情報世界になってから、、、
野球を見るように、、、時間を当てています。
子供心と、大人の包容力のある、、、教えの導きと
己の栄光と、、名誉のためだけではない、、、
勝つための「チーム絵の貢献心を最高の感動としている選手の心が
輝いているから、、、
マラソンでいえば、、、区間賞より、、総合優勝
体操でいえば、、、とんでもない技を武器に自己アピールしている人はいない
着地の美しさに、、、体操人生をかけた彼、、、好きでしたね~~~~💕
彼を育てた、、、お母さんという方も、、、
自然体の天才を育てる、、、背中で導くタイプですよね。
ひっくるめて、、、大谷選手の才能を、、、ベストに引き出した彼!!
世界の大谷選手になると、、、見抜いたのは、、高校生の甲子園のかれ!!
栗山監督は、、、はたから見ても、、、何かに恋をしたようだった、、、
見たことのない才能の光を、、大谷選手の中に見たようだった。
まっすぐで、、、頭が良くて、、体格がよくて、、、
双葉から芳しい、、、野球の太陽に育てられたような、、、甲子園ボーイ、、、
栗山監督の彼の才能にかしずいたかのような、、追っかけを、、、
ばあちゃんは、、かなり早くから、、、注目してみていました。
「あんなに、、才能を秘めた選手は、、、
直接、、アメリカに行きたがっている、、、。」
片や栗山監督は、、、どんなに優れた勇者でも
戦場に、、、人脈となる盾や、、身を守る世間のクレパスを見抜く野球とは別の勘所など
なによりも、日本人の選手は
日本人のファンがいてこそ、、、選手のユニホームの背番号を照らす。
ばあちゃんのカンでは、、、親がわが子のスダチ前に
子供が、、みんなで生きられる、、必要とされる子になるようにと、、、願うように
才能のほかに、、、人間としての大谷選手の素晴らしさに、、、
惚れ込んでしまったのではなかろうか?
栗山監督さんの出るTVは、、必ず見るようにしていましたが、、、
子育ての母親に足りない、、、男の子育てを学ばせてもらっているような
一言一言に、、、栗山監督は、、
母親に足りない角度の、、人育てを持っていらっしゃいましたね。
ボールだけを見るという、、、
一点を見つめて、、ホームランにする集中力が
体力知力、、、忍耐力、、分析力、、、何よりも、野球の没頭してゆく
生まれながらの「野球の王者の体格」「バランスのとれた筋肉」
子供たちが野球に夢中になるような、、、純粋な惚れ込みよう、、は
大谷選手は野球でできていますよね、、、
栗山監督は、、、大谷選手の才能のすごさを、、、
高校生の時の彼に見出していましたよね。
神様が、、大谷選手を成長がスクスクト育ってゆくのを
見守る、、栗山監督は、、我を忘れていたように、、
大切に大切に、、見守っているのが、、生きてるって感じているような
選手の前には出ないで、、導くという心が 、、
ばあちゃんも、、わが子の子育ての中高生の時、、、
母親の役割に私も気が付くべきでした。
栗山監督が、、ふと漏らした一言に、、、
大谷選手に接しているときのことなのでしょう、、、
「自分より、、大事だった、、、」
彼は先生の資格を持っていらっしゃるだけに
言葉以上の、、こういう、、楽しみな選手を預けてくれた野球の神様に
ふと漏らしたような、、、一言でしたね。
日本は、、男性と女性、、、という関係より
世界でもトップクラスの「男尊女卑の根っこが深い国」なので
インテリ女性は、、大谷選手のように、、
才能を愛されるということは少ないと思いますね。
「女」のくせに、、とか、、、
東大卒の女性のことが週刊何とかに書いてありましたが
東大を卒業するなんて、、、「女のくせに」、、、とか、、
日本の 男性は、、心のどこかで、、エリート教育を受けた女性を、
「キヤリアのある女性」としてみることが下手な
男、、とか、、、女とかの分類が先立つ日本男児ですよね。
栗山監督なら、、男性、女性として、、、認識してくれて、、
個人の中の才能を伸ばそうと
障害物が影響しないように、、
本人に太陽が当たるような、、環境に、
専門的な配慮をしてくれそうですね。
栗山監督さんのような、、、男が男を育てる目、、
、秘めたる子供の才能の前に立たないで
じ~~と、育つのを見つめている、、、
才能が育つ、、、環境を作る、、、
大谷選手は、、才能も愛されたが、、、彼の純粋さや、、
