、、ゴミ出しをしたいと思いますね。
そして、、、いつの間にかゴミが無くなったころ、、、
粗大ごみにならない様に、、、
神様が迎えに来てくださる、、、、と信じてい要る。
自分んという自分の人生は、
同時に家庭という小さな組織の労働部門を担当してきて
正看護婦さんという、社会貢献できる免許を持っている嫁さんに
働くことを選んでもらったことは、、、大正解だったと思いましたね。
これからは、日本は、、、先生や、看護師さんらのほかにも
女性が社会の参加してゆける政治が、国の繁栄につながるかもしれませんね。
女性も、何らかの免許を持って、、、男尊女卑の日本の社会の壁を突破してほしいですね。
大きくなった孫たちの、、、結婚して家庭をつくる日を夢見ながら
なんだかんだ、、、小さな要求が通らなかった我が人生ですが
婆ちゃんは、、幸せでした。
戦争の最中に生れた私とダンナさんは
団塊の世代の頑張りに押されて、、、復興のためになる世代を生きれて
社会の復興を中心に、、個人的な事は振り返らないで
地味な労働に明け暮れた55年間でしたね。
TVのおかげで、、、いつも深夜の夕食を食べながら、、、
家康よりも、、私達は贅沢ね!!
TV見乍ら、、、夕食を出来るなんて、、、
昔の殿さまは、、、、家来はいっぱいいても、、、
食事しながら、、、世界の旅は出来なかったでしょうね。
何よりも、、、
日本が戦争に巻き込まれないで、、、
復興に一途になれたことが
昭和の戦中、、、平成、、、令和と生きた婆ちゃんは幸せです。
あと、、数年、、、人生が終る日まで、、
100歳まで生きるつもりで、、頑張って、、、
ぴんぴんころり、、、我最大の目的です。
一緒に食べた運動会の日の、、
昼時のおにぎりの味が最高だった。
1等でも5等でも、、、そんなことはともかく、、、
一生懸命走る孫に、、、
ありったけの声援を送った60歳代だった。
70歳になった時は、、、さすがに、、、これからは、、、
どうやって、、生活してゆけばいいのだろうと、、、考え始めた。
還暦も、、喜寿も、、ダンナさんは、、、運のいいことに
職場のあたたかな、、同僚のおかげで、、、
仮装大会の主役をさせていただいたようで
松平健さんの、、大ヒット曲の、、、「オレ~~オレ~~、、、」と
金紙のお着物で、、、ご機嫌舞台をさせていただいたようでした。
ダンナさんの職場には、、若いころからの同僚が居てくれて
家庭よりも、、居こごちがよさそうなので
私は尋ねたことは、、、有りませんが
イベントなどは、、、ディスクにしてくれるので
家庭のTVで、、、笑いながら、、お茶時間を兼ねて
中間の結束の息抜きタイムを拝見したものだった。
家庭の主婦としての70歳から∻~~80歳までは
大きな意味で、、
世代交代の人材教育に、、、
全収入をかけていた時代だった。
息子達の私立大学進学は、、、教育とは、、、こんなに、、、お金のかかるものなのだと、、、
ノックアウト寸前まで、、、教育リンクの中で、、、立ち上がり、、、
フックだ、、ジャブだ、、、顔面ノックだと、、、
金銭的には、、、あざだらけになりながら、、、
働き続け、、、節約続け、、、 万一の時の保険支払図家になりながら、、、
卒業と同時に、、すべて解約、、、ローンの返済に直行の70代でしたね。
北海道に住んでいて、、、東京の大學に進学させるのは、、、
予算の3倍かかるという事を、、、体験して、、、
全身あざだらけの、、、経済事情で、、、
東京の私大の医学部を卒業させるのは
サラリーマン医師では、、、元かいぎりぎりの経済戦争になると体験しましたね。
北海道生まれの、、、軟膏育ちは、、、プライドが高すぎるのか??
看護婦さんに命令された倉庫の掃除も、、、やったのか?やらなかったのか?
