6月24日(水)昨夜から新潟県の道の駅「よしかわ杜氏の郷(とうじのさと)で車中泊をしていて、朝は早くから目覚める。
気温的にも北にあるせいか、大阪のような蒸し暑さはなく、ぐっすり眠ることができた。
朝食の準備を済まし、野外で妻と二人朝食をとっていると、隣に駐車していた夫婦と挨拶をした後、一緒にコーヒーを飲むことになった。
この夫婦は鹿児島県から、一週間前に新潟県に入り、県内を旅行していたとのことで、今日は岐阜方面に向かうとのことであった。
温厚な夫婦で、夫婦二人の趣味は旅行で、マイワゴン車での車中泊旅行が、何よりも楽しい と話をしていた、年に数会は日本各地を旅しているとのことであった。
この夫婦と話していると、今度は、前を通りかかった別の夫婦と挨拶を、コーヒーを勧めると、気軽に応じてくれ、6人の賑やかな会話が始まった。
この夫婦は、静岡県からで、北海道札幌で、行われている「よさこいソーラン祭り」を見学した後、フェリ-で北海道から直江津港に着き、この道の駅で車中泊をしていたとのこと、今日は静岡に帰宅するとのことで、明るく気さくな夫婦であった。
この二組の夫婦との、朝の出会いが、私たちの気ままな旅の一日を一層楽しくしてくれる。
こうした出会う人や旅先々での自然などとの出会いも、旅の楽しさのひとつである、新鮮さと感動を、そして、情熱と明日へのエネルギーをいただいているように感じる。
しばらく談笑した後、この二組の夫婦もそれぞれの目的地へ出発して行った。
私たちも、この道の駅を後にして今日の目的地である、春日山城方面にむかって行った。
出発して間もなく、新潟県立「大潟水と森公園」の看板が見えてくる。
大きな施設のようだ。時間的にもまだ余裕があり、立ち寄ってみることにした。
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道の駅「よしかわ杜氏の郷」で見かけた紫陽花の花
大潟水と森公園の、きれいに整備された駐車場に車を止め、早速、カメラを片手に散策に出かけることにした。
駐車場から公園入り口に進んでいくと、公園案内図の画かれた大きな看板が掲示されている。
下記案内図のように両サイドを大きな池に囲まれ、自然豊かで四季を通じて楽しめそうな公園である。
今日は平日で、しかも早朝のせいか訪れている人は少なくひっそりとしている。
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新潟県立 大潟 水と森公園案内図(上側が鵜の池、下側が朝日池)
大潟(おおがた)水と森公園は、日本海沿岸の砂丘後背地に発達した“潟”(=池)を舞台にしたものである。
※"潟(かた)"とは、湾に自然の力がはたらいて砂州が形成され、その砂州によって外海から分離されて湖沼化した地形のことをいう。
また、遠浅の海岸で、潮が満ちると隠れ、引くと現れる所が干潟(ひがた)である。
この公園内にある2つの池・・・鵜ノ池(案内図上側)、朝日池(案内図下側)は、冬の季節風などの影響によって作られた砂丘が、河川をせき止めてできた池(潟)である。
これらの“潟”は、海から砂丘を経て後背の水田部へと続く広がりとして認識され、様々な自然の姿を見せてくれ、動植物の生育場所としても貴重な存在になっている。
また、“潟”は昔から人々のくらしに欠かせない存在であったことがうかがえる。
大潟水と森公園を “潟” の貴重な自然を残し伝えつつ、自然を学ぶ場として整備されている。
また、この“潟”に展開された歴史や文化を学ぶ場としても大切な公園でもある。
この公園は次のようなゾーンに分かれ整備されている。
「エントランスゾーン」、「歴史ゾーン」、「野鳥観察ゾーン」(一部は野鳥保護区域)、「自然観察園ゾーン」、「お休み広場ゾーン」、「自然体験楽校ゾーン」が開園し、野鳥観察、森林浴、散策などが楽しめる。
平成21年4月には新たに「潟の里ゾーン」が開園し、水生植物などを身近に観察することができるようになり、現在も噴水広場などの整備が進められている。
この広い公園内の各ゾーン全部を見学することは、とてもできないと思った。
興味は尽きることがないが、今日の予定のことを考えると、あまり長くはいられなかった。
ただ、この公園に触れて感じることは、新潟県&越後の国そのものが、すごく水の豊かな所であるという新たな認識であった。