物事の基礎に時間をかけているという、
素朴さが魅力なのになのに
どんな動作も、、圧倒する何かがあって、、、
天性の華やかさでは、、、比類なきものを感じますね。
生まれながらの素材が、、抜群で、、、
君子ランを育てていると、、、
わが子のように、
ちょっかい出したくなるのですが
みごとな花の君子ラン同士が、花粉を分け合って
実生の4代目の君子欄になると、、、
両方の花の良い面が表現されてくるから、、、不思議ですね。
葉がつややかに、、、
見事な光沢と
弾力のあるカーブで
花も.。葉も。
きびしい冬の北海道の部屋で
生きる気迫と力をくれますが
大谷選手のホ-ムランは、、、
80歳の閉塞感を吹き飛ばしてくれますね、、、
何もかも、、、太陽の光を浴びて、、、
スクスクト育てば、、、
世界は、、小競り合いからの戦争も
人種差別もなくなり、、、
平和な戦いで勝負するという
アメリカの、、多くの歴史が、、
人種にかかわらず、、、アメリカに集うという、、
最高の時間を見せてくれますね。
目下、、「野球バカ」になれたのは、、若き日の、、
長嶋さん、、王さん、、、中西さん、、村山さん、、、
子供のころの、、川上さんの赤バット、、、
土井垣さん 青田さん キャチャーの、、なんたっけ、、?
素晴らしい投手なのに、、、戦争で亡くなった、、、沢村さん、、、
チームに優勝の機会が来なかった、、金田さん
根源は、、日本の野球の面白さが、、、ばあちゃんの「フウテイに」なっていますね。
「女性としての人生」は、、国士無双の
神がかった勝ちしかないような
めちゃくちゃな牌が回ってきていた。
WBCに夢中になったのは
平成の頃、、後楽園に
「ボンズ選手」がやってきて
北海道から球場まで観戦に行ったことでした。
「ス,、、ス、、、スゴイ!!」、、圧倒されましてね。
アメリカの野球に興味がどんどん湧いてきましたね。
ボンズ選手は、、、薬物問題で、、、殿堂入りはどうなんでしょうね、、、
選挙の話から、、野球の話になってしまったのは、、、
今回の、、日本の国会の解散といい、、、
野党や宗教団体や阿部首相の襲撃問題といい、、
ばあちゃんは政治の世界のつながりが、さっぱり見えない。
一国一城の首相をされたお方には
護衛をつけるべきでしたよね。
入り乱れた金権政治のなれの果てを、、、
こんな政治家を選んだのは、、、日本国民だから、、、
あんぽんたん国民に、、、なってはだめだと
責任は、、、自分にあるんだと思うと、、、
新聞の選挙関連面を、、、あちこちに貼って
選挙の投票日が
憂鬱の日となっています。
ただでさえ、、、複雑な人垣の
「日本の政治も、、世界の政治も、、、
理解するまでの知識がありません」
かといって、、、
だれでもよくはありません。
先代が、、知事で、、若き頃より、議員さんの、、首相の采配は
国際的にも難しい外交を、、、どう、、まとめてゆくのでしょうね???
岸田内閣が、、、なんでだめなのか?。。。
ばあちゃんは、、、外務大臣んで首相で、、、外交をするのには
最高の条件を兼ねていた首相だと、、思いましたけどね、、、
正直言って、、、
ばあちゃんは疎開中に和歌山の串本で生まれましたので
そこから、、川をさかのぼって、、、熊野の山奥の
小さな無医村に疎開しました。
お風呂は、、ヒノキで出来ていて
洗い場は、、太い青田家を並べた
山の香りのする,、、
見方によっては
比類なき天然のアートを、香り付きで楽しんだとも言えそうです。
13歳までの多感な時代を、、、
どいなかっぺですが
、、、一生分の自然の恵みをいただきました。
都会の一流という生活を知りません。
政治家は、雲上人だと思っていました。
13歳で、、父の生まれ故郷の東京に来ましたが
本籍の市ヶ谷、、新宿、、、四谷のあたりは
ビルになっていて、、、
子供への遺産は、、、「教育だけ」という
戦後の、、父は、、命を懸けて
母なる川の、、、東京で
もどり鮭が「教育の卵」を産むのは
戦後、、
廃墟となった日本の
「東京の復興」を
大いなる遺産として、、、
そのプロセスこそ、、
見えない教育の財産だと
父母は信じていたようですね、、、
昭和30年あたり、、、
必要な地区に開業する復興型の地域貢献型の開業には
「税制優遇」という、、、思い切った制度で、
開業を推進していた時代だったようですね?