都会のしごきに耐えるのが下手なようでしたね。
未だに独身で、、、借り住居、、、車なし、、、独身の50代を
仕事だけが趣味以上という、、、生きがいになっていて、、、
小屋がサラリーマンだと、、、
サラリーマン医師の生活に適応して、、、
「仕事が有って、、、一日にかつ丼が 喰える日は、、しあわせだな~~」
一斉、、、余分な事はしないで、、仕事だけの人生を楽しんでいる様だ。
欲のないのも、、、困ったものです。
「この不安定な世の中で、、、自分が生きてゆくだけでもセイイいっぱいなのに、、、
皆は、、どうやって、、子供や奥さんを守っているのだろう、、、?
もし僕に、、家庭が有ったら、、、コロナのパンデミックの3年間で
家庭は守り切れなかったような気がするよ、、、」
結婚は、、、怖いよね、、、相手の生活や子供の一生を保証できる時代ではないからね、、、」
貧乏のぞん底でも、、、独り身は安心だと思うから、、、、
母さん、、、僕が結婚することを、、もう、、期待するな、、、
仕事が有るだけで、、、満足してくれ、、、、と、、言うから
その通りだね、、、と答えたものの、、、
医師にするまでは、、、なんとかなるが、、、
「医師をすることの難しさを、、、親という、、、無力な親という立場から、、、
総合的に、、思い知りましたね、、、、、。」
地域医療の開業を継続する立場であるとか、、、
医師になる必要のある立場の学生でなければ、、、
医学部を卒業してから、、、
私立大学の母校を支える為の、持ちつ持たれつの関係が築けないという事かもしれませんね。
独身で、、、ひたすら母校に、、、一医師として勤務しても
開業医さんの息子達の医師が、、、手におえない難しい患者さんを母校に送るという
医師になる必要のあった立場の学生のように、、、
サラリーマンの息子の医師は、、、母校に、、関連して貢献できるための
経済的な手段が小さすぎるという、、、貢献できる限界を知った時、、、
イケイケの性格が、、、社会のシステムを考え始めた時、、、
結婚して、、息子をもうけて、、、後を継がせるには
自分委は、、経済的な力は無さすぎると、、、思うとき、、、
仕事だけで、、、満足して、、、
社会に居っぽwp踏み出す勇気が出ないのでしょうかね??
自分たちの人生を振り返るトキ、、、
今度生まれ変わったら、、、結婚も出産もしないで
世界中を一人で廻りながら、、、地球を知って、、、
自分がしゅやかうで生きてゆきたいと思う事は、、、
確かに、、有りますよね、、、
毎日ダンナさんが、、、20時を過ぎないと帰らない人生で
カタズ家終るのが23時、、、
弁当作りで4時起き、、、見送って、、、昼寝が唯一の楽しみだった人生は
確かに、、、自分をやれていませんね、、、
少子化の問題は、、、、根っこが深いと思いますね。
風評被害で、、開業医さんも勤務医さんも、、、
奥サン子供は、、、妬みの的となる要素の、、金満家と間違えられるし。
じきゅにしたら、、みんなと同じ1000円でも、、、
医師は寝る時間も働き続けている。
医師のなるまでもお金はかかるが、、一人前になるのは、、、さらにお金がかかる。
腕の良い医師になるまでに使ったお金を、、、月給で返してもらっている様な物かもしれませんね。
80過ぎて、、世の中のからくりがわかっても、、、
御苦労さんでしたとしか、、、言えない家内ですね。
医師の家庭に春はやってくるのでしょうかね、、、
雪掻きの冬に人生で、、春待つ人生が続くかもしれませんね。
筋肉をつけるしか、、、生き残れないのが、、、医療関係者かもしれません。
ともかく、、、コロナパンデミックから、、生き残って、、、頑張ったでしょう、、!!!