お米や酒造りなどは、新潟の恵まれた立地条件に気候や自然が、そして、いにしえの時代から人々の叡智が活かされ、育まれてきたように感じてくる。
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休日には多くの家族連れなどで賑やう花と芝生広場
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ベンチの前に広がる鵜の池と豊かな田園風景
新潟の漢字ににもなっている潟について次のように書かれている。
「「潟」は、私たち新潟県民にとって、非常に関わりの深い自然環境です。
いにしえの時代、「潟」に住み着いた私たちの先祖は、「潟」の恵みを受け、また、ぬかるむ泥に足を取られながら干拓事業を進め、現在の豊穣の大地を造り上げてきました。
そして、この潟との共存の中から、私たち新潟県民は、歴史を重ね、文化を築いてきたのです。
しかし、それと引き替えに、多くの「潟」は水田に姿を変え、潟の風景や自然は、今や貴重な存在になっています。」
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公園内のゾーンをまたぐ池の上に作られた遊歩道である「水上回廊」
駐車場から芝生広場に出ると目の前に鵜の池があり、その奥には田園風景が広がっている。
ゾーンとゾーンの間を水上で結ぶ園路には、「水上回廊」が架けられ、池の中に生育している水性植物などを、回廊から身近に観察できるようにして造られている。
また、次のようなことも書かれている。
「大潟水と森公園には、今も「いにしえの姿を留める潟の風景」が残されています。
当公園に隣接する鵜ノ池、朝日池は、太古の潟の姿を今に留めています。
私たちの眼前に広がる潟の風景は、まさに、「縄文人が見ていた風景」なのです。
そして、その歴史的風景は、潟の自然の素晴らしさ、「潟」とともに生き抜いてきた先人の叡智、人と自然の調和の尊さを私たちに語りかけてくれています。」
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冬の季節風などの影響によってできた鵜の池、潟の貴重な自然が残されている。
かつて、古の新潟県の多くは、このような潟であっただろうか!
私は新潟県の歴史については、よくわからないが、ここを訪れ、色々勉強さしていただいていると、改めてこの地域の干拓や開墾の歴史などが想像されてくる。
大阪の中心部である道頓堀周辺も、かつてはこのような潟、もしくは干潟であったといわれている。
人々は叡智を結集し、水路や堀、石垣などを築いて水を抜き、そして水を集めて、田園や街を築いてきたのである。
また、山や河川の自然水を治水して、田園を築き、主食のコメなどが栽培して人々の生活に豊かさをもたらしている。
先人たちの永年にわたる執念と英知が結集され、気の遠くなるような歳月をかけて築かれ、今日の日本があると思われる。
私たち現代人は、このような先人たちが築いてきた、英知や努力の歴史を後世に伝え、その恩恵と英知の伝統に、誇りを持って活きていく大切さを感じさしてくれている。
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林の間からと鵜の池を望む
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森の中の展望台 鵜の池を眺望することができる
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休憩棟と一体となって屋上にできた芝生広場、鵜の池の眺望も抜群、休憩所の前にも芝生広場がある。
この休憩棟の芝生広場からは、天気の良い日には、妙高山などが観望できる絶好のビューポイントになるようである。
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休憩棟の屋上から見た芝生広場と鵜の池の眺望
私達も水上回廊を渡り進んで行くと、休憩棟があり、その上には自然との一体感を感じさすように造られた、眺望抜群の芝生広場がある。
鵜の池や近くの田園風景が、公園と一体感をかもし出すように造られた、調和のある景観であった。
ただ、妙高山などの山陵は霞んでいて、視界でとらえることはできないのが残念であった。
この後、公園東口までの散策し、森の中にできた遊歩道を駐車場まで帰って行った。