戦後の、超山奥の、、、ダム建設のためにも、、、と
町長だった祖父の采配で、、、
戦地にいた軍医だった父が、
戦地まで迎えん来てくれた祖父の知人で
国会議員の早川さん、、といったかな?
子供だったから?覚えていないけど
おつきの人も一緒に来ていたよね。
◎×▽???さんといったっけ、、、?
なんだかサンとか、、偉い人じゃとか?
ダム建設が始まり
怪我人が多く出るであろう山奥に
どうしても、、来てくれる外科医が居ないということで
当時、、衆議院だった、、、と思いますが
その尽力で,、
もはや、、軍医を乗せるトラックもなくなったのかと、、
玉砕に次ぐ玉砕で、、、
万歳岬は 降伏して捕虜にはならない日本人という気性の激しいのは
サイパンだけではなかったから、、、
アメリカ本土は、、、捕虜にならないで
最後の国民の一人まで戦うという気性に
日本人は怖い性格と勘違いしていたようであった。
でも、、、マッカサーが、、
陛下に丁重だったことは
日本人の多くの殉死を救ったと思ったりしました。
ばあちゃんは、、明治生まれの父母と、、、
明治時代に、、
剣道5段であり、
宮内庁に勤務していたじいちゃんの孫ですからね。
考え方が、、、右寄りに教育されていますので
こんなことを思いつくのかもしれませんね。
じいちゃんは、、、最後の最後まで、、
昭和天皇のご苦労に、、頭を下げて。。。、、
皇居の掃除に行っていましたからね。
日本から、、この終末期の戦地に、、町長だった祖父が、、
戦場までやってきて
着のみ着のままの、、、父と、母と、、5人の子供のうち
生き残った二人の子供を連れて
最終便だった、、連絡船にのりこんだそうです。
席をゆすってもらうのに、、、
結婚指輪と交換したそうです。
祖父は筑波大学の前身である師範学校を卒業して
和歌山県で校長先生やら、、、町長さんやら、、村長さんを頼まれて
戦後の復興に貢献して、、
叙勲されていましたが、勲章は箱に入れて、棚に置いてありました。
27歳の時アメリカに留学して、、
アメリカ生活を知っていたこともあり
当時の日本人は,、「イエロウ、、、」とか言って、、
非道差別の中を
耐えぬいて、、、アメリカのカリフォルニアで
農学を学んできたという、
精神力がある、、、おじいちゃんでした。
、東大を受験して受からなかったといって
人前も構わず、、、涙を流して、、、泣いている父と
音学大学に通っている3人仲間と出会ったそうです。
「東大、、落ちたくらいで、、泣くなんて、、、?」
大声で泣くのには、、似合わない青年だったので、、、
当時アルバイトで、、ピアノを弾いていた新橋の「フロリダ」という
ダンスホールに連れて行って、、、3人の音楽大学の友人たちと
ダンスを手ほどきしたそうです。
元気になった父は、、、東大を落第した以上
戦地に外科医として赴任して、、、お国のために働くようにと
宮内庁に勤務していた実父の命令で、、
父は慈恵会大医学の2年生に
飛び級で進学したそうです。
早稲田中学から、、、早稲田大学、、、東大と、、、
頭脳でお国に尽くせるという、、、東大入学ではなくて
父は、、ひたすら、、、
おいしいコメを作りたかったという夢があったそうです。
医師になって戦場の近くに
総合病院があり、、、
なぜか、、父の名前の病院でした。
戦地には西洋医学の外科医がいなくて
地元の大学にも、、外科の医局というのはなくて
父の名前の総合病院が、、
西洋医学の外科の医局代わりの研修施設になっていて
日赤から、、多くの看護婦さんが派遣されてきており
父の個人名がついていいる総合病院なのに
日本の旗の日の丸と、、海軍の旗の日の丸が交差して、、、
掲げられている写真が
戦後、、日本で開業した時に院長室の額に入れてあるのを見たことがありました。
母方は,、、後醍醐天皇に仕えた和歌山の一族の末裔かもしれませんね?