少しづつ、、、自己を労りながら、、、起き上がってください、、、
子供は産まなくても、、、人生の伴侶との出会いを祈っていますよね。
80歳直前、、、ローンは終わったが、、ボロボロになった我が家のリホームで
カードㇿ-ンの「少額勝負」で、、、
震災被害の家のサイディング、、家、、、ラセンに曲がった階段の矯正や、、
床が抜けそうに、、なっているところの修理など
問題は、、少しづつ、、、修理という事にした。
水道、、電気の引き直しで、、、使える家にしなくちゃ、、ね。
震災が日本中次々と起きる中、、、
震災被害の修理費が、、当初の決まった額から、、大幅引かれて打ち切られて
未だに、、少しづつ、、、修理している我が家です、
壁紙を張り替えて、、、と、、!
やらねばならないことが、、、山盛りの、、春の到来ですね。
うれしいのやら、、ため息なのか、、、同時進行で
ピカソの絵のような顔をしています。
老境に入った人生の最期の、、住いのリホームに
壁紙を張り替えたり、、、こぎれいにするという、、、家庭の仕事にはまり始めた。
若い時には、、、大切だった、、、夏のブラウスなど、、、ワンピースなど、、、
何時でも捨てれるように、、、整理を始めたのが、、、ごく自然の成り行きだった。
新聞を隅から隅まで読んで、、、 漢字を忘れないようにと、、、意識するようになった。
「大好きだった、、安住アナの、、、大きなどんぐり眼が、、、だんだん大人になってきて
とうとう結婚されて、、、おと月が出て来たのを視乍ら
結婚願望がない仕事人間かと思っていたことに、、、自分尾目が節穴であることに気が付いた。
最近の安住アナは、、、男性としての大人の魅力が出てきましたね。
以前のような、、、ずっこけた、、、自然体の安住発言が消えて、、、
大人になりましたね、、、、男性は、、歳とともに、、、磨かれてゆく魅力があるから、、いいですね。
女性は、、やはり、、フレッシュな若さが、、、華だけに、、、
年齢とともに、、、芳香が変化するのが面白いですね。
チューリップのような、、、強烈パンチの香りが売りだったアイドルが
いつの間にか、、、ジャスミンのような香りの女性になっていたㇼ、、、
え~~~!!あの女優さんが、、、、、、コマーシャルで、、、
イワシのせんべいかじっていたㇼ、、、
郁恵ちゃんと言えば、、、笑顔、、笑顔の、、ムード少女だったのに
大きな蟹の足を飲み込んで、、、 おばちゃん医なっている。
郁恵ちゃんが、、美味しいというんだから、、、
蟹かって来るかな、、、なんて、、、
蟹の季節を楽しんだり、、、
てなもんや三度笠の「藤田まことのTV漬けだった若き日のことが
まるで幻だったかのような、、、「剣客商売」のお爺ちゃん剣士
時が確実に流れて、、、欣也ちゃんの銭形平次は、、、青春の目で殺された。
そして、、、80歳になるころからは,、、NHKのテレビにはまっている。
TVが観たくて、、、仕事を頑張り、、、
ダンナさんが出かけた後は、、、
TVの前で、、インスタンとラーメンに、、、
ストーブの上で、、湯気を立てている「おやかん」のお湯で
自分の為の昼食は、、、、手抜き、、、
じゃんじゃん、、、洗濯物をしてくれる洗濯機のありがたさ、、、
番組の終る頃,、、干せば、、快適な湿気の出る、、、部屋干し、、、
テレビのコマーシャルで、、、
社長さんと専属歌手のペアの演じる《安くして^^^(^^》
面白いですね❕!、、、難解見ても、、、微笑んで、、仕舞うから(^0^)
特に、、社長の英語でも、、日本語に翻訳できる~~~て!!