それにしても、この公園の自然と一帯となるゾーンの多さには驚かされる。
四季それぞれに特長があり、各ゾーンで学習したり、野鳥や自然などが観察できるように工夫されている。
特に子ども達には、自然に対しての様々な学習と体験、歴史などが学べる貴重な公園に造られているようで、全国的にも大変価値のある公園である。
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入り口近くの小さな池に咲く 蓮の花
新潟県公園管理
「大潟水と森公園は、「潟」を主役とし、その自然を守り、歴史文化を伝え、地域とともに育むことで、その魅力を最大限に引き出し、誰もが楽しく、親しめる公園を目指しています。」
と書かれている。
公園の散策を終えた私たちは、今日の目的である春日山城を目指して、上越市中心部に向かって行った。
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地元のドラマに対する情熱を感じる「天地人博」の入口 謙信の「義」、兼続の「愛」そして越後の「誇り」が
国道8号線に入り、直江津方面に向かっていると「天地人博」の大きな看板が目に入ってくる。
そうだ、おさらいの意味で「天地人博」を見学して、近辺にある上杉謙信や、直江兼続ゆかりの施設を、あとから散策しょうと 思いついてくる。
程なくして「天地人博」駐車場に到着する。
天人博の駐車場は、大型の観光バスやマイカーなどで満杯になっている。
大型バスからは次から次へと人が降り、天地人博の入り口へ向かっている。
すごい人の数で、NHK大河ドラマ「天地人」に 地元の人たちがかける思いと、人気のすごさが伝わってくる。
私達も「天地人博」の正門に向かって行った。
NHK大河ドラマ「天地人」の原作者の火坂雅志さんは新潟県の出身です。
私も毎週楽しみにしているドラマで、新潟の厳しい自然と共に育んだ、上杉謙信、や景勝と直江兼続の人間模様、人と自然、人と人との原点がよく現され、心が現れるような気がします。
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天地人〈上〉天の巻火坂 雅志日本放送出版協会このアイテムの詳細を見る
気温的にも北にあるせいか、大阪のような蒸し暑さはなく、ぐっすり眠ることができた。
朝食の準備を済まし、野外で妻と二人朝食をとっていると、隣に駐車していた夫婦と挨拶をした後、一緒にコーヒーを飲むことになった。
この夫婦は鹿児島県から、一週間前に新潟県に入り、県内を旅行していたとのことで、今日は岐阜方面に向かうとのことであった。
温厚な夫婦で、夫婦二人の趣味は旅行で、マイワゴン車での車中泊旅行が、何よりも楽しい と話をしていた、年に数会は日本各地を旅しているとのことであった。
この夫婦と話していると、今度は、前を通りかかった別の夫婦と挨拶を、コーヒーを勧めると、気軽に応じてくれ、6人の賑やかな会話が始まった。
この夫婦は、静岡県からで、北海道札幌で、行われている「よさこいソーラン祭り」を見学した後、フェリ-で北海道から直江津港に着き、この道の駅で車中泊をしていたとのこと、今日は静岡に帰宅するとのことで、明るく気さくな夫婦であった。
この二組の夫婦との、朝の出会いが、私たちの気ままな旅の一日を一層楽しくしてくれる。
こうした出会う人や旅先々での自然などとの出会いも、旅の楽しさのひとつである、新鮮さと感動を、そして、情熱と明日へのエネルギーをいただいているように感じる。
しばらく談笑した後、この二組の夫婦もそれぞれの目的地へ出発して行った。
私たちも、この道の駅を後にして今日の目的地である、春日山城方面にむかって行った。
出発して間もなく、新潟県立「大潟水と森公園」の看板が見えてくる。
大きな施設のようだ。時間的にもまだ余裕があり、立ち寄ってみることにした。
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道の駅「よしかわ杜氏の郷」で見かけた紫陽花の花
大潟水と森公園の、きれいに整備された駐車場に車を止め、早速、カメラを片手に散策に出かけることにした。
駐車場から公園入り口に進んでいくと、公園案内図の画かれた大きな看板が掲示されている。
下記案内図のように両サイドを大きな池に囲まれ、自然豊かで四季を通じて楽しめそうな公園である。