源氏だと、、思いますよね、、、
平家ではなさそうですね、、、私の政治音痴の想像ですから
当たるも八卦ですが、、、
祖父の親類は、、和歌山県庁に大勢いましたから、、、
もしかしたら、、祖父の一族は和歌山では、、、
古い家柄なのかもしれません。
今でも、、祖父の兄が継いだという、、、
「愛称が,、トクヤ?」とかいう旧家が、、
疎開しているとき存在しているのを見ましたからね。
じいちゃんの奥さんというのは、、、
和歌山の県立小学校の女の先生をしていた人だそうです。
男尊女卑の日本の、、、明治生まれの女性が、、、
学校の先生をしていたなんて、、、
男女同権の息吹を感じて
わくわくしますね、、、しますが、、、
この、、母の母に相当する夫人は、、、
27歳で、、、幼い母と、、母の弟を残して
他界しています。
時代劇に出てくる、、、フジヤマ芸者、、、浮世絵、、歌麿、、
女性、、男性ではなく。。。。女とダンナさん、、、日本の男尊女卑の時代に
「小学校のお裁縫の先生」だったという、、、、明治生まれの
キャリアウーマンの、、、「ばあちゃん」は
「モダンなインテリ女性だった」のだと、、、想像しています。
日本は鎖国から、、、
ザビエル、、、
黒船、、、
明治維新、、、
西郷隆盛が、、
チョン髷を切れない武士を一緒に天国に連れて行った???
「世界の仲間もどき」になれた,、、インスタントラーメンのような世界参加で
武力革命、
、武力戦争、、、
富国強兵、、、
侵略もどきに見える??東洋の安定を願った?
第二次世界大戦に突入、、、???
せっかく、、爺ちゃんたちが、、
カリフォルニアに
日本人町をと、、半生をかけたのに、、、
差別や蔑視、、、低賃金で、、ハワイにとうきび畑を確保して
ハワイにも、、、日本人町を願っていたのに
真珠湾で死んだのは、、、
ハワイで「サトウキビ畑を耕していた、、、「日本人」も死んだ。
リメンバーパールハーバー、、、
この言葉が、、、「原子爆弾」になって、、、戦争は、、、
耐えがたきを耐え、、、忍びがたきをしのび、、
日本人が最後の一人までも戦って、、、
受け入れられる事のなかった
「敗戦」という文字
「原子爆弾の,、、何もかも元素に分解の異次元戦争をくらって、、、」
広島の街が溶けたのを見て、、、日本は、、竹槍を捨て、、、て
玉音放送の前に、、、ひれ伏して、、、涙とともに
天皇陛下の、、、お導きの言葉を受け入れた。
爺ちゃんも、、父母も、、、
日本の敗北に、、、涙で、、立ち上がれなかったそうです。
毎朝の朝礼で、、
白い手袋はめて,、、「朕思うに、、」と
父の軍隊手帳に書いてあったのと同じ文句を読み上げていた祖父は
敗戦の後も、、、
昭和天皇陛下は、、、日本を救った、、、と、、言い続けていました。
晩年は、、財産一切、、持っていた山も、、全部、、村に置いて処理してもらい
「私は、、年金と、、恩給と、、、国からの叙勲があるから、、
娘夫婦と一緒に、、東京に住んで
毎年、、皇居の掃除に参列する、、、」
「昭和天皇様は、、、日本の国を導かれて、
終戦を国民に受け入れさせることのできた
唯一無二の存在でいらっしゃる、、、」
晩年は、、東京で暮らしながら、、、
皇居のお掃除に行くのが生きがいだったようですね。
祖父のルーツは、、串本の薬局の薬剤師が多いようですが
娘は医師と結婚して、、医師の財力のおかげで
音楽家として、、自立した音楽化として
80歳まで、、、亡くなる3日前まで
お弟子さんを指導していました。
母の弟さんの(私のおじさんにあたる人)日大在学中に軍隊に出動して
戦後運よく抑留から解放されて帰還しました。
そのおじさんの娘さん3人のうち
長女は医師と結婚して、、ゴルフはシングルという
私の母とは実の娘の私などより、、、母子として仲良く見えましたね。」
戦後の激動の時代を、、、楯になってくださった父は
54歳で、、、前日大きな手術を執刀して、、、
そのまま、、過労で、、、
「患者さんの麻酔の覚めるのを待ちながら、、、
大往生、、、してしまいました、、、」
80歳になったばあちゃんにまで、、、
あなたのお父さんは、、、神様のようなお医者さんだった、、、
1時間以上も、、父の思い出の電話をよこすのですが
電話がパソコンの上の棚にあるので、、
父の写真を画面に出して、、、黙って、、思い出話を聞いてあげているという
壱か月に一度は、、、かかってきますね。
医者の娘で,、とくばかりしていると 思っていた私が