笑ってしまいました、、、、面白いですね、、、
TVは、、つぎからつぎへと、、、若さをくれますね、、、
80歳に心底突入したら、、、、何十年も前のTVを卒業して
最新式の、、、TVを買いたいのですがネ。。。。
明日がわからない年齢になると、、、、 捨てる方が、、先かもしれませんね、、、
地球という、、お母さんのオッパイを吸いながら、、、
腹いっぱいになった赤ちゃんが、、、
爆睡してしまうように、、、
80代の後半で、、、、爆睡できれば、、、人生に、、有後藤ですね。
今年は、、、未だ、、、80歳直前ですから、、、
春待つ子t頃は旺盛です、、、、
生活道路の角にも
ようやく、、、アスファルトが、
まだら模様に見え始めました。
ドローンから観たら、、、
ニシキヘビが、、立ち去ってゆくように見えるかもしれませんね。
雪掻きを、、搔いても搔いても、、、降る雪には追いつかなかった。
足腰に、、、男性のような筋肉がついてしまって、、、
男性女性に区別がつかないような、、、
筋骨たくましい肩になってしまった、、、、
80歳直前の婆ちゃんです。
遅すぎる雪国の春の山に、、、
名残雪のような 白い花が
櫻より早く咲き始めるとき
何とも、、言えない、、、
冬将軍の立ち去った残り香を観るようです。
あたたかな南紀での13歳までを、、、
人生の宝物のような
ミカン山。。。
蓮華の田んぼ群
菜の花であたり一帯が、、、黄金の花!。。。
梅の花咲く枝枝で、、、ウグイスがライブを競う、、、
80歳に成ったら、、、此の世の見納めに、、、もう一度だけ、、、
疎開していた、、、
南紀の山奥の春を観たいものである。
50歳になった時、女性としての第一の転機が来たのを察知出来た。
60歳の時、、、
病院薬剤師をするのは、、、これっきりにしようと、、、仕事をやめた。
それからは、、、家庭の雑事に専念しながら、、、
可愛くなり始めた孫たちとの外出に、、、
一役買うのがうれしかった。
末に生れた孫をだっこして、、
小樽の水族館に行ったとき、、
「アシカ」や「セイウチ」の
プール群に向かって、
山坂の細道のような迂回路を
孫を抱いて、、くねくね道路を降りたった時、、
思わず孫の顔を視乍ら
やったね!!、、、
婆ちゃんは、、、孫を守りきれたよ!!
あの時、、、海の上に、、七色のアーチを描いて
小樽の海の波も喝采をあげて見上げた、、、
七色の虹が出た!!
人生最高の虹を見た。
自分の人生の宝石であるはずの
子育て期の運動会も、
演劇発表会にも
子供たちの時には、、、
家族で行けることのなかった、、、
孫の時代になって、、、我がことのように応援した。
運動会の応援!
孫の時代になって、、、
一緒にグラウンドの茣蓙の上で食べる、
握り飯の美味しかった事!!
幸せは、お嫁さんが運んできた。
家族一緒のときにしか、、行動は共にしないという原則を守って
お嫁さんの人生は、お嫁さんのものだから、、、
誘われて、、、婆ちゃんも来てほしいというときだけ
泣き笑いを共にして来た。
老後も、、お嫁さんお人生の時間を使う事だけは、、、しないと決心している。
自分の場合を振り返っても、、、
爺ちゃん婆ちゃんが、、、11日程度泊って行っただけで、、、
へとへとになるという経験をしたから、、、
「ニコニコしながら、、、また泊って行ってくださいね、、、」
そうはいったものの、、、舅の矢婆ちゃんの長逗留は、、、
最後は、、、へとへとになってしまうという体験があるから。
でもね、、お嫁さんも、、、孫たちも、、、我が家に泊まっていったときは
家の中は運動会になっても、、、
帰った後は、、、やれやれとは思うモノの、、、幸せな笑みで
へとへとの中に、、、 タイヘンを承知で、、、歓迎している自分に気が付いたのですよね。
青い風呂の底に、、、お魚の絵をかいて、、、孫を喜ばせたり、、、
今ははげちょろけてしまった、、、風呂桶の、、魚の絵を視乍ら
180センチの青年い育っていった孫の事を
振り返れば、、、お嫁さんがくれた幸せだったと、、、感謝する
個人的には、、、二人だけで買い物も行ったことがないのですが
淡交如水の良い関係で、、、ここまで来れてのだから、、、
これからのシュウカツも、、、一切迷惑が掛からない様に
一日、、ひと品、、、365日、、、ゴミ出しをしたいと思いますね。
そして、、、いつの間にかゴミが無くなったころ、、、
粗大ごみにならない様に、、、
神様が迎えに来てくださる、、、、と信じてい要る。
自分んという自分の人生は、
同時に家庭という小さな組織の労働部門を担当してきて
正看護婦さんという、社会貢献できる免許を持っている嫁さんに
働くことを選んでもらったことは、、、大正解だったと思いましたね。
これからは、日本は、、、先生や、看護師さんらのほかにも
女性が社会の参加してゆける政治が、国の繁栄につながるかもしれませんね。
女性も、何らかの免許を持って、、、男尊女卑の日本の社会の壁を突破してほしいですね。
大きくなった孫たちの、、、結婚して家庭をつくる日を夢見ながら
なんだかんだ、、、小さな要求が通らなかった我が人生ですが
婆ちゃんは、、幸せでした。
戦争の最中に生れた私とダンナさんは
団塊の世代の頑張りに押されて、、、復興のためになる世代を生きれて
社会の復興を中心に、、個人的な事は振り返らないで
地味な労働に明け暮れた55年間でしたね。
TVのおかげで、、、いつも深夜の夕食を食べながら、、、
家康よりも、、私達は贅沢ね!!