今日は平日で、しかも早朝のせいか訪れている人は少なくひっそりとしている。
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新潟県立 大潟 水と森公園案内図(上側が鵜の池、下側が朝日池)
大潟(おおがた)水と森公園は、日本海沿岸の砂丘後背地に発達した“潟”(=池)を舞台にしたものである。
※"潟(かた)"とは、湾に自然の力がはたらいて砂州が形成され、その砂州によって外海から分離されて湖沼化した地形のことをいう。
また、遠浅の海岸で、潮が満ちると隠れ、引くと現れる所が干潟(ひがた)である。
この公園内にある2つの池・・・鵜ノ池(案内図上側)、朝日池(案内図下側)は、冬の季節風などの影響によって作られた砂丘が、河川をせき止めてできた池(潟)である。
これらの“潟”は、海から砂丘を経て後背の水田部へと続く広がりとして認識され、様々な自然の姿を見せてくれ、動植物の生育場所としても貴重な存在になっている。
また、“潟”は昔から人々のくらしに欠かせない存在であったことがうかがえる。
大潟水と森公園を “潟” の貴重な自然を残し伝えつつ、自然を学ぶ場として整備されている。
また、この“潟”に展開された歴史や文化を学ぶ場としても大切な公園でもある。
この公園は次のようなゾーンに分かれ整備されている。
「エントランスゾーン」、「歴史ゾーン」、「野鳥観察ゾーン」(一部は野鳥保護区域)、「自然観察園ゾーン」、「お休み広場ゾーン」、「自然体験楽校ゾーン」が開園し、野鳥観察、森林浴、散策などが楽しめる。
平成21年4月には新たに「潟の里ゾーン」が開園し、水生植物などを身近に観察することができるようになり、現在も噴水広場などの整備が進められている。
この広い公園内の各ゾーン全部を見学することは、とてもできないと思った。
興味は尽きることがないが、今日の予定のことを考えると、あまり長くはいられなかった。
ただ、この公園に触れて感じることは、新潟県&越後の国そのものが、すごく水の豊かな所であるという新たな認識であった。
お米や酒造りなどは、新潟の恵まれた立地条件に気候や自然が、そして、いにしえの時代から人々の叡智が活かされ、育まれてきたように感じてくる。
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休日には多くの家族連れなどで賑やう花と芝生広場
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ベンチの前に広がる鵜の池と豊かな田園風景
新潟の漢字ににもなっている潟について次のように書かれている。
「「潟」は、私たち新潟県民にとって、非常に関わりの深い自然環境です。
いにしえの時代、「潟」に住み着いた私たちの先祖は、「潟」の恵みを受け、また、ぬかるむ泥に足を取られながら干拓事業を進め、現在の豊穣の大地を造り上げてきました。
そして、この潟との共存の中から、私たち新潟県民は、歴史を重ね、文化を築いてきたのです。
しかし、それと引き替えに、多くの「潟」は水田に姿を変え、潟の風景や自然は、今や貴重な存在になっています。」
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公園内のゾーンをまたぐ池の上に作られた遊歩道である「水上回廊」
駐車場から芝生広場に出ると目の前に鵜の池があり、その奥には田園風景が広がっている。
ゾーンとゾーンの間を水上で結ぶ園路には、「水上回廊」が架けられ、池の中に生育している水性植物などを、回廊から身近に観察できるようにして造られている。
また、次のようなことも書かれている。
「大潟水と森公園には、今も「いにしえの姿を留める潟の風景」が残されています。
当公園に隣接する鵜ノ池、朝日池は、太古の潟の姿を今に留めています。
私たちの眼前に広がる潟の風景は、まさに、「縄文人が見ていた風景」なのです。
そして、その歴史的風景は、潟の自然の素晴らしさ、「潟」とともに生き抜いてきた先人の叡智、人と自然の調和の尊さを私たちに語りかけてくれています。」
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冬の季節風などの影響によってできた鵜の池、潟の貴重な自然が残されている。
かつて、古の新潟県の多くは、このような潟であっただろうか!