2時間でも、、、3時間でも、、、
お父さんだった、、お医者の話を聞いてくれるので
子供のころは、、素敵なモダンなお母さんと、、
村中の宝物の、、お父さんを持って
チヤチヤされている、、、とくばかりしている
いい気なもんだと考えていたけれど、、、
お父さんの事を話す思い出話に、、
何時間も付き合ってもらっているうちに
御嬢さんではなくて、、、本当のあなたという人は
どんな勝気な言葉も、、、飲み込んでくれる、、、
徳ばかりしている、、医者の一人娘という
私の思い込みは、、、80歳を過ぎて、、
猛烈だった妬みのような火の玉が消えました。
、、、、、
医局の力は低迷してゆきました。
旦那さんが医局にいた昭和の時代は
医学部の教授は、、権力で医局員を動かしていました。
3か月に一度16万円のアルバイト料を稼ぎに、、、北海道の地域の病院に
1か月間派遣されます。
その中から、、医局j費用、、、学会費用、、
本代金、、、論文掲載費用、、、研修費、、、と
もろもろの、、やっこさん並の従属で、、
「イエス」以外は発言できない時代が続くのですよね。
教授の一言は「イエス」しか答えが選べなかったのですから、、
医師は、一人前の医師になるまで
生活費を貢げる力のある嫁さんでないと、、、
成り立たない時代でした。
子供を産んでも、、、実家におんぶにだっこ、、、
実家に滞在する費用から、、食費、、病院代、、、交通費、、、
私の場合、、1年4か月間、、実家にお世話になり
長男を誕生させることに成功しました。
留萌の出張中に、、妊娠した子供は
マイナス20度の世界に耐え切れずに、、、流産でした。
診療中の出張外科医のダンナさんは
身分が低い時代で、、、
雪の中を,、這って、、雪だるまになりながら
私は、、、一人で病院にたどり着き、、、
本来なら長男として、、、
抱きしめることができたはずの子供を失いました。
手術の指導を受けている旦那さんは、、、
当時は、指導者の医師には個人的なことなど言うのはもってのほかで
私は、、一人で、、帰ってきて、、、東京の実家に帰りました。
その時は、、留萌の冬に負けた、、、と。
完敗でしたね。
私には文系志望の年子の兄がいます。
本人は、語学が達者でICU入学希望でした。
しかし、長男も父母も
本人に医師になるようにと、、半ば,強要していました。
彼はとうとう、、医科大学は補欠で合格、、、しかし
寄付金が必用と分かり、、、ええええええええええええ
僕は医学部に行かない
世紀合格でも、女性の私には、、
兄と一緒に通学して、
兄が医師になるための:
w 縦走者としてなら
女医になるときに反対した家族が
薬剤師として、、独り立ちして、、就職している娘を
博士号を取得したら、、父母の住む東京に帰るという外科医を
家族として迎えるから、、、結婚しなさいという、、、
すごい圧力がかかってきた。
日本は男尊女卑である、、、
娘自身の力も、、生きる希望も、、、頓着がない。
明治の母親は、、ワンマンであると思った。
私が、、外科医と結婚したことを、、一番喜んだ尚は、、母だった。
早逝したお父さんが、、若くなって帰ってきて気がする。。。と言っていた。
明治生まれの母親なんて、、、娘は、人脈づくりの道具ぐらいにしか思っていない。
父の知人で、、いつも困った時に指導に見えていた、、、京都大学のげかいのせんせいに
娘は、、外科医と結婚しました、、、と
手紙を書いて、、、お返事をいただいたのがうれしくて
北海道で、、ヒツジの群れだけを見つめている私に、、
二通の手紙を、、送ってきた。
その先生は、、、
子供のころ、、やけどをさせられた私のケロイドを
手術して、、植皮して、、直してくださった先生でした。
近藤先生という文字が、、、光って見えました。
私本人は、、、野口英世だってやけどがあった。
私は、、、結婚しないで、、研究者になろうと思っていた。
先生のおかげで、、、右手の指の癒着は分離されて、、、
ピアノが弾ける手になった。
結婚のときに、、、私は、、ピアノはいらないといったのに
母は、、無理やり、、ピアノを送ってきた。
まんしんそういで、、、いばらの少女時代を、、、人の心の裏側と
父母に免じて、、おかめの面をつけた女性の心の中で
自分自身で力を持たねば、、、どんな目に合うか、、、身に染みている。
医者の娘も、、、医師の妻も、、、こりごりである。
権力があるなら、、、陰で、、娘をいびらないような
神様がいいと、、、思いませんか?