TV見乍ら、、、夕食を出来るなんて、、、
昔の殿さまは、、、、家来はいっぱいいても、、、
食事しながら、、、世界の旅は出来なかったでしょうね。
何よりも、、、
日本が戦争に巻き込まれないで、、、
復興に一途になれたことが
昭和の戦中、、、平成、、、令和と生きた婆ちゃんは幸せです。
あと、、数年、、、人生が終る日まで、、
100歳まで生きるつもりで、、頑張って、、、
ぴんぴんころり、、、我最大の目的です。
一緒に食べた運動会の日の、、
昼時のおにぎりの味が最高だった。
1等でも5等でも、、、そんなことはともかく、、、
一生懸命走る孫に、、、
ありったけの声援を送った60歳代だった。
70歳になった時は、、、さすがに、、、これからは、、、
どうやって、、生活してゆけばいいのだろうと、、、考え始めた。
還暦も、、喜寿も、、ダンナさんは、、、運のいいことに
職場のあたたかな、、同僚のおかげで、、、
仮装大会の主役をさせていただいたようで
松平健さんの、、大ヒット曲の、、、「オレ~~オレ~~、、、」と
金紙のお着物で、、、ご機嫌舞台をさせていただいたようでした。
ダンナさんの職場には、、若いころからの同僚が居てくれて
家庭よりも、、居こごちがよさそうなので
私は尋ねたことは、、、有りませんが
イベントなどは、、、ディスクにしてくれるので
家庭のTVで、、、笑いながら、、お茶時間を兼ねて
中間の結束の息抜きタイムを拝見したものだった。
家庭の主婦としての70歳から∻~~80歳までは
大きな意味で、、
世代交代の人材教育に、、、
全収入をかけていた時代だった。
息子達の私立大学進学は、、、教育とは、、、こんなに、、、お金のかかるものなのだと、、、
ノックアウト寸前まで、、、教育リンクの中で、、、立ち上がり、、、
フックだ、、ジャブだ、、、顔面ノックだと、、、
金銭的には、、、あざだらけになりながら、、、
働き続け、、、節約続け、、、 万一の時の保険支払図家になりながら、、、
卒業と同時に、、すべて解約、、、ローンの返済に直行の70代でしたね。
北海道に住んでいて、、、東京の大學に進学させるのは、、、
予算の3倍かかるという事を、、、体験して、、、
全身あざだらけの、、、経済事情で、、、
東京の私大の医学部を卒業させるのは
サラリーマン医師では、、、元かいぎりぎりの経済戦争になると体験しましたね。
北海道生まれの、、、軟膏育ちは、、、プライドが高すぎるのか??
看護婦さんに命令された倉庫の掃除も、、、やったのか?やらなかったのか?