私は新潟県の歴史については、よくわからないが、ここを訪れ、色々勉強さしていただいていると、改めてこの地域の干拓や開墾の歴史などが想像されてくる。
大阪の中心部である道頓堀周辺も、かつてはこのような潟、もしくは干潟であったといわれている。
人々は叡智を結集し、水路や堀、石垣などを築いて水を抜き、そして水を集めて、田園や街を築いてきたのである。
また、山や河川の自然水を治水して、田園を築き、主食のコメなどが栽培して人々の生活に豊かさをもたらしている。
先人たちの永年にわたる執念と英知が結集され、気の遠くなるような歳月をかけて築かれ、今日の日本があると思われる。
私たち現代人は、このような先人たちが築いてきた、英知や努力の歴史を後世に伝え、その恩恵と英知の伝統に、誇りを持って活きていく大切さを感じさしてくれている。
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林の間からと鵜の池を望む
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森の中の展望台 鵜の池を眺望することができる
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休憩棟と一体となって屋上にできた芝生広場、鵜の池の眺望も抜群、休憩所の前にも芝生広場がある。
この休憩棟の芝生広場からは、天気の良い日には、妙高山などが観望できる絶好のビューポイントになるようである。
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休憩棟の屋上から見た芝生広場と鵜の池の眺望
私達も水上回廊を渡り進んで行くと、休憩棟があり、その上には自然との一体感を感じさすように造られた、眺望抜群の芝生広場がある。
鵜の池や近くの田園風景が、公園と一体感をかもし出すように造られた、調和のある景観であった。
ただ、妙高山などの山陵は霞んでいて、視界でとらえることはできないのが残念であった。
この後、公園東口までの散策し、森の中にできた遊歩道を駐車場まで帰って行った。
それにしても、この公園の自然と一帯となるゾーンの多さには驚かされる。
四季それぞれに特長があり、各ゾーンで学習したり、野鳥や自然などが観察できるように工夫されている。
特に子ども達には、自然に対しての様々な学習と体験、歴史などが学べる貴重な公園に造られているようで、全国的にも大変価値のある公園である。
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入り口近くの小さな池に咲く 蓮の花
新潟県公園管理
「大潟水と森公園は、「潟」を主役とし、その自然を守り、歴史文化を伝え、地域とともに育むことで、その魅力を最大限に引き出し、誰もが楽しく、親しめる公園を目指しています。」
と書かれている。
公園の散策を終えた私たちは、今日の目的である春日山城を目指して、上越市中心部に向かって行った。
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地元のドラマに対する情熱を感じる「天地人博」の入口 謙信の「義」、兼続の「愛」そして越後の「誇り」が
国道8号線に入り、直江津方面に向かっていると「天地人博」の大きな看板が目に入ってくる。
そうだ、おさらいの意味で「天地人博」を見学して、近辺にある上杉謙信や、直江兼続ゆかりの施設を、あとから散策しょうと 思いついてくる。
程なくして「天地人博」駐車場に到着する。
天人博の駐車場は、大型の観光バスやマイカーなどで満杯になっている。
大型バスからは次から次へと人が降り、天地人博の入り口へ向かっている。
すごい人の数で、NHK大河ドラマ「天地人」に 地元の人たちがかける思いと、人気のすごさが伝わってくる。
私達も「天地人博」の正門に向かって行った。
NHK大河ドラマ「天地人」の原作者の火坂雅志さんは新潟県の出身です。
私も毎週楽しみにしているドラマで、新潟の厳しい自然と共に育んだ、上杉謙信、や景勝と直江兼続の人間模様、人と自然、人と人との原点がよく現され、心が現れるような気がします。
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