医師と結婚した平成、、後期は、、、
医師は、苦境の時代に入っていた。
共働きで、、、働きながら、、、
税金ばかりが追いかけてきた。
マスコミの一部の浪費家の女医さんなどが
贅沢三昧の海外旅行の放送を、、、
面白おかしく、、、人気取りの大きなデスチャーで放映するから
母の葬儀のときでしたね。
父が生きていて、、、医師の奥様として、、、
子育ての時に、、妬みの中で生きていた母と違って
父が早逝して、、、54歳からのピアノ教室で
80歳まで現役だった母の実力が
自分自身で生きた女性の力として
葬儀の式場で、、、思いっきり、、、認識させられましたね。
明治生まれで、、、運学大学を卒業して、、、日本で、、
最先端のキャリアウーマンとして、、
女学校の音楽教師をしていた母。
学生時代から、、、日本のオペラの先達の先生と同窓生と
日本中をオペラの演奏をしながら回っている、、、モダン、、、
子供の時には「お母さんは素敵な人ね~~~」とよく言われましたね。
私には、、、優しくない母でしたが、、、統率力は抜群で市tsね。
日本の男尊女卑は、、、貧しい家には、、、がっちりと、、、根を下ろしているかもしれません。
国立大学に50歳近くまでいた旦那さんの生活は、、
住まいは、、どんなにご立派かと思ってきてみましたね、、、、と
同僚の奥さんおばあちゃんという女性がいきなりあらわれて、、、
おあがりになりますか?、、、と、言ってみました。
いいえ、、、見に来ただけですから、、、お構いなく、、、と言って
「普通のご自宅なので、、、先生のお宅を探すのに、、同じ道を行ったり来たりしましたよ、、、」
やっと、、普通の家に住めるまでにがんばれましたよ、、、と、、
思わず笑ってしまいました。
そのおっばちゃんは、、娘が医師と結婚したので
皆さんのお宅を回って、、、どのようなお庭にするとよいのかと
娘に参考にするように、、見て回っていたのだといいました。
あれこれ咲いている花が野草なので、、、ほっとしていました。
医師は姉持ちだと勘違いしているのか??
最近では、、、「ブランド物のバッグはないですか?高く買いますよ、、」、
「御着物、、高く買いますよ、、」
「時計のブランド物があればお売りください、、、」
女優さんの家と間違っているようですね。
駅で1000円で売っていて、、楽しいから、、、何点か???
なんちゃって、、、ブランドバックなら3点ほど、、、ビニーツがかたくなってンスけど、、、
そんな答えをしているうちに、、、電話も少なくなってくれたほっとしています。
ダンナさんは、、生涯、、大学医局に参加して、、医局人事で動いたので
晩年までは札幌勤務だったので、、、
ローンが終わったのは75歳を過ぎていました。
りほーむできるような、、、世間が思っているような収入は
病院のシステム上目の前を通過するだけで
税金を支払うのに、、四苦八苦の勤務医生活でしたね。
転勤先に行くたびに銀行や郵便局の通帳を作っていたため。
からの通帳がどんどんたまってしまって、、、
むなしかった時期もありました。
子育ての時は、、教育資金を働かねば、、、と
3か月だけ働かせていただくという、、、繰り返しで
子供を東京の大学に出すことが、、、北海道の場合
住宅の家賃相場が違うため、、、
大変なぎゃぷの中で
意識が東京の相場を受け入れるまでのストレスは、、、苦しかったですね。
大学の近くの”1DKが、、10万円するんですよね、、、
開業医さんは実業家とおんなじで、、紳士で、、社長で華やかで
勤務医の奥さんは、、旦那が家庭に時間をくれないで、、孤独です。
政治は、、勤務医には残酷なまでの税金をかけてきます。
必要経費は一切認めてくれませんが、、、
勤務医とは、、生涯学習の息子が3人くらい育てているほど
自己の、生涯学習jの維持費が、、かかります。
家庭や子供の教育を振り返らなくても、、
病院のスタッフを家族だと思って過ごしているようです。
つまり、、自分が医師として生きるだけで...せいいぱいという、、
普通の人が医師になってしまうと、、、こんなに、、一生受験時代みたいに
頑張っても、、、 スタッフでいられるだけでも、、、大変なんなのだと、、
医師にならなくてよかったとおみましたね。
医師にはなる自信はありましたけど、、、
医師の家内で、、裏を担当していると、、
医師になるのは、、高校時代の教科書問題集をクリヤーして
語学の2か国語でもクリヤーすれば
どっかの医学部は受かると思いますが、、、
ダンナさんの後ろ姿ばかり見ながら、、、
出陣の準備をした家内の目には、、、
努力すれば、、医学部は、、受かりそうだ。
医師にもなっそうだ、、、国家試験なら受かりそうだ、、
しかし、、医師になって医師をするのは、、、難しい!!