都会のしごきに耐えるのが下手なようでしたね。
未だに独身で、、、借り住居、、、車なし、、、独身の50代を
仕事だけが趣味以上という、、、生きがいになっていて、、、
小屋がサラリーマンだと、、、
サラリーマン医師の生活に適応して、、、
「仕事が有って、、、一日にかつ丼が 喰える日は、、しあわせだな~~」
一斉、、、余分な事はしないで、、仕事だけの人生を楽しんでいる様だ。
欲のないのも、、、困ったものです。
「この不安定な世の中で、、、自分が生きてゆくだけでもセイイいっぱいなのに、、、
皆は、、どうやって、、子供や奥さんを守っているのだろう、、、?
もし僕に、、家庭が有ったら、、、コロナのパンデミックの3年間で
家庭は守り切れなかったような気がするよ、、、」
結婚は、、、怖いよね、、、相手の生活や子供の一生を保証できる時代ではないからね、、、」
貧乏のぞん底でも、、、独り身は安心だと思うから、、、、
母さん、、、僕が結婚することを、、もう、、期待するな、、、
仕事が有るだけで、、、満足してくれ、、、、と、、言うから
その通りだね、、、と答えたものの、、、
医師にするまでは、、、なんとかなるが、、、
「医師をすることの難しさを、、、親という、、、無力な親という立場から、、、
総合的に、、思い知りましたね、、、、、。」
地域医療の開業を継続する立場であるとか、、、
医師になる必要のある立場の学生でなければ、、、
医学部を卒業してから、、、
私立大学の母校を支える為の、持ちつ持たれつの関係が築けないという事かもしれませんね。
独身で、、、ひたすら母校に、、、一医師として勤務しても
開業医さんの息子達の医師が、、、手におえない難しい患者さんを母校に送るという
医師になる必要のあった立場の学生のように、、、
サラリーマンの息子の医師は、、、母校に、、関連して貢献できるための
経済的な手段が小さすぎるという、、、貢献できる限界を知った時、、、
イケイケの性格が、、、社会のシステムを考え始めた時、、、
結婚して、、息子をもうけて、、、後を継がせるには
自分委は、、経済的な力は無さすぎると、、、思うとき、、、
仕事だけで、、、満足して、、、
社会に居っぽwp踏み出す勇気が出ないのでしょうかね??
自分たちの人生を振り返るトキ、、、
今度生まれ変わったら、、、結婚も出産もしないで
世界中を一人で廻りながら、、、地球を知って、、、
自分がしゅやかうで生きてゆきたいと思う事は、、、
確かに、、有りますよね、、、
毎日ダンナさんが、、、20時を過ぎないと帰らない人生で
カタズ家終るのが23時、、、
弁当作りで4時起き、、、見送って、、、昼寝が唯一の楽しみだった人生は
確かに、、、自分をやれていませんね、、、
少子化の問題は、、、、根っこが深いと思いますね。
風評被害で、、開業医さんも勤務医さんも、、、
奥サン子供は、、、妬みの的となる要素の、、金満家と間違えられるし。
じきゅにしたら、、みんなと同じ1000円でも、、、
医師は寝る時間も働き続けている。
医師のなるまでもお金はかかるが、、一人前になるのは、、、さらにお金がかかる。
腕の良い医師になるまでに使ったお金を、、、月給で返してもらっている様な物かもしれませんね。
80過ぎて、、世の中のからくりがわかっても、、、
御苦労さんでしたとしか、、、言えない家内ですね。
医師の家庭に春はやってくるのでしょうかね、、、
雪掻きの冬に人生で、、春待つ人生が続くかもしれませんね。
筋肉をつけるしか、、、生き残れないのが、、、医療関係者かもしれません。
ともかく、、、コロナパンデミックから、、生き残って、、、頑張ったでしょう、、!!!
少しづつ、、、自己を労りながら、、、起き上がってください、、、
子供は産まなくても、、、人生の伴侶との出会いを祈っていますよね。
80歳直前、、、ローンは終わったが、、ボロボロになった我が家のリホームで
カードㇿ-ンの「少額勝負」で、、、
震災被害の家のサイディング、、家、、、ラセンに曲がった階段の矯正や、、
床が抜けそうに、、なっているところの修理など
問題は、、少しづつ、、、修理という事にした。
水道、、電気の引き直しで、、、使える家にしなくちゃ、、ね。
震災が日本中次々と起きる中、、、
震災被害の修理費が、、当初の決まった額から、、大幅引かれて打ち切られて
未だに、、少しづつ、、、修理している我が家です、
壁紙を張り替えて、、、と、、!
やらねばならないことが、、、山盛りの、、春の到来ですね。
うれしいのやら、、ため息なのか、、、同時進行で
ピカソの絵のような顔をしています。
老境に入った人生の最期の、、住いのリホームに
壁紙を張り替えたり、、、こぎれいにするという、、、家庭の仕事にはまり始めた。
若い時には、、、大切だった、、、夏のブラウスなど、、、ワンピースなど、、、
何時でも捨てれるように、、、整理を始めたのが、、、ごく自然の成り行きだった。
新聞を隅から隅まで読んで、、、 漢字を忘れないようにと、、、意識するようになった。
「大好きだった、、安住アナの、、、大きなどんぐり眼が、、、だんだん大人になってきて
とうとう結婚されて、、、おと月が出て来たのを視乍ら
結婚願望がない仕事人間かと思っていたことに、、、自分尾目が節穴であることに気が付いた。
最近の安住アナは、、、男性としての大人の魅力が出てきましたね。
以前のような、、、ずっこけた、、、自然体の安住発言が消えて、、、
大人になりましたね、、、、男性は、、歳とともに、、、磨かれてゆく魅力があるから、、いいですね。
女性は、、やはり、、フレッシュな若さが、、、華だけに、、、
年齢とともに、、、芳香が変化するのが面白いですね。
チューリップのような、、、強烈パンチの香りが売りだったアイドルが
いつの間にか、、、ジャスミンのような香りの女性になっていたㇼ、、、
え~~~!!あの女優さんが、、、、、、コマーシャルで、、、
イワシのせんべいかじっていたㇼ、、、
郁恵ちゃんと言えば、、、笑顔、、笑顔の、、ムード少女だったのに
大きな蟹の足を飲み込んで、、、 おばちゃん医なっている。
郁恵ちゃんが、、美味しいというんだから、、、
蟹かって来るかな、、、なんて、、、
蟹の季節を楽しんだり、、、
てなもんや三度笠の「藤田まことのTV漬けだった若き日のことが
まるで幻だったかのような、、、「剣客商売」のお爺ちゃん剣士
時が確実に流れて、、、欣也ちゃんの銭形平次は、、、青春の目で殺された。
そして、、、80歳になるころからは,、、NHKのテレビにはまっている。
TVが観たくて、、、仕事を頑張り、、、
ダンナさんが出かけた後は、、、
TVの前で、、インスタンとラーメンに、、、
ストーブの上で、、湯気を立てている「おやかん」のお湯で
自分の為の昼食は、、、、手抜き、、、
じゃんじゃん、、、洗濯物をしてくれる洗濯機のありがたさ、、、
番組の終る頃,、、干せば、、快適な湿気の出る、、、部屋干し、、、
テレビのコマーシャルで、、、
社長さんと専属歌手のペアの演じる《安くして^^^(^^》
面白いですね❕!、、、難解見ても、、、微笑んで、、仕舞うから(^0^)
特に、、社長の英語でも、、日本語に翻訳できる~~~て!!
笑ってしまいました、、、、面白いですね、、、
TVは、、つぎからつぎへと、、、若さをくれますね、、、
80歳に心底突入したら、、、、何十年も前のTVを卒業して
最新式の、、、TVを買いたいのですがネ。。。。
明日がわからない年齢になると、、、、 捨てる方が、、先かもしれませんね、、、
地球という、、お母さんのオッパイを吸いながら、、、
腹いっぱいになった赤ちゃんが、、、
爆睡してしまうように、、、
80代の後半で、、、、爆睡できれば、、、人生に、、有後藤ですね。
今年は、、、未だ、、、80歳直前ですから、、、
春待つ子t頃は旺盛です、、、、
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