サポートの確保もいる、、、
家族の理解もいる、、、
お仲間から認められる人格も必要だ、、
何よりも、、、家庭を振り返っているようでは、、、失格する、、、
男尊女卑の日本には、、言いたいことは山ほどありますが、、、
女医を志した時代もありました。
子樹立、、国立一期校、、医学部卒業のダンナさんは、、、
天才に囲まれて、、医師をすることを貫くためには
私生活の時間を返上して、、、
患者さん中心の、、医師をすることだけが最重要な時間割を組んで
滅私奉公するしか生き残れないほど、、、周りが強い人たちばかりでしたね。
医師と結婚したおかげで、、、自宅を守って、、雪をかいて
ワンコのように、、、主婦フードで5分で食事を済ませ、、、
万雑用に明け暮れて、、、友人とも、、親せきとも、、、里帰りはできないし
滅私奉公で、、、家庭という、、、
見えない鎖で、、、人生は生きるのにセイイパイという
勤務医に税金は、、必要経費が控除されないが、、、
上り坂の50歳までは、、、本屋から、、、家のローンより高い本題と
学会の参加費用や、研修費がかかるということを
国会は考慮している暇はなさそうだ、、、
投票日は、、、今回は、、、重荷に感じるのは、、、年のせいかな?
80歳の一票でも、、、壮年期の一票とおんなじだから、、、
若者を大切にと、、演説してまわった、、美人立候補者は
2番でもだめで、、、3番になったから、、、
お年寄りの知恵を若者は買い取るつもりで
お年寄りの知恵は、、、未来への心の投資ですとか、、
年寄りを頼ってあげると、、、いいかもしれない、、
選挙のテクニック化もしてないね、、、
アホカ、、私は、、、
医者の家内のリスクは、、政治のせいではないのに、、、
現実は貧しいのに、、、勘違いして
金持ちと思う、、三つの味をがら幕マスコミのおかげで
ねたまれて、、、、実態を知ってもらえたら、、、
coronaの時に、、ごみ袋かぶって
命かけて、、背水の陣の。。頑張りを、、、
看護師さんも、、医師もしない医療制度がほしいよね、、、
正しく、、医療界を理解して、、、
権力と、医療を混同しない立候補者がいたら、、、
日本の医療制度も、、もっとよくなって
心が健康になるから、、、
みんな、、消費生活に回るから、、
刑事が活性して、、、インフレはなくなるのと違いますか?
父が山奥の疎開先の診療所に着任した仕事に付いた日から
数件しかなかった人口が、、、3000人い膨らんで
診療所の2回は。。はるか町から
踊りや三味の先生が来て、、、
文化教室ができました。
数十件しかなかった村は、、、3000人に膨らんで
父が東京に帰ってからは、、
無医村になり、、、多くの人は
村を出て行ってしまったそうですよ。
地域医療の設備をすれば、、、文化の華が咲き、、
中央の学会と土居中の医療施設を
ネットでつなげれば、、、
経済効果は、、、予期せぬ方向から
花が咲くと信じていますよ、、、
ばあちゃんは、、、アホカ?
夜が明けてしもうた。。。
おやすみなさい、、、投票、、、怖いね、、、今回は!!
父のお葬式には、、、北大生で 試験中だった同級生が
特急で、、丸壱日かけて、、葬儀に出てくれました。
父を尊敬してくれていたから、、、
ボーイフレンドでいてくれたのかもしれません。
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